帝塚山学院短期大学(てづかやまがくいんたんきだいがく、英語: Tezukayama Gakuin College[5])は、大阪府堺市晴美台4-2-2[1]に本部を置いていた日本私立大学である。1950年に設置。 学生募集は1997年度まで、1999年9月廃止。現在は帝塚山学院大学となっている。

帝塚山学院短期大学
大学設置 1950年
創立 1916年
廃止 [[{{{廃止年}}}]]
学校種別 私立
設置者 学校法人帝塚山学院
本部所在地 大阪府堺市晴美台4-2-2[1]
学部 文学科
◎文芸専攻
○第一部
●第二部[2]
◎英文専攻
○第一部
●第二部[2]
家政学科
◎服飾専攻
○第一部
●第二部[3]
◎食物栄養専攻
○第一部
●第二部[4]
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概要 編集

大学全体 編集

建学の精神(校訓・理念・学是) 編集

  • 帝塚山学院短期大学における建学の精神:「力の教育」

教育および研究 編集

  • 帝塚山学院短期大学に置かれていた学科としてまず文学科がある。なかでも、文芸専攻は日本における文芸の歴史・理論などに主眼をおいた教育が行われ、ほか、詩人作家新聞社広告会社の人々によるコピーライティング、「文章表現」といった講義や文芸鑑賞、古典芸能鑑賞、文学遺跡の探訪といった行事も行われていた。英文専攻では、会話中心のカリキュラムが組まれており、スピーチコンテスト海外研修といったイベントも行われていた。
  • 家政学科にはが「衣料管理士」・「生活文化」の各コースからなる服飾専攻と「食品衛生管理者」・「国際食文化」の各コースからなる食物栄養専攻があった。。後者では、外国人講師による「調理実習」も行われていた。
  • 海外研修制度としてアメリカイギリスにて行われていた。

学風および特色 編集

  • 帝塚山学院短期大学は開学以来、女子を対象とした短大となっていた。

沿革 編集

  • 1916年 財団法人帝塚山学院設立認可。
  • 1926年 帝塚山学院高等女学校が発足する。
  • 1950年 帝塚山学院短期大学開学。当初は大阪市住吉区帝塚山中3丁目にあった。
    • 文芸科Ⅰ部
    • 服飾科Ⅰ部
  • 1951年 学校法人帝塚山学院に組織変更。学科を設置する。
    • 文芸科Ⅰ部
    • 服飾科Ⅱ部
  • 1952年 学科の新設が行われる。文芸科・服飾科を募集停止する。
    • 文学科
      • 文芸専攻
        • Ⅰ部
        • Ⅱ部
      • 英文専攻
        • Ⅰ部
        • Ⅱ部
    • 家政科
      • 服飾専攻
        • Ⅰ部
        • Ⅱ部
      • 食物栄養専攻
        • Ⅰ部
        • Ⅱ部
  • 1969年 学科名を変更する。
    • 文科→文学科
    • 家政科→家政学科
  • 1986年 堺市へキャンパス移転。
  • 1997年度をもって募集を終了。学生数は文学科で326、家政学科で319となっている[6]。翌年度より帝塚山学院大学に一体化される。
  • 1999年 廃止される。

基礎データ 編集

所在地 編集

  • 堺キャンパス(大阪府堺市晴美台4-2-2[1]
  • 旧・住吉キャンパス(大阪府大阪市住吉区帝塚山中3-66)

教育および研究 編集

組織 編集

学科 編集

  • 文学科
    • 文芸専攻
    • 英文専攻
  • 家政学科
    • 服飾専攻
    • 食物栄養専攻
Ⅱ部が設置されていた学科・専攻
  • 文学科:[2]
    • 文芸専攻
    • 英文専攻
  • 家政科
    • 服飾専攻:[3]
    • 食物栄養専攻[4]

専攻科 編集

  • なし

別科 編集

  • なし

取得資格について 編集

資格
教職課程

大学関係者と組織 編集

大学関係者一覧 編集

歴代学長

出身者 編集

施設 編集

キャンパス 編集

  • 大学とは別に短大独自のキャンパスを擁していた。

対外関係 編集

系列校 編集

卒業後の進路について 編集

就職について 編集

編入学・進学実績 編集

  • 全学科を含めて、系列の帝塚山学院大学への編入学者が多いものとなっていた。

関連項目 編集

参考文献 編集

関連書物 編集

  • 『帝塚山学院年譜』(帝塚山学院編。1996年
  • 『帝塚山学院短期大学案内』(ビデオカセット)が帝塚山学院大学図書館に所蔵されているとの情報がある。

脚注 編集

  1. ^ a b 現在は、大阪府堺市南区晴美台4-2-2
  2. ^ a b c 募集は1978年度まで。1981年6月6日廃止。ちなみに、昭和54年度版『全国学校総覧』50頁の記述によると、最終募集が行われたとされる1978年度の在籍者は58、1979年度時点で30(昭和55年度版同書49頁)、1980年度時点で10(昭和56年度版同書51頁)となっており、翌年度以降は記載なしである。
  3. ^ a b 1981年6月6日廃止となっているが、昭和55年度版『全国学校総覧』49頁から、家政学科二部の在籍者9と記されているのを最後に、翌年度より家政学科二部の記述がない。1976年時点では34(昭和52年度版の同書49ページ)、1977年度時点では32(昭和53年度版の同書49ページ)、1978年度時点では21(昭和54年度版の同書50ページ)となっている。
  4. ^ a b 1968年3月31日、廃止される。
  5. ^ https://ci.nii.ac.jp/naid/10009282924より
  6. ^ 平成10年度版『全国学校総覧』85頁より
  7. ^ 教員養成課程認定大学短期大学一覧』(1955年)66頁より
  8. ^ 全国短期大学案内 96』(教学社)より

関連サイト 編集