様々な文化や文脈の中で、様々な形の平和の象徴(へいわのしょうちょう、平和のシンボル、英語: peace symbols)が用いられてきた。

ロシア連邦交流庁ロシア語版のエンブレムには、平和の象徴であるオリーブの枝と、それを咥えたが描かれている。

オリーブの枝は初期のキリスト教徒が象徴的に使用していたが、第二次世界大戦後にパブロ・ピカソが制作したリトグラフ』によって、世俗的な平和の象徴として広まった。

国際的に「ピースシンボル」や「ピースサイン」として知られるピースマークは、1958年にイギリスの反核運動核軍縮キャンペーン」(CND)で使用された、核による消滅の脅威を表すシンボルが起源となっている[1]。1960年代のアメリカの反戦運動で広く採用され、一般的に世界平和を表すものとして再解釈された。しかし、1980年代になっても、原子力発電に反対する活動家の間では、本来の反核の意味で使われていた。

ピースサイン(Vサイン)や平和の旗は、国際的な平和の象徴となった。

オリーブの枝 編集

古典古代 編集

 
1775年1月の『ロンドン・マガジン英語版』に掲載された版画。平和の女神がアメリカとブリタニア(それぞれアメリカ合衆国とイギリスの擬人化)にオリーブの枝を差し出している様子が描かれている。

西洋文明において、平和の象徴としてオリーブの枝が使われるようになったのは、少なくとも紀元前5世紀のギリシャまで遡る。古代ギリシャでは、オリーブの枝は豊かさを表し、悪霊を追い払うと信じられており[2]ギリシャ神話の平和の女神エイレーネーの持ち物の1つであった[3]ローマ帝国の硬貨にも、オリーブの枝を持った女神パークス(ギリシャ神話のエイレーネーに相当[3])が描かれている[4]

古代ローマの詩人ウェルギリウス(紀元前70年 - 紀元前19年)は、「ふくよかなオリーブ」[5]を女神パークスと結びつけ、『アエネーイス』の中でオリーブの枝を平和の象徴として用いている[6]

厳かなアイネアスの高みに立ち、
手にはオリーブの枝を持ち、
彼はこう言った。「フリギア人の腕を見よ。
トロイから追放され、イタリアで
ラティアの敵に挑発され、不当な戦争をした。
最初は手を携えていたが、最後は裏切られた。
このメッセージを伝えよ。「トロイ人とその長は
聖なる平和をもたらし 王の救済を乞う」

ローマ人にとって、戦争と平和には密接な関係があり、戦争の神マールスは、マールス・パシファー(平和をもたらすマールス)という別の側面があり、後のローマ帝国のコインにはオリーブの枝を持ったマールスが描かれている[7][8]アッピアノスは、ヌマンティア戦争におけるローマの将軍スキピオ・アエミリアヌスの敵[9]カルタゴハスドルバル・ボエタルク英語版[10]が、平和の象徴としてオリーブの枝を使用したことを記述している。

その後の表現 編集

 
ジェームズ・ソーンヒル『暴政に勝利する平和と自由』

17世紀の詩人たちは、オリーブの枝を平和と結びつけていた[11]。1644年のチャールズ1世の金貨には、剣とオリーブの枝を持った君主が描かれている[12]。18世紀を通じて、イギリスの硬貨には、槍とオリーブの枝を持ったブリタニアが描かれていた。

グリニッジの旧王立海軍大学には、ジェームズ・ソーンヒルによる寓意的な絵画『暴政に勝利する平和と自由』(Peace and Liberty Triumphing Over Tyranny)が所蔵されている。ウィリアム3世メアリー2世(イングランドを共同統治し、権利の章典を制定した)が天上に鎮座し、鳩と子羊を連れた平和が、ウィリアムにオリーブの枝を渡し、ウィリアムは絶対王政が支配するヨーロッパに自由の帽子を渡す。ウィリアムの下には、敗れたフランス王ルイ14世が描かれている[13]

1775年1月、『ロンドン・マガジン英語版』の表紙には、天から降りてきた平和の女神が、アメリカとブリタニアにオリーブの枝を授けるという版画が掲載された。同年7月、アメリカの大陸会議はイギリスとの本格的な戦争を回避するために、「オリーブの枝請願」を採択した[6]

アメリカ合衆国の国章に描かれているオリーブの枝は平和を意味している。国章の原案をデザインした大陸会議書記のチャールズ・トムソンは、「オリーブの枝と矢は、議会に独占的に与えられている平和と戦争の権限を示している」と説明した[6]

編集

キリスト教 編集

 
初期キリスト教における大洪水、バプテスマ、水、鳩、平和の関係を示す図。
 
ローマにある初期キリスト教のカタコンベである聖ペトルスとマルケリヌスのカタコンベ英語版の壁画。祈りのためのオランス英語版の姿勢をとったノアと、オリーブの枝を咥えた鳩が描かれている。
 
教会のステンドグラスに平和の鳩として描かれている聖霊降臨の様子。

平和の象徴としてのの使用は、初期のキリスト教に由来している。初期のキリスト教徒は、鳩を伴うイエスの洗礼を、しばしば墓に描いていた[8][14]

新約聖書では、鳩を、イエスの洗礼の際に降りてきた聖霊になぞらえている(マタイ3:16)[15]。紀元1世紀末頃に書かれた[16]ペトロの手紙一では、水による救いをもたらした大洪水は、洗礼を予見したものであると述べている(3:20-21)。

テルトゥリアヌス(160年頃 - 220年頃)は、ヘブライ語聖書に登場するノアの鳩を、「方舟から送り出されてオリーブの枝を持って戻ってきたとき、神の怒りが和らいだことを世界に告げた」とし、「天から送り出された神の平和をもたらす」洗礼における聖霊と比較した[17]

当初、鳩は主観的な個人の平和の体験、つまり魂の平安を表しており、最古のキリスト教美術では洗礼の表現に添えられていた。2世紀末(例えばテルトゥリアヌスの著書[18])には、鳩は社会的・政治的な平和、すなわち「諸国民への平和」も表しており、3世紀以降は、ノアと方舟、ダニエルとライオン、炉の中の三人の若者英語版スザンナと長老たちなど、対立を描いた作品にも登場するようになった[19][20]

鳩は、ローマのカタコンベにあるキリスト教の碑文にも登場し、時には、in pace(ラテン語で「平和のうちに」の意)という言葉を伴っている。例えば、カリクストゥスのカタコンベ英語版では、鳩と枝が次のラテン語の碑文の横に描かれている。"NICELLA VIRCO DEI OVE VI XIT ANNOS P M XXXV DE POSITA XV KAL MAIAS BENE MERENTI IN PACE"(神の処女であるニセラは、35年ほど生きた。彼女は5月のカレンデスの15日前(4月17日)に(ここに)置かれた。安らかに眠るべき者のために)[21]。別の例では、浅いレリーフに、ギリシャ語で"ΕΙΡΗΝΗ"(エイレーネー、平和)と記された人物のもとへ、枝を持った鳩が飛んでいる[22]。このシンボルは、チュニジアスース(古代カルタゴ)にある紀元1世紀末のキリスト教のカタコンベからも発見されている[23][24][25]

キリスト教において、象徴としてのオリーブの枝は常に鳩が持っているが、これはギリシャ語の用法とヘブライ語聖書ノアの方舟の物語に由来している[26]。ノアの方舟の物語は、摘み取ったばかりのオリーブの葉(ヘブライ語: עלה זית alay zayit)を鳩が持ってくるところで終わっている(創世記 8:11)。これは、大洪水の後の生命の証であり、神がノアとその家族、動物たちを陸地に連れてきたことを示している。ラビ派の文献では、オリーブの葉を「イスラエルの地の若芽」と解釈したり[27]、鳩が人間のための甘い食べ物ではなく、神のための苦い食べ物を好むと解釈したりしていた[28][29][30]。ユダヤの思想においては、鳩もオリーブの枝も平和を表すものではなかったが、キリスト教でその意味を獲得した。

313年の教会の和平英語版によってローマがキリスト教徒への迫害をやめる以前は、ノアは通常、祈りの姿勢で描かれていた。グレイドン・スナイダーによれば、「ノアの物語は、ローマの迫害という脅威的な環境に耐えうる器として、初期キリスト教共同体に敬虔さと平和を表現する機会を与えた」という[19]。また、ルートヴィヒ・ブッデやピエール・プリジェントは、鳩はノアの平和ではなく聖霊の降臨を意味するとしている。教会の和平以降、キリスト教美術においてノアが登場することは少なくなった[19]

4世紀に出版されたノアの物語のラテン語訳で、ヒエロニムスは、創世記8章11節の「オリーブの葉」(ヘブライ語alé zayit)を「オリーブの枝」(ラテン語でramum olivae)と表現した。これは、洗礼によってもたらされる平和と、大洪水の終焉によってもたらされる平和がキリスト教的に等価であることを反映していると考えられる。5世紀には、オリーブの枝を咥えた鳩がキリスト教における平和の象徴として定着しており、アウグスティヌスは著書『キリスト教の教え英語版』(De doctrina Christiana) の中で、「永遠の平和は、鳩が方舟に戻るときに持ってきたオリーブの枝 (olleae ramusculo) によって示される」と書いている[31]

ホルカム英語版聖書などの中世の装飾写本では、鳩が枝を持ってノアのもとに戻ってくる様子が描かれている[32]。14世紀のウィクリフの聖書英語版では、創世記8:11で"a braunche of olyue tre with greene leeuys"(緑の葉をつけたオリーブの木の枝)と表現している[33]

世俗的表現 編集

 
ピカソの『鳩』を元にした敷石
15世紀
ニッコロ・マキャヴェッリを主事とする「自由と平和の十人委員会」として知られるフィレンツェの委員会Dieci di Balia[34]の印章には、Pax et Defencio Libertatis(平和と自由の擁護)という標語とともに、オリーブの枝を咥えた鳩が使われていた[35]
18世紀
18世紀のアメリカでは、ノースカロライナ州の2ポンド紙幣(1771年)に鳩とオリーブが描かれており、「平和の回復」という州のモットーを表していた。1778年のジョージア州の40ドル紙幣には鳩とオリーブ、短剣を持つ手が描かれており、「戦争か平和か、両方に備える」という意味のモットーが書かれていた[6]
19世紀
1816年クエーカー教徒の主導で結成された「恒久的かつ普遍的な平和の促進のための協会」(通称「ロンドン平和協会」)は、鳩とオリーブの枝をシンボルにしていた[36]
20世紀
パブロ・ピカソが制作したリトグラフ』は、伝統的で写実的な鳩の絵で、オリーブの枝は描かれていないが、1949年4月にパリで開催された世界平和評議会のエンブレムに選ばれた[37]。この鳩は、平和運動と共産党の理想を象徴するものとなり、当時の共産党のデモでも使用された。1950年にシェフィールドで開催された世界平和評議会で、ピカソは父親から鳩の絵を教わったと語り、「私は、死よりも生を、戦争よりも平和を支持する」と締めくくった[38][39]。1952年にベルリンで開催された世界平和評議会では、舞台上のバナーにピカソの『鳩』が描かれた。鳩のシンボルは、戦後の平和運動で多用された。反共主義者は、平和の鳩を独自に解釈していた。フランスのPaix et Libertéというグループは、平和の鳩がソ連の戦車へと変化する様子を描いたポスターを配布した[40]

ピースマーク 編集

 
ピースマーク。元々は1958年にイギリスの核軍縮キャンペーン(CND)のロゴとしてデザインされ、後に平和の象徴として広く知られるようになった。

今日知られているピースマーク(ピースシンボル)は、1958年にジェラルド・ホルトム英語版によって、イギリスの平和運動の最前線にいたグループである核軍縮キャンペーン(CND)のロゴとしてデザインされ[41]、アメリカなどでの反戦運動カウンターカルチャーの活動家により採用された。このシンボルは、手旗信号の"N"と"D"を重ね合わせたもので、「核軍縮英語版」(Nuclear Disarmament)を意味する[42]と同時に、ゴヤの1814年の作品『マドリード、1808年5月3日』(別名『プリンシペ・ピオの丘での虐殺』)において銃殺隊に対峙する反乱者を表しているとされている[43]。このマークは、Unicodeその他の記号ブロックにU+262E peace symbolとして収録されている。

虹色の旗 編集

 
バルコニーに掲げられた平和の旗(イタリアにて)

国際的に、虹色に「平和」を意味する単語を書いた旗は平和の旗とみなされている。この旗は、イタリアの平和主義者で社会哲学者のアルド・カピチニ英語版1961年ペルージャからアッシジへの平和行進を行った際に初めて使用された。イギリスの平和行進で使われていた平和旗からヒントを得たもので、ペルージャの女性たちに急遽、色のついた細長い布を縫い合わせてもらった[44]。この行進は、1961年以降何度も行われ、最近では2010年に行われた[45]。オリジナルの旗は、カピチニの協力者であるLanfranco Mencaroniがトーディ近郊のCollevalenzaで保管している[44]

この旗は虹色の7本のストライプで、中央に"Peace"の文字が入っているのが一般的である。この旗のデザインについては、次のように説明されている。

大洪水の記述において、神は二度と大洪水を起こさないことを約束し、その契約の証として、空に虹をかけた。虹は、地と空、ひいては全ての人間の間の平和の象徴となった[44]

旗の色は通常、上から紫、藍、青、緑、黄、橙、赤となっているが、青の下に紫のストライプが入っているもの(右の写真のようなもの)や、上に白のストライプが入っているものもある[46]。カピチニが製作した最初の平和の旗では、赤、橙、白、緑、紫、藍、ラベンダーとなっている[44]

Vサイン 編集

Vサインは、手のひらを外側に向け、人差し指と中指を開き、他の指は閉じた状態で行うジェスチャーである。第二次世界大戦中には、勝利(victory)の"V"の意味として、勝利を表すために使われていた[47]。1960年代のアメリカで、ベトナム戦争に反対する活動家が、その後の反戦運動の中で、平和の象徴としてこのジェスチャーを取り入れた[48]

折鶴 編集

 
折鶴

折鶴が平和の象徴として広まったきっかけは、広島市への原子爆弾投下により被爆し、後に白血病で死亡した佐々木禎子が、生前に病気の恢復を祈って折鶴を折り続けたというエピソードによるものである。この物語は、カルル・ブルックナーの『サダコは生きる』(Sadako will leben)やエレノア・コアの『サダコと千羽鶴』(Sadako and the Thousand Paper Cranes)によって世界で知られるようになった[49]。そのため折鶴や千羽鶴が平和の象徴としてとらえられ、広島平和記念公園などに供えられている。また広島平和記念資料館には2016年に同地を訪問したアメリカのバラク・オバマ大統領が自ら折って持参した折り鶴がメッセージとともに展示されている。2017年には同大統領から長崎市にも折り鶴が贈られた。長崎の爆心地を中心に作られた平和公園には「折鶴の塔」がある。

壊された銃 編集

 
戦争抵抗者インターナショナル英語版の「壊された銃」のシンボル

戦争抵抗者インターナショナル英語版(WRI)とその関連団体は、壊された銃をシンボルとして使用している。このシンボルは、1921年にWRIが設立される以前から使用されていた。このシンボルの最初の例は、オランダの国際反軍国主義連合の月刊紙"De Wapens Neder"(武器を捨てよ)の1909年1月号のマストヘッドである。1915年には、ノルウェー社会民主主義青年協会が発行したパンフレット"Under det brukne Gevær"(壊された銃の下で)の表紙にも登場している。

1921年10月16日ラ・ルビエールを行進するベルギーの労働者は、兵士が自分の銃を壊す様子を描いた旗を持っていた。兵役を拒否したドイツ人のエルンスト・フリードリッヒは、ベルリンに設立した反戦博物館の入口のドアに壊された銃のレリーフを施した。また、この博物館では、壊された銃をデザインしたバッジ、ブローチ、ネクタイピンなどを配布している[50]

白いポピー 編集

1933年、ヨーロッパで戦争への恐怖が広がっていた時期に、協同組合女性ギルド英語版白いポピーを配布するという活動を始めた[51]。元々、イギリス退役軍人会英語版第一次世界大戦で亡くなった軍人を記念して赤いポピーを配布しており[51]、その代わりとなるものだった。1934年には、戦間期のイギリス最大の平和団体であった平和誓約連合英語版(PPU)が、戦争を二度と起こしてはならないという平和への誓いとして白いポピーを配布し、白いポピーの花輪を供えた。

リョーリフの平和のバナー 編集

 
レーリヒ条約(国際文化財保護条約)のロゴ

ロシアの芸術家、文化活動家、哲学者であるニコライ・リョーリフ(ニコライ・レーリヒ)は、文化財保護のための運動を立ち上げた。そのシンボルマークは、白地にマロン色で、3つの円を大きな円で囲んだものである。このマークは、平和のバナーとしても使われている。1935年、リョーリフの主導により文化財保全を目的とした国際条約であるレーリヒ条約英語版(国際文化財保護条約)がアメリカ合衆国とラテンアメリカ諸国によって締結され、「歴史的なモニュメント、博物館、科学、芸術、教育、文化機関」を平時、戦時を問わず保護することが合意された。

リョーリフ記念館は、このマークについて次のように説明している。

平和のバナーのシンボルの起源は古い。おそらく石器時代のお守りに描かれていたのが最も古いもので、3つの点で構成され、円で囲まれていない。リョーリフは世界各地で数多くの例を目にし、このシンボルが存在の三位一体性に対する深く洗練された理解を表していることを知った。しかし、リョーリフは、バナーと条約の目的においては、円は文化の総体を表すものとし、3つの点は人間の文化活動の中で最も包括的なものである芸術、科学、宗教を表しているとした。また、円は過去・現在・未来を包括する時間の永遠性を表しているとも述べている。全ての宗教の基本である三位一体を表したこのシンボルの神聖な起源は、今日の条約とバナーの意味の中心になっている[52]

捕食者と被食者が一緒に寝る 編集

聖書イザヤ書第11章には、捕食者と被食者が仲良く寝そべっている姿が描かれている。

おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
イザヤ書11:6-8
 
紀元前550年頃のリュディアクロイソスの硬貨。ライオンと牡牛が描かれており、それぞれリュディアとギリシャの同盟を象徴しているとも言われている。

リュディアは世界で初めて硬貨を導入した国として知られている。最後の王クロイソスが即位後最初に発行した硬貨には、リュディアを象徴する咆哮するライオンと、ギリシャ神話の神ゼウス[53]の化身の一つである雄牛[54]が向かい合った絵が刻まれている(ライオンを狩猟に使う場合には通常、獲物の後ろから襲わせる)。これは、リュディアとギリシャの平和的な同盟関係を表すものである。

シャローム 編集

ヘブライ語の「シャローム」(שָׁלוֹם)、アラビア語の「サラーム」(سلام‎)、英語の「ピース」(peace)という「平和」を意味する3つの単語を組み合わせたワードマークは、中東の平和の象徴として使われてきた。このシンボルは、中東和平と中東戦争の終結を象徴するものとなっている。この言葉だけが書かれた壁掛けプレートや看板、Tシャツ、ボタンなどが販売されている[55]

日本の平和の鐘 編集

 
日本の平和の鐘

日本の平和の鐘は、国際連合本部ビルに平和の象徴として設置されている釣鐘である。1954年、まだ国際連合への加盟が承認されていなかった日本から寄贈された。

脚注 編集

  1. ^ Nuclear Disarmament Symbol Drawings”. The Peace Museum's Collection. The Peace Museum, Bradford. 2014年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月19日閲覧。"
  2. ^ Rupert Graves, The Greek Myths, Harmonsdsworth: Penguin Books, 1962, Section 53.7
  3. ^ a b Theoi Greek Mythology”. Theoi.com. 2012年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  4. ^ Coins of Roman Egypt”. Coins of Roman Egypt. 2012年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  5. ^ Virgil, Georgics, 2, pp. 425 ff (trans. Fairclough)
  6. ^ a b c d Aeneas Offers an Olive Branch in Virgil's Aeneid”. www.greatseal.com. 2021年7月17日閲覧。
  7. ^ Ragnar Hedlund, "Coinage and authority in the Roman empire, c. AD 260–295", Studia Numismatica Upsaliensia, 5, University of Uppsala, 2008
  8. ^ a b James Elmes, A General and Bibliographical Dictionary of the Fine Arts, London: Thomas Tegg, 1826 Archived 2 January 2014 at the Wayback Machine.
  9. ^ Appian, The Spanish Wars 19 - Livius”. www.livius.org. 2005年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月17日閲覧。
  10. ^ Nathaniel Hooke, The Roman history: From the Building of Rome to the Ruin of the Commonwealth, London: J. Rivington, 1823
  11. ^ Anselment, Raymond A. (1988). A. Anselment, Loyalist resolve: patient fortitude in the English Civil War, Associated University Presses, 1988. ISBN 9780874133387. オリジナルの19 June 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130619050555/http://books.google.com/books?id=xrO_1qyt5mUC&pg=PA27&dq=peace+descends+on+a+cloud&hl=en&ei=FZ2uTY--NIKHhQeg8oXfAw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&sqi=2&ved=0CC0Q6AEwAA#v=onepage&q=olive&f=falseRaymond 2012年2月21日閲覧。 
  12. ^ Coins of Quality: The art of Coins”. Petitioncrown.com. 2012年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  13. ^ Old Naval College Archived 26 June 2007 at the Wayback Machine.
  14. ^ Catholic Encyclopedia, Roman Catacombs: Paintings”. Newadvent.org (1908年11月1日). 2012年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  15. ^ Catholic Encyclopedia Dove: As an artistic symbol”. Newadvent.org (1909年5月1日). 2012年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  16. ^ The Early Christian World, Volume 1, p.148, Philip Esler
  17. ^ Hall, Christopher A. (30 January 2010). Hall, Christopher A., Worshipping with the Church Fathers, InerVarsity Press, 2009, p.32. ISBN 9780830838660. オリジナルの16 June 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130616122125/http://books.google.com/books?id=zkvl7ZwGQhMC&q=dove#v=snippet&q=dove&f=false 2012年2月21日閲覧。 
  18. ^ " ... praeco columba terris adnuntiavit dimissa ex arca et cum olea reversa – quod signum etiam ad nationes pacis praetenditur eadem dispositione spiritalis effectus terrae ... " Tertullian, On Baptism, Chapter 8 Archived 24 December 2016 at the Wayback Machine.
  19. ^ a b c Graydon D. Snyder, Ante Pacem: archaeological evidence of church life before Constantine, Macon: Mercer University Press, 2003
  20. ^ John Dominic Crossan, Inventory of Biblical Scenes on Pre-Constantinian Christian Art”. Faculty.maryvillecollege.edu.. 2012年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  21. ^ Bene Merenti – Inscriptions from the Roman Catacombs”. Usask.ca. 2012年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  22. ^ David Salmoni”. 2012年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  23. ^ Encyclopædia Britannica, 1911”. Theodora.com (2011年1月25日). 2012年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  24. ^ Where the stones cry out”. The Moslem World (1922年10月). 2012年2月21日閲覧。
  25. ^ The Sousse Catacombs”. Patrimoinedetunisie.com.tn. 2012年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  26. ^ Graydon F. Snyder, "The Interaction of Jews with Non-Jews in Rome", in Karl P. Donfreid and Peter Richardson, Judaism and Christianity in Early Rome, Grand Rapids: Wm B. Ferdman, 1998
  27. ^ [1]Genesis Rabbah 33:6'
  28. ^ Babylonian Talmud Sanhedrin 108b”. Halakhah.com. 2012年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  29. ^ Eruvin 18b”. 2012年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  30. ^ Rashi”. Tachash.org. 2018年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  31. ^ Augustine of Hippo, On Christian Doctrine. (1883). ISBN 9781593774943. オリジナルの19 June 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130619194156/http://books.google.com/books?id=51dMXa3SmlgC&pg=PA42&lpg=PA42&dq=%22augustine+of+hippo%22+%2B%22olive+branch%22&source=bl&ots=bj0YbrdtY_&sig=83aD_pOaUFQMPiuJ6ZkRKBnnQJY&hl=en&ei=YwevTcPSK4a7hAeW8fzdAw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CBYQ6AEwAA#v=onepage&q=olive%20branch&f=false 2012年2月21日閲覧。 
  32. ^ British Library, The Holkham Bible”. Bl.uk (2003年11月30日). 2012年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  33. ^ Wycliffe Bible, Gen 8:11”. Studylight.org. 2012年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  34. ^ Mattingly, Gareth, "Michiavelli", in Plumb, J.H., The Horizon Book of the Renaissance, London: Collins, 1961
  35. ^ "Commission and instruction to Niccolo Machiavelli, Sent to Sienna by the Ten of Liberty and Peace", in Niccolo Machiavelli, The Historical, Political, and Diplomatic Writings, vol. 3 (Diplomatic Missions 1498–1505)”. Oll.libertyfund.org. 2010年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  36. ^ Santi, Rainer, 100 years of peace making: A history of the International Peace Bureau and other international peace movement organisations and networks, Pax förlag, International Peace Bureau, January 1991”. Santibox.ch. 2012年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  37. ^ Museum of Modern Art”. Moma.org (1949年1月9日). 2012年2月21日閲覧。
  38. ^ Tate Gallery”. Tate.org.uk. 2012年2月21日閲覧。
  39. ^ BBC Modern Masters”. BBC. 2012年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  40. ^ Princeton University Library”. Infoshare1.princeton.edu. 2012年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  41. ^ The CND symbol”. Cnduk.org (2014年1月22日). 2011年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月19日閲覧。
  42. ^ Breyer, Melissa (2010年9月21日). “Where did the peace sign come from?”. Shine. Yahoo!. 2012年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月30日閲覧。
  43. ^ History of the Symbol” (英語). Campaign for Nuclear Disarmament. 2019年5月8日閲覧。
  44. ^ a b c d The Story of the Peace Flag Archived 3 March 2016 at the Wayback Machine. (Italian)
  45. ^ "The Perugia-Assisi Peace March", Paolo Andruciolli, rassegna.it, 14 May 2010 (Italian)” (イタリア語). Rassegna.it. 2012年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  46. ^ Pace Oggi (Peace Today) (Italian)”. Scuoleingioco.it. 2012年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  47. ^ Archived copy”. 2016年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月15日閲覧。
  48. ^ "The Japanese Version (the Sign of Peace)" Archived 21 June 2008 at the Wayback Machine., Icons website. Retrieved 29 July 2007
  49. ^ http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0107/exh01075.html
  50. ^ Bill Hetheringon, Symbols of Peace, Housmans Peace Diary 2007,' London: Housmans, 2006
  51. ^ a b Margaret Llewelyn Davies (1861–1943) and Emmy Freundlich (1878–1948)”. Women of Conviction. Hull Women's Archives. 2008年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月19日閲覧。
  52. ^ "Pact and Banner Of Peace Through Culture" Archived 16 March 2013 at the Wayback Machine., Nicholas Roerich Museum, New York
  53. ^ Perseus 1:2.7 – http://data.perseus.org/citations/urn:cts:greekLit:tlg0548.tlg001.perseus-eng1:2.7 – "[Hercules] had Agelaus, from whom the family of Croesus was descended."
  54. ^ 1912–1996., Grimal, Pierre, (1991). The Penguin dictionary of classical mythology. Kershaw, Stephen. ([Abridged ed.] ed.). London, England: Penguin Books. ISBN 0140512357. OCLC 25246340.
  55. ^ the music band called "emma's revolution". “online retail page for the music band called "emma's revolution"”. 2008年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月30日閲覧。

外部リンク 編集