平城宮

平城京の大内裏
平城宮跡から転送)

平城宮(へいじょうきゅう、へいぜいきゅう)は、平城京大内裏1998年平成10年)12月、「古都奈良の文化財」として東大寺などと共に世界遺産に登録された(考古遺跡としては日本初)。

復元された第一次大極殿

座標: 北緯34度41分26.5秒 東経135度47分39.5秒 / 北緯34.690694度 東経135.794306度 / 34.690694; 135.794306

平城宮の位置(奈良県内)
平城宮
平城宮
位置図

歴史

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平城宮主要部の模型(奈良市役所所蔵平城京1/1000模型の一部)
北側から見る
 
平城宮唯一の建築遺構である唐招提寺講堂

平城京の北端に置かれ、天皇の住まいである内裏すなわち内廷と、儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う官衙のいわゆる外朝から成り、約120ヘクタールを占めていた。周囲は5メートル程度の大垣が張り巡らされ、朱雀門を始め豪族の姓氏に因んだ12の門が設置され、役人等はそれらの門より出入りした。東端には東院庭園がおかれ、宴等が催された。この東院庭園は今日の日本庭園の原型とされている。

ただし、平城京に都が置かれていた70年余りの間に何度か大規模な改築[注釈 1]が実施されており、その間に平城宮内部の構造も変化している部分もあったが、そのことが後世の研究家に認識されることは少なく、実際に本格的な発掘が実施されるまで誤った推定が行われる遠因となった。

784年(延暦3年)に長岡京に遷都され、その後平城上皇大極殿(第一次)跡地に新しい宮(平城西宮)を造営して居住したこともあったが、やがて平安京が都としての地位を確定すると放置され、しだいに農地となっていった。

1852年(嘉永5年)、奉行所の役人であった北浦定政が『平城宮大内裏跡坪割之図』を著し、平城京の跡地を推定した。明治時代に建築史家、関野貞が田圃の中にある小高い芝地が大極殿(第二次)の基壇である事を発見、1907年(明治40年)に『平城京及大内裏考』を奈良新聞に発表した。ただし、関野の研究は大極殿(第一次)の恭仁京への移転を含む平城宮の度重なる改築の事実を認識できず大極殿(第一次)を内裏の遺構と誤認したこと、中宮(中宮院とも、聖武・淳仁天皇の御在所)を無条件で内裏の別称と解したこと、内裏位置の誤認のために実際の内裏区域に対してはほとんど関心を払わなかったことなど、今日からみれば問題となる部分を含んでいた[2]

この研究記事がきっかけとなり、棚田嘉十郎溝辺文四郎らが中心となり平城宮跡の保存の運動が起こった。1921年(大正10年)には、平城宮跡の中心部分が民間の寄金によって買い取られ、国に寄付された。その後、「平城宮跡」は1922年(大正11年)に国の史跡に指定された(後に特別史跡[3]。この時、上田三平を中心として発掘作業が実施されて大極殿(第二次)の北方(すなわち実際の内裏区域)にも遺構があることを確認した。ただし、上田もこれが内裏の一部であるとする認識には至らなかった。1928年(昭和3年)にも岸熊吉の発掘調査で今日内裏の東大溝として知られている部分を発見しているが、岸も内裏との関連性に気付くことはなかった。

大規模な発掘調査はその後、1953年(昭和28年)・1955年(昭和30年)に実施したが、内裏に関する関野説の誤りを指摘して正確な内裏の跡地の推定をしたのは、1960年(昭和35年)の奈良国立文化財研究所の発掘調査に参加した工藤圭章であった[4]。戦後に「址」(し・あと)が常用漢字外であるため「平城宮跡」と書かれるようになる。1960年代近鉄電車の検車庫問題と国道建設問題に対する二度の国民的保存運動が起こった。現在は、ほぼ本来の平城宮跡地が指定され保存されている。

なお、唐招提寺の講堂(国宝)は平城宮朝堂院にあった建物の一つである東朝集殿を移築したものである。切妻屋根を入母屋にしたり、鎌倉時代の様式で改造されている箇所もあるが、平城宮唯一の建築遺構として貴重である。

また2015年度(平成27年度)には、平安京大内裏豊楽院での発掘調査によって豊楽殿(豊楽院中心施設)の規模が平城宮第2次大極殿と一致することが判明しており、第2次大極殿は平安京へ移築された説が生じている[5]

文化財

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国宝

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  • 平城宮跡出土木簡 3184点(古文書) - 2017年(平成29年)9月15日指定、奈良文化財研究所保管。
    2017年(平成29年)9月15日付けで、既指定の重要文化財4件(下記(a) - (d))を統合し、これに未指定の木簡309点(平城宮跡内の5地点から出土したもの[6])を追加指定のうえ、「平城宮跡出土木簡 3184点」の名称であらためて国宝に指定した[7][8]
    (a)「平城宮跡大膳職推定地出土木簡 39点」 - 2003年(平成15年)5月29日、重要文化財指定。
    (b)「平城宮跡内裏北外郭官衙出土木簡 1785点」 - 2007年(平成19年)6月8日、重要文化財指定。
    (c)「平城宮跡内膳司推定地出土木簡 483点」 - 2010年(平成22年)6月29日、重要文化財指定。
    (d)「平城宮跡造酒司出土木簡 568点」 - 2015年(平成27年)9月4日、重要文化財指定。

国の特別史跡

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  • 平城宮跡
    1922年(大正11年)10月12日、国の史跡に指定[9]
    1936年(昭和11年)7月14日、史跡範囲の追加指定[9]
    1952年(昭和27年)3月29日、国の特別史跡に指定[9]
    1965年(昭和40年)6月14日・1970年(昭和45年)5月11日・1979年(昭和54年)11月24日・1991年(平成3年)6月10日、史跡範囲の追加指定[9]

国の特別名勝

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  • 平城宮東院庭園
    • 2009年(平成21年)7月23日、国の名勝に指定[10]
    • 2010年(平成22年)8月5日、国の特別名勝に指定[10]

関連文化財

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  • 奈良山瓦窯跡 - 国の史跡。平城宮の瓦の供給窯[11]

整備計画

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復元工事中の第1次大極殿(写真中央)。背後に東大寺大仏殿や若草山がみえる(2010年1月)
 
復元された第一次大極殿
 
復元された第一次大極殿の扁額
 
復元された第一次大極殿の内部

文化庁による「特別史跡平城宮跡保存整備基本構想」[12]に基づき、遺跡の整備・建造物の復元を進めている。費用は全額国費で行われる[13][注釈 2]。既に第一次大極殿(2010年竣工)・朱雀門1998年竣工)[15]・宮内省地区・東院庭園地区の復元(2001年[15]が完了している。

2010年(平成22年)4月23日、第一次大極殿の完成記念式典が行われ皇太子徳仁親王が出席し[16]、旧暦の3月10日に当たるこの日は、1300年前の710年(和銅3年)、元明天皇藤原京から平城京遷都した日である。

また、国営公園化が決定しており[14]国土交通省主管で、敷地内を横切る近鉄奈良線奈良県道104号谷田奈良線(一条条間大路)の移設が検討されている。奈良県道104号谷田奈良線の移設には周辺地域の住居立ち退きが必要であり、近鉄奈良線については新大宮駅も含めて大宮通りに移設し地下化することが検討されている[17]2017年(平成29年)、移設に向けての協定が結ばれた[18][19]

なお、整備計画区域内の朱雀門南西側には、かつて積水化学工業の奈良工場があった。工場の敷地の一部が朱雀大路跡地に掛かっている為、奈良市が約24億円を投じて移転用地を確保したものの、2000年(平成12年)1月に同社から業績の悪化を理由に移転断念の申し入れがあり、一旦は移転を断念した[20]。しかし、2012年(平成24年)に合意がまとまり[21]、工場は2014年(平成26年)中に大和郡山市へ移転[22]。跡地は交通ターミナルになっている。

特別史跡、世界遺産と規制

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特別史跡としての整備事業は奈良文化財研究所(1965-2000 (昭和40-平成12) 年度)、文化庁文化財部記念物課(2001年度-)が直轄で実施し、国営公園の整備は国土交通省が行う[23]。国営公園内にある平城宮跡は世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産であるため、大規模な復原または新規工事等の現状変更に当たって、文化財保護法の規制に加えて世界遺産委員会から手続き等を求められる[24]。文化庁の指摘によると、特別史跡管理団体である奈良県が平城宮跡の今後の保存管理を行う上で「特別史跡平城宮跡保存管理計画」を策定することが急務とされた[25]

2007年度までに文化庁文化財部記念物課が直轄で国有化した土地109ヘクタールは当面国有化すべき土地の約98%であって、特別史跡の指定地約131ヘクタールの約83%を含む[26]。当初、国営公園は平城宮跡南方の史跡「平城京朱雀大路跡」及びその周囲の未指定地を加えた約120ヘクタールうちおよそ70ヘクタールを国営公園事業で整備すると想定され[注釈 3]、また特別史跡指定地内にある佐紀町集落、東部の法華寺町集落等を除外している。

平城宮跡歴史公園

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朱雀門(復元)
 
東院庭園
 
大極殿南の復元門

平城宮跡の区域は2008年(平成20年)度に事業化が決まると、仮称「国営飛鳥・平城宮跡歴史公園」に含まれることとなった。開園後、公園中心部の第1次大極殿より南側の第1次朝堂院及び同南面広場を経て、南北に貫く通りに沿って朱雀門の面する二条大路と門外の朱雀大路まで整備を進めている。2018年3月24日から朱雀大路を挟んで向かい合う国営施設と県営施設の供用を開始。合わせて親しみやすいように国営公園の通常の名称「国営平城宮跡歴史公園」に代わって、「平城宮跡歴史公園」と呼んでいる[28]。 平城宮のメインストリートである朱雀大路と二条大路を復元、往時の広大さがわかる空間を設けてあり、東側に配した平城宮跡展示館では、奈良時代の生活文化の紹介など学習の機会を設けてある。また平城宮の正門であり、奈良時代にも都を訪れる人たちを迎えた・朱雀門に臨むことから、西側に奈良県が公共交通機関の発着所や食事・土産物販売などのサービス機能を集約している。

中央部
  • 第1次大極院殿 - 2010年復元完了。奈良時代の宮殿の姿あるいは建築技術、行われた儀式などを体験的に理解する[29]
  • 第1次朝堂院[27]
  • 第1次朝堂院 南面広場[27]
  • 朱雀大路[27]
  • 大極門[30]
  • 平城宮いざない館 - 平城宮跡展示館(国営)。平城宮の往時の姿や生活文化を映像や出土品、建造物の大型模型から体験する[27]。公園管理センターを兼ねる。
  • 朱雀門ひろば[27]
    • 天平うまし館 - 飲食・交流施設(県営)
    • 天平つどい館 - 団体集合施設(県営)
    • 天平みつき館 - 観光案内・物販施設(県営)
    • 天平みはらし館 - 休憩、宮跡展望施設(県営)
東側
  • 北方官衙[27]
  • 内裏[27]
  • 第2次大極殿 - 奈良時代後半の平城宮の中心施設。基壇を復元。特別史跡平城宮跡を見渡す眺望が優れている[29]
  • 第2次朝堂院[27]
  • 朝集殿院[27]
  • 遺構展示館 - 発掘された遺跡の上に建てられており、見学できる。奈良時代の平城宮の官衙建物の遺構をそのまま公開。平城宮跡の遺構や遺構から推定される奈良時代の建築を体験[29]
  • 宮内省 - 建物群、築地が復元されている。遺構展示館の南西にあり、平城宮跡の遺構や遺構から推定される奈良時代建築を体験[29]
  • 兵部省 - 基壇・礎石が復元されている。
  • 東院庭園 - 平城宮の宴遊施設。庭園遺構が修復整備され、正殿、橋、門などが復元されている。国の特別名勝。奈良時代の宮廷の儀式や生活を体験する[29]
西側
  • 湿地環境の保護区域
  • 考古資料の研究・保管施設
  • 広場[27]
過去の施設
  • 平城宮跡休憩展望施設(旧平城京歴史館) - 平城京歴史館は平城遷都1300年祭平城宮跡会場オープンと同時に開館し閉幕と同時に休館したが、2011年4月23日より再開。2016年6月30日に閉館[31]
  • 平城宮跡資料館 - 全体模型、大極殿院模型など。

注釈

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  1. ^ 元正天皇在位期・恭仁京からの還都直後・孝謙天皇即位時・淳仁天皇在位期・光仁天皇即位時に改築が実施されたことが知られている[1]
  2. ^ 国有化の方針を打ち出した1962 (昭和37) 年の翌1963年より、民有地の買い上げを開始。1973年より奈良県は国の受託事業として県債を発行、特別史跡指定地内の土地を積極的に買い上げた。その利息・事務費は毎年度、一定額ずつ国が買戻してきた[14]
  3. ^ 公園にするために特別史跡の現状変更を伴うことから、文化財保護法第125条または第168条に従って文化庁長官の同意を得て実施した。あるいは文化財保護法第113条に基づく特別史跡の指定管理者は奈良県、国有地の管理は奈良文化財研究所(1965-2000 (昭和40-平成12) 年度)から所有者である文化庁直轄(2001年度より文化財部記念物課)に移行。

脚注

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  1. ^ 橋本、2011年、P27・P207-224・P233-270。
  2. ^ 橋本、2011年、P81-84。
  3. ^ 国指定 史跡・名勝・天然記念物一覧”. 奈良市. 2017年10月13日閲覧。
  4. ^ 橋本、2011年、P84-93。
  5. ^ “京都、平安宮豊楽殿の規模確定/平城宮大極殿を移築か”. 四国新聞. (2015年12月1日). オリジナルの2015年12月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151203210408/http://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/20151201000538 2017年12月12日閲覧。 
  6. ^ 渡辺晃宏、「001「平城宮跡出土木簡」の国宝指定答申について」『奈文研ニュース』 No.65 p.1, 国立文化財機構奈良文化財研究所
  7. ^ 平成29年9月15日文部科学省告示第115号。
  8. ^ 国宝・重要文化財の指定について(文化庁サイト)
  9. ^ a b c d 平城宮跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  10. ^ a b 平城宮東院庭園 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  11. ^ 奈良山瓦窯跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  12. ^ (PDF) 特別史跡平城宮跡保存整備基本構想. 文化庁. (1978-05-26). https://www.mlit.go.jp/common/000030194.pdf 2017年12月9日閲覧。. 
  13. ^ 産経ニュース(リンク切れ)
  14. ^ a b 特別史跡平城宮跡保存整備基本構想推進計画. 文化庁. (2008-05-13). p. 5. https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/kinenbutsu/daigokuden/pdf/heijyoukyu_hozon_keikaku.pdf 2017年12月9日閲覧。. 
  15. ^ a b 文化庁 2008, pp. 6–8.
  16. ^ 2010年4月23日 平城宮跡 第一次大極殿完成記念式典”. 奈良県知事室 (2010年4月23日). 2017年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月9日閲覧。
  17. ^ “奈良県、近鉄線移設で調査開始 平城宮跡横断の区間”. 日本経済新聞. (2017年1月19日). オリジナルの2017年1月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170119230301/http://www.nikkei.com/article/DGXLZO11848650Y7A110C1LDA000/ 2017年12月9日閲覧。 
  18. ^ “駅中心のまちづくり目指す連携協定”. 奈良テレビ放送. (2017年4月7日). オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171209204125/http://www.naratv.co.jp/sp/news/20170407/20170407-05.html 2017年12月9日閲覧。 
  19. ^ “平城宮跡の近鉄線 移設で協定”. NHKニュース. オリジナルの2017年4月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170409111128/http://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/2055297551.html 2017年12月9日閲覧。 
  20. ^ 読売新聞大阪本社版2000年3月3日付(リンク切れ)
  21. ^ 積水化学工業株式会社奈良事業所の移転先の決定について” (PDF). 奈良県産業・雇用振興部企業立地推進課 (2012年3月14日). 2017年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月9日閲覧。
  22. ^ “平成24年3月14日(水)定例記者会見:積水化学工業(株)奈良事業所の県内移転先の決定について”. 奈良県知事室. (2012年3月14日). http://www.pref.nara.jp/dd.aspx?menuid=25674#1-2 2017年12月9日閲覧。 
  23. ^ 文化庁 2008, pp. 5–10.
  24. ^ 文化庁 2008, pp. 11–12.
  25. ^ 文化庁 2008, pp. i–iii.
  26. ^ 文化庁 2008, p. 11.
  27. ^ a b c d e f g h i j k l m 平城宮跡歴史公園、平成 30 年 3 月 24 日オープン! ー1300年の時を超えて“朱雀門ひろば”がよみがえりますー” (PDF). 国土交通省近畿地方整備局・国営飛鳥歴史公園事務所 (2017年9月6日). 2017年12月12日閲覧。
  28. ^ 国営公園区域 (約122ha)のうち、今回開園区域 (31.8ha)。県営公園区域 (約10ha)のうち、今回開園区域 (3.1ha)[27]
  29. ^ a b c d e f 文化庁 2008, pp. 21–22.
  30. ^ 開園箇所が広がりました。大極門(南門)の完成。”. 平城宮跡歴史公園. 2022年3月25日閲覧。
  31. ^ 平城京歴史館の閉館のお知らせ”. 奈良県. 2016年12月23日閲覧。

参考文献

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  • 特別史跡平城宮跡保存整備基本構想推進計画. 文化庁. (2008-05-13). https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/kinenbutsu/daigokuden/pdf/heijyoukyu_hozon_keikaku.pdf 2017年12月9日閲覧。. 
  • 橋本義則『古代宮都の内裏構造』吉川弘文館、2011年。ISBN 978-4-642-02481-5 

関連項目

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外部リンク

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奈良県庁

奈良文化財研究所

国土交通省