平成(へいせい)は日本元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年1月8日から現在に至る。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。日本の元号では昭和(64年)・明治(45年)・応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。

西暦2017年(本年)は平成29年に当たる。

現在の元号
元号名 期間 年数 通算年日数 天皇名
漢字 読み 始期 現在
平成 へいせい 平成元年(1989年)
1月8日
平成29年2017年
12月16日
29年[注 1] 28年343日間 今上天皇

目次

改元編集

歴代 読み 生年 御称号 践祚[注 2] 在位期間 続柄
第125代   明仁 あきひと 昭和8年(1933年)
12月23日(83歳)
つぐのみや
継宮
昭和64年(1989年)
1月7日
28年343日 第124代昭和天皇
第一皇男子

1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇崩御して、皇太子明仁親王が即位した(今上天皇)。これを受け、1989年(昭和64年)1月7日に元号法に基づき改元の政令がだされ、「平成元年1月8日」と改元がなされた。元号法によって改元された最初の元号である。なお逝去を前提とした手続きは事前に行なえないため、改元の際は崩御当日に正式な手続きに入り、翌日に改元が行われた。崩御当日に電話で正式な嘱託を行った後の有識者会議は約20分間意見交換しただけで、重々しい雰囲気の中で慌ただしく新元号は決められたという[1]。ただし、水面下で準備は進められており、1988年(昭和63年)9月には最終候補の3案に絞り込まれていたという[2]

政府は昭和天皇崩御を受け、その当日(1989年昭和64年)1月7日)の午後、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と両院正副議長に「平成」「修文」「正化」3つの候補を示し、意見を求めた。その際、委員の間から「修文(しゅうぶん)」(Shubun)・「正化(せいか)」(Seika)の2候補はローマ字表記の頭文字が「昭和(しょうわ)」(Showa)と同じ「S」になるので不都合ではないかという意見が出たため、ローマ字の頭文字が「H」である「平成(へいせい)」(Heisei)に全員一致で決まった[2]

同日14時10分から開かれた臨時閣議において、新元号を正式に決定。14時36分、内閣官房長官小渕恵三が記者会見で発表。

只今終了致しました閣議で元号を改める政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。
新しい元号は、『平成』であります— 内閣官房長官 小渕恵三

と言いながら、河東純一揮毫した新元号「平成」を墨書した台紙を示す姿は、新時代の象徴とされた(#元号発表も参照)。

同日、「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)は新天皇允裁(いんさい)を受けた後、官報号外によって公布され、翌1989年(平成元年)1月8日から施行された。また、「元号の読み方に関する件」(昭和64年内閣告示第6号)が告示され、新元号の読み方が「へいせい」であることが明示された。

明治から大正、大正から昭和への改元の際と異なり[注 3]、平成改元の際に翌日から施行された背景として、当時は文書事務の煩雑化・ワードプロセッサを初めとするOAに伴うコンピュータプログラムの変更等を行うためと報道された。

提案者編集

最終候補の3案のひとつであった「平成」を提案したのは、東洋史学者で東京大学名誉教授の山本達郎である[3][2]

内閣内政審議室長(当時)として新元号選定に関わった的場順三[3]によると、最終候補3案は極秘裏に委嘱していた山本、宇野精一目加田誠の3氏の提案によるものだという(目加田が「修文」を宇野が「正化」を提案したことを後に認めている)[4]。『文藝春秋』での佐野眞一の取材に対して、的場は「元号は縁起物であり改元前に物故した者の提案は直ちに廃案になる」と述べ、それ以前に物故した諸橋轍次貝塚茂樹坂本太郎らの提案はすべて廃案になったとしている[4]

渡部恒三によると、「平成」の元号は改元時の内閣総理大臣竹下登日本国政府首脳が決定前から執心していたという[4]。竹下が1990年(平成2年)1月に行った講演の際に、非公式ながら「平成」は陽明学者・安岡正篤の案であったと述べたとされる[5]。しかし、安岡も昭和天皇崩御前に物故しているため、彼の発案ということは有り得ない[6]

出典編集

新元号の発表時に小渕恵三が述べた「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内(内かに外る)」、『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地(地かに天る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味である[7]。日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」()など、外国の年号や13代成務天皇の諡号には使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。

江戸時代最末期、「慶応」と改元された際の別案に「平成」が有り、出典も同じ『史記』と『書経』からとされている[8]

なお、平成の決定の際には、専門家から出典箇所が偽書の偽古文尚書であり、相応しくないとする意見もあった。

元号発表編集

小渕恵三内閣官房長官(当時)が、総理大臣官邸での記者会見で使用した台紙に『平成』と文字を揮毫したのは、内閣総理大臣官房(当時。中央省庁再編後は内閣府大臣官房)人事課辞令専門職の河東純一である。

記者発表の20分ほど前、「平成」と鉛筆で書かれた紙片を渡され、新元号名を知る。その後、河東自らが用意した4枚の奉書紙にそれぞれに平成と書き、4枚目を額に入れ、ダンボール風呂敷で梱包したものが小渕内閣官房長官の元へと運ばれた。河東本人談として、初めて平成と知った時、「画数の少ない字は形が取りにくく、書きにくい」と思ったそうである。

また、4枚目を選んだのは上手い下手に関係なく、初めから4枚目を提出するつもりだったとも語っている。新元号を墨書する場所は、予め同官房内政審議室の会議室と決められていた。入室した際の同室では数人が別の作業を行っていたので、頼んで作業机の片隅を空けてもらい、「平成」を書き上げた。作業机は比較的高く、椅子はパイプ椅子で、周囲もやや喧騒であったため、非常に書きにくかったそうである[9]

河東純一は、2005年(平成17年)12月に職務(20万枚以上に及ぶ官記・位記・辞令および表彰状等の作成)の功績を認められ、第18回「人事院総裁賞」個人部門を受賞した[10]

その「平成」の奉書紙は、平成改元時の内閣総理大臣であった竹下登に贈呈され、竹下元首相私邸に飾られていた[11]が、現在は国立公文書館に寄贈されている[12]

平成の次の元号編集

2016年(平成28年)8月8日の象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば以降、譲位に関する議論が行われ、2017年(平成29年)6月9日の参議院本会議で生前退位に関する法案(天皇の退位等に関する皇室典範特例法‎)が成立。同月16日に公布された。譲位時期は法律の公布日から3年を超えない範囲で政令により決められる[13][14]。2017年(平成29年)12月1日に開催された皇室会議で、2019年(平成31年)4月30日での天皇の退位が決定、「平成」は最長でもこの日までに終わる見込みとなった[15]

時代の流れ編集

時代概説編集

バブル経済期〜アメリカ同時多発テロ発生前(主に世紀末の時期)編集

1989年(平成元年)1月8日から2001年(平成13年)9月10日まで。

日本国内では、不動産や証券への投機熱でバブル景気が起こった。昭和から平成に年号改元された1989年(平成元年)にはベルリンの壁が崩壊した。東ヨーロッパでは次々と革命が起こって共産党政権が倒された。マルタ会談で米ソ首脳が冷戦終結を宣言して、第二次世界大戦後に44年間も続いた冷戦は終結した。

1990年(平成2年)には湾岸戦争が勃発した。翌年の1991年(平成3年)には冷戦の盟主国の一角であったソ連が崩壊して、日本ではバブル経済が崩壊した。湾岸戦争の勃発・ソ連崩壊バブル崩壊によりアメリカナイゼーショングローバル資本主義が世界を席巻した。アメリカ一極体制の時代が到来した。

日本の社会は失われた10年と呼ばれた不況の時代が続き、団塊ジュニア世代の学生は就職氷河期に見舞われた。政界では55年体制が崩壊して、政界再編による新党の結成が活発化した。1995年(平成7年)は戦後50周年の節目として村山談話があり、1月17日には阪神・淡路大震災が発生、3月20日にはオウム真理教地下鉄サリン事件が発生して、戦後体制の崩壊が叫ばれた。

世紀末の不安が叫ばれるようになり、昭和戦後期に日本政府と企業が築いた終身雇用年功序列護送船団方式サラリーマン主流社会(企業社会)が崩壊して、内需縮小とデフレが始まる。

アメリカ同時多発テロ〜世界金融危機前編集

2001年(平成13年)9月11日から2007年(平成19年)9月28日まで。

新世紀となった2001年(平成13年)にイスラム過激派アメリカ同時多発テロ事件を起こして、自爆テロ対テロ戦争が吹き荒れた時代となった。アメリカ一極体制の下に悪の枢軸イラクイラン北朝鮮)への強硬外交を推進し、イラク戦争アフガニスタン紛争など対テロ戦争を主導した。

資源価格の高騰により、アラブ首長国連邦などの資源国やブラジル (Brazil)・ロシア (Russia)・インド (India)・中華人民共和国 (China)・南アフリカ共和国 (South Africa) のBRICs諸国が台頭した。

日本では小泉内閣聖域なき構造改革と称して政治改革や経済構造のアメリカニゼーションを一層強めた。輸出産業の好転によって一時的に経済状況が好転し、いざなみ景気を迎え、戦後最長の好況期を迎えた。富裕層や外需関連業種を除いて景気回復の実感はないともされ、「実感なき経済成長」と言われた。一方、中国の経済発展により、日本の最大貿易相手国がアメリカ合衆国から中華人民共和国に変わった。

平成期に入り進行していた事象だが、インターネットが急速に普及した。それに加えてコンピュータ2000年問題以降、産経新聞NHKなどを除く多くのマスコミは元号よりも西暦を主に使用することが多くなり、民間では元号を使う機会が減少した。

世界金融危機〜東日本大震災後の復興期(主に平成20年代)編集

2007年(平成19年)9月29日以降。

アメリカ合衆国のサブプライムローンを引き金に世界同時不況が勃発した。世界では、リーマンショックドバイショックGM破綻などが起きた。

世界中で急激な信用収縮が発生して、日本では平成20年代から人口減少社会に入り、就職氷河期が再来して、派遣切りなど非正規雇用者の解雇が相次ぎ、ゆとり世代の新卒者の就職率も低下した。格差社会が問題となり、小泉内閣聖域なき構造改革などの新自由主義政策への批判もあった。

政界では、2008年(平成20年)頃から、日本の民社国連立政権を初めとする世界各国で政権交代が相次いだ。

2011年(平成23年)初頭にはアラブ諸国ではアラブの春による反政府デモが起こり、チュニジアエジプトで長期政権が崩壊した。同年3月には、日本で東北地方太平洋沖地震が発生。この地震に起因する東日本大震災および福島第一原子力発電所事故が発生し、太平洋沿岸自治体で津波による居住地や職場の喪失、放射能汚染により福島県浜通りの一部から、被災地域の多くの人が移住を余儀なくされるなど、戦後最大の国難と称された。また、地震と原発事故に伴い全国各地の原子力発電所が停止して、電力不足が懸念され、東日本大震災による電力危機から節電が余儀なくされた。

PIGSと呼ばれた4カ国のポルトガル (Portugal)・イタリア (Italy)・ギリシャ (Greece)・スペイン (Spain) の財政赤字が深刻化した。ユーロ圏で使用されるユーロの通貨危機が起きた。尖閣諸島問題竹島問題などの領土問題反日運動が激化した。

この間、鳩山、菅、野田と民国連立政権は短期間で目まぐるしく交代し、2012年(平成24年)に再び自公連立政権が誕生した。第2次安倍内閣時代に2014年クリミア危機北方領土問題北朝鮮による拉致問題など日露関係日朝関係が変化した。アベノミクス政策の一環として、公共事業による減災防災の推進、産業の空洞化対策としての法人税減税、地方創生、女性の雇用促進、外国人労働者の受け入れ拡大などの政策が推進された。

政治史編集

内閣総理大臣編集

現在
人目 内閣総理大臣 生年(年齢) 内閣 期間・日数 政党
90 57   安倍晋三
あべ しんぞう
1954年昭和29年)
9月21日 (63歳)
第1次安倍内閣
改造内閣
2006年(平成18年)9月26日
- 2007年(平成19年)9月26日
(366日)
自由民主党
96 第2次安倍内閣
改造内閣
2012年(平成24年)12月26日
- 2014年(平成26年)12月24日
(729日)
97 第3次安倍内閣
第1次改造内閣
第2次改造内閣
第3次改造内閣
2014年(平成26年)12月24日
- 2017年(平成29年)11月1日
(1043日)
98 第4次安倍内閣 2017年(平成29年)11月1日
- 現在
(1089日)
(第2次発足から1817日)
通算2183日

平成期に在任していた内閣総理大臣は、竹下登宇野宗佑海部俊樹宮澤喜一細川護熙羽田孜村山富市橋本龍太郎小渕恵三森喜朗小泉純一郎安倍晋三福田康夫麻生太郎鳩山由紀夫菅直人野田佳彦の17人である。

氏名 在職日数 就任年齢 誕生年 出生地 学歴 世襲
74 竹下登 576日 63歳 1924年
(大正13年)
島根県 早稲田大学商学部卒業 父:竹下勇造元島根県議会議員
75 宇野宗佑 69日 66歳 1922年
(大正11年)
滋賀県 神戸商業大学神戸大学)中退
76-77 海部俊樹 818日 58歳 1931年
(昭和6年)
愛知県 中央大学専門部法科卒業
早稲田大学第二法学部卒業
早稲田大学大学院法学研究科修士課程中途退学
78 宮澤喜一 644日 72歳 1919年
(大正8年)
東京府
(選挙区は広島県
東京帝国大学法学部政治学科卒業 父:宮澤裕元衆議院議員
79 細川護熙 263日 55歳 1938年
(昭和13年)
東京府
(選挙区は熊本県
上智大学法学部卒業 祖父:近衛文麿元首相
高祖父:近衛篤麿元貴族院議長
80 羽田孜 64日 58歳 1935年
(昭和10年)
東京府
(選挙区は長野県
成城大学経済学部経営学科卒業 父:羽田武嗣郎元衆議院議員
81 村山富市 561日 70歳 1924年
(大正13年)
大分県 明治大学専門部政治経済科(明治大学政治経済学部)卒業
82-83 橋本龍太郎 932日 58歳 1937年
(昭和12年)
東京府
(選挙区は岡山県
慶應義塾大学法学部政治学科卒業 父:橋本龍伍元衆議院議員
84 小渕恵三 616日 61歳 1937年
(昭和12年)
群馬県 早稲田大学第一文学部英文科卒業
早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了
父:小渕光平元衆議院議員
85-86 森喜朗 387日 62歳 1937年
(昭和12年)
石川県 早稲田大学第二商学部卒業 父:森茂喜根上町
祖父:森喜平根上村長
87-89 小泉純一郎 1980日 59歳 1942年
(昭和17年)
神奈川県 慶應義塾大学経済学部卒業 父:小泉純也元衆議院議員
祖父:小泉又次郎元衆議院議員
90 安倍晋三 366日 52歳 1954年
(昭和29年)
東京都
(選挙区は山口県
成蹊大学法学部政治学科卒業 父:安倍晋太郎元外相
祖父:岸信介元首相
大叔父:佐藤栄作元首相
祖父:安倍寛元衆議院議員
91 福田康夫 365日 71歳 1936年
(昭和11年)
東京府
(選挙区は群馬県
早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業 父:福田赳夫元首相
92 麻生太郎 358日 68歳 1940年
(昭和15年)
福岡県 学習院大学政治経済学部政治学科卒業 父:麻生太賀吉元衆議院議員
義父:鈴木善幸元首相
祖父:吉田茂元首相
曾祖父:牧野伸顕(大臣、知事など)
高祖父:大久保利通(内務卿、大蔵卿)
93 鳩山由紀夫 266日 62歳 1947年
(昭和22年)
東京都
(選挙区は北海道
東京大学工学部計数工学科卒業
スタンフォード大学大学院博士課程修了
父:鳩山威一郎元外相
祖父:鳩山一郎元首相
曾祖父:鳩山和夫元衆議院議員
94 菅直人 449日
63歳 1946年
(昭和21年)
山口県
(選挙区は東京都
東京工業大学理学部応用物理学科卒業
95 野田佳彦 481日
54歳 1957年
(昭和32年)
千葉県 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業
96-98 安倍晋三第2次第3次第4次 1816日 58歳 1954年
(昭和29年)
東京都
(選挙区は山口県
成蹊大学法学部政治学科卒業 父:安倍晋太郎元外相
祖父:岸信介元首相
大叔父:佐藤栄作元首相
祖父: 安倍寛元衆議院議員
在任期間
1982年(昭和57年)- 1987年(昭和62年)の中曽根康弘内閣を最後に、平成に改元された当時の竹下登内閣以降、平均の在任期間が1年強という短命な内閣が続き、2011年(平成23年)までの24年間に18代(17人)の日本国総理大臣が就任した。平成での一番の長期政権は、安倍晋三内閣で、戦後3位の1980日である。一番の短命政権は、羽田孜内閣で、64日である。一度総辞職した元総理大臣が再任した例は安倍晋三のみである。
年代
大正生まれ(大正世代)の内閣総理大臣が宇野宗佑宮澤喜一村山富市である。戦後生まれの総理大臣が安倍晋三鳩山由紀夫菅直人野田佳彦である。最も若くして就任したのは、安倍晋三(52歳)であり、最高齢で就任したのは、宮澤喜一(72歳)である。
出生地
東京都東京府)生まれが一番多く、宮澤喜一細川護熙羽田孜橋本龍太郎安倍晋三福田康夫鳩山由紀夫の7人である。
学歴
早稲田大学出身者は、竹下登海部俊樹小渕恵三森喜朗福田康夫野田佳彦の6人である。東京大学出身者は、宮澤喜一鳩山由紀夫の2人である。慶應義塾大学出身者は、橋本龍太郎小泉純一郎の2人である。
国立大学出身者は宇野宗佑(神戸商業大学)、宮澤喜一(東京帝国大学)、鳩山由紀夫(東京大学)、菅直人(東京工業大学)の4人であり、ほとんどが私立大学出身者である。理系学部出身は鳩山由紀夫工学部卒業)・菅直人(応用物理学科卒業)の2人であり、大部分が文系学部出身である。大学院修了者は、小渕恵三(早稲田大学院修士)、鳩山由紀夫(スタンフォード大学院博士)の2人がいる。
海外留学経験があるのは、小泉純一郎ロンドン大学)・安倍晋三南カリフォルニア大学)・麻生太郎スタンフォード大学など)・鳩山由紀夫スタンフォード大学院)の4人である。
世襲
11人が親族(父・祖父・おじ・兄弟)が総理大臣経験者など国会議員であった世襲政治家であり、宇野宗佑(実家が造り酒屋)、海部俊樹(実家が写真屋)、村山富市(父が漁師)、森喜朗(父が根上町長)、菅直人(父がサラリーマン)、野田佳彦(父が自衛官)の6人は世襲議員ではない。
派閥
2012年(平成24年)現在、17人の首相のうち、派閥領袖として首相に就任した人物は竹下登竹下派)・宮沢喜一宮沢派)・小渕恵三小渕派)・森喜朗森派)・麻生太郎麻生派)の5人のみである。羽田孜は首相就任前に羽田派の派閥領袖だった人物で、橋本龍太郎は首相退任後に橋本派の派閥領袖となり、派閥領袖の体験者の平成期の首相は合計7人である。
その他
自民党でなかったのは、細川護熙日本新党)・羽田孜新生党)・村山富市日本社会党)・鳩山由紀夫民主党)・菅直人民主党)・野田佳彦民主党)の6人である。在職期間1年未満だったのは、宇野宗佑細川護熙羽田孜福田康夫麻生太郎鳩山由紀夫の6人である。平成期に国会議員に初当選した総理大臣は安倍晋三福田康夫野田佳彦の3人である。平成期に死去した総理大臣は、宇野宗佑小渕恵三竹下登橋本龍太郎宮澤喜一羽田孜の6人である。現在国会議員から引退している総理大臣は海部俊樹細川護煕村山富市森喜朗小泉純一郎福田康夫鳩山由紀夫の7人である。
皇室との姻戚関係がある総理大臣
華族清和源氏で旧熊本藩主家)の家柄細川家や、旧華族の系統(明治維新の功労者の大久保利通子孫)の麻生家は華族や明治維新の功労者の血筋を引く歴史上の人物(華族)の親戚など上流階級の系統であり細川護煕と麻生太郎は学習院初等科の出身者である。細川護煕の実弟が細川家から近衛家に養子に行った近衛忠煇であり細川首相は三笠宮家の甯子内親王義兄に当たり、麻生太郎の妹が寛仁親王妃信子であり麻生首相は三笠宮家の寬仁親王の義兄に当たるなど皇室と親戚関係がある内閣総理大臣が2人いる。

政党編集

55年体制末期(平成元年から〜平成5年まで)の時期に結成された新党
55年体制が崩壊した後の1990年代の中盤から1990年代の後期(平成6年から〜平成11年まで)の時期に結成された新党
2000年代(平成12年から〜平成21年まで)の時期に結成された新党
2010年代(平成22年)以降の時期に結成された新党[16]
平成政党史(平成期の新党の特徴)編集

平成期(1990年代)に昭和戦後期の55年体制下で既成政党であった日本社会党民社党社会民主連合が解党消滅した。一方で、新党が相次いで結成された(新進党・民主党・民進党などの二大政党の一つから、一時的に結成されたミニ政党まで)などの国政政党や新しい地域政党宗教政党院内会派の結成があった。また平成20年代で、昭和時代から存在する政党は自由民主党・公明党・日本共産党のみであり、新しい政党も短命になった例が多く、政党間の合併や政党の分裂が相次いだ。

55年体制期編集
自由民主党の敗北と日本社会党の躍進編集
小沢一郎と政治改革編集

小沢一郎幹事長の下自民党政権が(竹下登金丸信を中心とする竹下派)の経世会支配で政界が安定する。自民党の最大派閥であった竹下派は、1992年(平成4年)に経世会の会長の金丸信東京佐川急便事件で逮捕されたことをきっかけに小渕派と小沢一郎を中心とする羽田派に分裂した。[19]

小沢一郎は衆議院議員選挙制度小選挙区への変更をする利点として以下の点を、自身の著書で政治改革論議として強調をした。

  1. 自由民主党候補の同士討ちやサービス合戦廃止をすることで派閥を解消する。
  2. 二大政党制による政権交代可能な選挙制度にする。
  3. 金が掛からない選挙にする。
  4. 利益誘導型選挙から政策重視の選挙に変更する。
  5. 人物重視の候補者本位から政党本位にして政権選択選挙を目指すことと、党首の人気が重視されることと、政党のマニフェストが重視される選挙制度を提起する。
  6. 本気で政権を獲得する気がない万年野党であった日本社会党が小選挙区で勝利しにくくなることで左翼勢力を壊滅させて、政党間の離合集散による合併を推進して、新たに政権を獲得する強い力がある野党を結成する。
新党ブーム編集

宮澤喜一首相が出演した番組の「総理が語る」の発言がきっかけとなった内閣不信任決議に賛成して嘘つき解散に追い込んだ小沢一郎は自民党を離党して新生党を旗揚げした。また別の政治改革グループの「ユートピア政治研究会」が新党さきがけを旗揚げした。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙日本新党新生党新党さきがけが躍進して新党ブームが起きた。

連立政権の時代編集

1993年(平成5年)に(日本新党新党さきがけ新生党公明党民社党日本社会党社会民主連合民主改革連合)の7党1会派が連立した細川内閣が成立した。非自民連立政権の成立により、自民党は一時野党に転落して55年体制は崩壊するも、1994年(平成6年)には自民党は社会党との村山連立政権で早くも政権に復帰して、その後は公明党との連立で政権を維持した。[20]

政権与党編集

政権与党は以下の変遷である。

  1. 自由民主党による単独政権
  2. 非自民・非共産連立政権日本新党新党さきがけ新生党公明党民社党日本社会党社会民主連合民主改革連合
  3. 村山内閣時代の自由民主党・日本社会党・新党さきがけによる自社さ連立政権
  4. 橋本内閣時代の自由民主党・橋本内閣の閣内から第41回衆議院議員総選挙後は閣外協力となった日本社会党から党名変更した社会民主党・さきがけに改称した新党さきがけによる自社さ連立政権
  5. 自由民主党単独政権
  6. 自由民主党・自由党による自自連立政権
  7. 自由民主党・自由党・公明党による自自公連立政権
  8. 自由民主党・公明党・保守党による自公保連立政権
  9. 自由民主党・公明党・保守新党による自公保連立政権
  10. 自由民主党・公明党による自公連立政権
  11. 民主党社会民主党国民新党による民社国連立政権
  12. 民主党・国民新党による民国連立政権
  13. 自由民主党・公明党による自公連立政権と移り変わり、自民党の単独政権から連立政権の時代となった。[21]
政治体制編集
新進党と民主党の結成編集

新進党結党で、55年体制時代に野党第1党で、これまで第2党であった日本社会党は第3党となった。日本社会党時代で最後の国政選挙になる第17回参議院議員通常選挙(1995年〔平成7年〕)で敗北した。その後、山花貞夫前委員長や政策集団「デモクラッツ」の赤松広隆など社会党右派によって第3極を目指す日本社会党・新党さきがけ連合の新党結成の動きがあり、社会党左派執行部は新党結成とイメージチェンジのために社会民主党に党名変更した。しかし、自社さ連立政権新進党勢力に属しない第三の道を目指す市民リーグが結成されて、さらに発展した新党として友愛を理念とする鳩山由紀夫菅直人によって旧民主党が結党された。日本社会党は民主党入党組と社会民主党残留組に分裂した。その後の第41回衆議院議員総選挙(1996年〔平成8年〕)で敗北したことで、旧社会党の議席数は議席数を後退させた。[24]

1994年(平成6年)6月に、自由民主党・日本社会党・新党さきがけによる村山富市内閣が発足したことで下野した非自民・非共産勢力が、1人しか候補者が樹立できない小選挙区制度となった第41回衆議院議員総選挙で勝利するために新・新党を結成することとなり新生党・公明党の一部(公明党が解散して地方組織の公明と公明新党に分党して国会議員による公明新党のみが新進党に合流)・民社党・日本新党・自由改革連合(高志会・改革の会・新党みらい・柿沢自由党が合併した政党)が合併して、巨大新党で日本社会党に代わる第2政党である野党の新進党が結成されて、自由民主党対新進党の二大政党制が成立した。日本社会党とさきがけ勢力が結集した第三極(ゆ党)と呼ばれた民主党成立後に新進党が小沢自由党・新党友愛・新党平和・国民の声・黎明クラブ・改革クラブに分割されて解体する。1998年(平成10年)からは自民党と民主党による二大政党制が成立した。

自由民主党と民主党による2大政党制の時代編集

2005年(平成17年)自由民主党小泉内閣郵政解散による選挙で大勝して絶対多数の議席を獲得したが、後継の安倍内閣2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙で民主党に大敗して、参議院は与野党逆転をしてねじれ国会の構図が生じていた。2009年(平成21年)には、第45回衆議院議員総選挙で民主党が大勝して自由民主党が野党に転落して、民社国連立政権鳩山由紀夫内閣が誕生して政権交代が起きた。2010年(平成22年)5月28日から、社民党が連立離脱し、民国連立政権が誕生した。

2012年(平成24年)1月、野田内閣が推進する消費税増税・TPP参加・八ッ場ダム建設再開・原発容認などの政策に対し、民主党が主張したマニフェスト(政権公約)に違反するものとして反発した議員が民主党を離党して、新党大地・真民主新党きづなを結成した。3月には亀井静香国民新党代表が民国連立政権からの離脱を主張して、政権残留派と無所属となった離脱派に国民新党が分裂した。7月には、民主党の小沢一郎を中心とする小沢グループの議員の中から、消費税増税法案の衆議院での採決において反対投票を行った衆議院議員の一部と同調した参議院議員が離党を表明。衆議院と参議院に新会派「国民の生活が第一・無所属の歩」(後の「国民の生活が第一」)と新党の国民の生活が第一をそれぞれ結成した。[25]第180回国会で消費税増税法案(消費税関連法案)が3党合意(民主党・自由民主党・公明党)与野党の多数で可決された。第1極の与党(民主党・国民新党)と第2極の野党(自由民主党・公明党・社会民主党・日本共産党)以外の第3極によるオリーブの木構想が浮上した。国民新党を離党した亀井亜紀子参議院議員と民主党から3人の女性参議院議員が離党して新会派の「みどりの風」を結成したことで、民主党・新緑風会は自由民主党・たちあがれ日本・無所属の会と並ぶ参議院の第2会派に近い少数会派となった。平成24年度の時点で日本の政党二大政党と中政党とミニ政党が複数あり、与党民主党国民新党であり、野党自由民主党(自民党)・国民の生活が第一公明党日本共産党(共産党)・みんなの党社会民主党(社民党)・日本維新の会新党大地・真民主太陽の党減税日本みどりの風新党改革[注 4]新党日本であり、2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙の解散時点で史上最多の15個の政党が乱立していた。第46回衆議院議員総選挙で野党の自由民主党・公明党が勝利して政権を奪還した。与党勢力(自民党)が強く、複数の野党勢力が弱い一強多弱状態の政界構図が誕生して[26]2013年(平成25年)の第23回参議院議員通常選挙からネット選挙が解禁された。2016年(平成28年)7月の第24回参議院議員通常選挙から野党4党が選挙協力をして民進党候補などを1人区で日本共産党が支援する民共共闘が実施された。

政治思想・法制度改革編集

  • 第二次大戦前への「逆コース」の傾向が強いとされた政策への抵抗感が弱まり、日本社会党など革新勢力は弱まった。日本共産党は共産主義政党としては例外的にソ連崩壊後も勢力を維持し、1990年代には日本社会党が与党として基本政策を転換したことを批判する左翼支持層からの革新票を吸収して躍進した。しかし、2000年(平成12年)以降は野党票が民主党に流れるようになり、小選挙区制度が機能して自由民主党VS民主党の2大政党化が進行した。日本共産党は比例区を中心に得票を減らして長期低落傾向に陥っている。
  • 2001年(平成13年)以降の小泉内閣および民主党政権では、特殊法人の廃止と民営化の議論が開始された。相次ぐ、選挙結果を無視する国会議員独自の政界再編と政治家のスキャンダルもあり国民の政治不信を呼んだ。そのため、特定の支持政党を持たない無党派層が既存政党への支持者を大きく上回っている。2003年(平成15年)12月1日から法改正されて期日前投票が開始されて、2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙から公職選挙法が改正されて、民主党が先駆けてマニフェスト選挙を行った。2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では自民党に対する逆風から民主党へ無党派の浮動票が流れて、民主党は安定過半数の300議席を持つ第1党となった。自由民主党は110議席代となり初めて衆議院の第1党から転落した。創価学会からの組織票がある公明党を除く中小政党は後退傾向となり、2大政党化が進行した。特定の支持政党を持たない無党派層が政権を左右する風潮が2000年代以降顕著になり、政治家政党ポピュリズム大衆主義)やマスコミによる世論調査が盛んになり、与野党攻防の劇場化現象や政治家の発言のワンフレーズ化と言われる風潮が生まれた。
  • 2009年(平成21年)に誕生した民主党政権は、日米同盟を主軸とした外交政策は維持するものの、「対等な日米関係」を重視する外交への転換を標榜したが、普天間基地移設問題をめぐる鳩山由紀夫首相の見解が一貫せず、新しい外交政策の軸足が定まらず混乱、菅内閣では従前の外交路線に回帰した。また新自由主義政策からの転換も図られ、脱官僚や政治主導が再び叫ばれたが、民主党政権は鳩山由紀夫内閣や菅内閣では閣内の見解の不一致をたびたび露呈し、鳩山由紀夫首相や菅直人首相の発言も二転三転する有り様で、官僚に対し改革の主導権を握ることができなかった。民主党は政権公約のマニフェスト農業者戸別所得補償制度高速道路無料化を掲げ、鳩山内閣や菅内閣で実施することを試みたが失敗して、2011年(平成23年)に野田内閣が発足するまでにマニフェストからの政策転換を余儀なくされた。
  • 2010年(平成22年)頃から、地方から政治を変えていこうとする流れが起きており、大阪維新の会減税日本などの地方政党が徐々に勢力を強めている。首相公選制参議院を廃止して一院制を導入する議論が提案された。2012年(平成24年)頃には、第46回衆議院議員総選挙の候補者育成のための政治スクールとして、大阪維新の会が開設した維新政治塾。大村秀章愛知県知事が開設した東海大志塾。減税日本の河村たかし名古屋市長個人の河村たかし政治塾が開設された。

税制改革編集

政治家編集

国会議員編集

橋本内閣総理府行政改革会議が設置されて、中央省庁等改革基本法が成立した。2000年(平成12年)の中央省庁再編により、官邸主導が強まった。2001年(平成13年)から2006年(平成18年)にかけての小泉政権下では社会保険庁の年金問題が表面化して、官僚による無駄使いや天下り批判がされ脱官僚の声が強まり、政権主導の改革を推進した。しかし、安倍内閣福田康夫内閣麻生内閣と後継政権の迷走が続き、小泉政権の時のような官邸のリーダーシップが発揮できなくなっている。

2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙で最後の明治生まれの桜内義雄原健三郎が議員引退して明治生まれが全て引退して、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙で、中山太郎が落選して大正生まれ(大正世代)の議員がいなくなり全議員が昭和生まれとなった。1990年代は竹下派七奉行や清和会四天王と呼ばれた政治家が活躍した。20世紀の間は大正生まれから、昭和一桁生まれ・昭和10年代生まれの政治家に世代交代をする移行期であり、大正生まれ(中曽根康弘竹下登宇野宗佑宮澤喜一村山富市梶山静六など)から昭和一桁生まれ(土井たか子海部俊樹武村正義など)・昭和10年代生まれ(小沢一郎羽田孜細川護煕橋本龍太郎小渕恵三など)までの政治家が1990年代の政界を主導したが、竹下派七奉行安倍派四天王を中心に2000年代に入るとこれらの政治家の多くが死去したり引退した。自由民主党では自由民主党総裁選挙での自由民主党の派閥争いが弱体化したが総理大臣の座を巡って、ネオ・ニューリーダーと呼ばれた政治家が活躍して、金竹小安竹宮YKK山崎拓加藤紘一小泉純一郎)・麻垣康三NAISの会根本匠安倍晋三石原伸晃塩崎恭久)などと呼ばれた政治家が注目された。2000年代になると、昭和10年代生まれ(森喜朗小泉純一郎亀井静香小沢一郎福田康夫麻生太郎など)・昭和20年代生まれ(鳩山由紀夫菅直人岡田克也安倍晋三など)が主導権握り、2010年代になると、昭和30年代生まれ(前原誠司野田佳彦など)の政治家が主導権を握り始めた。与野党で戦後生まれの党首が誕生して、国会議員は大日本帝国期の1945年(昭和20年)以前に誕生した戦前生まれ・戦中生まれの政治家より、団塊の世代など第二次世界大戦の後に誕生した戦後生まれの政治家の方が多数となった。新党ブームがあった1990年代には、1960年代生まれ(新人類バブル世代)が、小泉チルドレン・小沢ガールズなどが注目されるようになった2000年代には、1970年代生まれ(団塊ジュニアポスト団塊ジュニア世代)が国会議員となった。2010年代には1980年代生まれが国会議員となった。

20世紀までは、高学歴・実業家・世襲議員などのエリート階層や労組出身の国会議員が一般的であったが、21世紀に入り、就職氷河期を経験した世代が台頭するにつれ、フリーター(元非正規労働者)から転身した杉村太蔵太田和美など一般的な若者の経歴と共通点のある政治家も登場した。

昭和時代の末期まで長らく衆議院では女性議員の比率が約1%の少数であり、1986年(昭和61年)の衆参同日選挙の結果では、衆議院の女性議員の人数が7人で割合が1.4%で、参議院の女性議員の数が22人で割合が8.7%であった。平成初の国政選挙となった1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙マドンナ旋風が吹き日本社会党を中心に女性候補が大量当選して以来、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙の結果では女性議員が54人となり割合が11.3%となり、2010年(平成22年)の第22回参議院議員通常選挙の結果では女性議員が44人となり、割合が18.2%となり、徐々に女性政治家は増加している。

小選挙区比例代表並立制に選挙制度が変わり自民党民主党の二大政党は、小泉チルドレン小沢チルドレンなどのサラリーマン化した議員を輩出して、中選挙区制時代のような地主型政治家や労組出身者は激減した。

首長編集

地方では、2000年(平成12年)に太田房江が大阪府知事となり、日本初の女性知事が誕生した。

大臣・中央省庁編集

1996年(平成8年)に内閣総理大臣補佐官制度が導入された。1999年(平成11年)に国会審議活性化法が成立した。2001年(平成13年)に国会における政府委員制度および政務次官が廃止されて、副大臣大臣政務官が新たに設置された。内閣府副大臣復興副大臣総務副大臣法務副大臣外務副大臣財務副大臣文部科学副大臣厚生労働副大臣経済産業副大臣環境副大臣防衛副大臣国土交通副大臣など副大臣制度が創設された。

内閣府大臣政務官総務大臣政務官法務大臣政務官外務大臣政務官財務大臣政務官文部科学大臣政務官厚生労働大臣政務官経済産業大臣政務官環境大臣政務官防衛大臣政務官国土交通大臣政務官復興大臣政務官など大臣政務官制度が創設された。

内閣府設置法によって内閣府が創設された。阪神大震災の教訓や東日本大震災への対応から防災担当大臣復興担当大臣)が設置された。福島第一原子力発電所事故対策の必要から原発担当大臣が設置されて、原子力安全庁(原子力規制庁)の設置計画が閣議決定された。2011年(平成23年)に東日本大震災復興基本法が成立して、2012年(平成24年)2月に復興庁設置法が施行されて、復興庁が設置された。同時に内閣の定員である担当大臣枠を1人増加させる法案が可決された。急速に進んだ少子化対策として内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)が創設された。消費者庁を管轄する消費者及び食品安全担当大臣金融庁を管轄する金融担当大臣・沖縄問題と北方問題を管轄する沖縄及び北方対策担当大臣が創設された。経済財政諮問会議を管轄する経済財政政策担当大臣が設置された。拉致問題対策本部のトップである拉致問題担当大臣が創設された。2015年(平成27年)10月1日に、東京オリンピック対策とスポーツ振興のためスポーツ庁が設置されて、軍事兵器調達のため防衛装備庁が設置された。

一時的に規制改革担当大臣科学技術政策担当大臣防災担当大臣・食品安全担当大臣・青少年育成及び少子化対策担当大臣・個人情報保護担当大臣・産業再生機構担当大臣・食育担当大臣・イノベーション担当大臣・地方分権改革担当大臣・再チャレンジ担当大臣・国民生活担当大臣・地域主権推進担当大臣「新しい公共」担当大臣原子力損害賠償支援機構担当大臣原子力行政担当大臣宇宙政策担当大臣・行政刷新担当大臣・原子力防災担当大臣・教育再生担当大臣・原発事故再生担当大臣・公務員制度改革担当大臣・国土強靭化担当大臣・内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域担当)が設置された。第二次安倍改造内閣で地方創生担当相や安全保障担当相が設置されて、第三次安倍内閣で一億総活躍担当大臣が設置された。

海部内閣森山真弓が女性初の官房長官となり、小渕内閣野田聖子が女性初の郵政大臣小泉内閣田中真紀子が女性初の外務大臣第1次安倍内閣小池百合子が女性初の防衛大臣第2次安倍改造内閣で、高市早苗小渕優子が、それぞれ女性初の総務大臣経済産業大臣となった。女性大臣は昭和時代の男性のみ女性無しから、第1次小泉内閣、第2次安倍改造内閣女性大臣5人を最多に女性が平均1人から2人の割合で入閣するのが当たり前となった。1993年(平成5年)8月6日に日本社会党出身の土井たか子が女性初の衆議院議長(第68代)となり、2004年(平成16年)7月30日に自由民主党出身の扇千景が女性初の参議院議長(第26代)となる。

民主党政権では国家戦略室が設置されて、行政刷新会議による事業仕分けが実施された。2011年(平成23年)の野田内閣では政策仕分けが実施される。

2010年(平成22年)1月1日社会保険庁長官をトップとする厚生労働省外局社会保険庁が廃止されて日本年金機構となる。

国税の徴収・課税をする国税庁と、国民年金厚生年金など公的年金の運営業務をする日本年金機構を統合して、新たに歳入庁を設置する構想ができた。

2006年(平成18年)に内閣官房内に「電子政府推進管理室 (GPMO)」を設置した。さらに2012年(平成24年)には政府情報化統括責任者(政府CIO)を設置して、各省庁の情報システム刷新に関する指揮やマイナンバー制度(「国民総背番号制#日本」参照)に伴うシステム調達の監査、各省庁の調整を担当することが決まった。

地方自治体編集

地域政党編集

経済史編集

バブル崩壊と平成不況編集

小泉構造改革と景気回復編集

2001年(平成13年)に首相に就任した小泉純一郎によって「聖域なき構造改革」が推進された。小泉内閣は民間人による駐車監視員制度の導入、整腸剤やビタミン剤の薬局以外の販売の認可、[36]株式会社の1円からの設立可能などの規制緩和を実施した。また『官から民へ』をスローガンにして、日本道路公団営団地下鉄成田空港の民営化を実施した。[37]小泉内閣郵政三事業などの公共サービスの民営化・電気産業・通信産業・運輸業などの参入規制改革を政策目標としていた。民間金融機関に係る行政は、伝統的に大蔵省(現在の財務省)が担ってきたが、民間金融機関等の検査・監督を分離して2001年(平成13年)に内閣府の外局として発足した金融庁によって金融再生プログラムが実施されて、銀行の不良債権処理が進んで金融機関は健全化した。日本銀行ゼロ金利政策から量的金融緩和政策に転換して、都市銀行は三大メガバンクに統合された。デフレが進行した経済対策からノーベル経済学賞を受賞した経済学者ポール・クルーグマンが提唱したインフレターゲットの導入が検討された。

長く緩やかな景気回復(2002年(平成14年)2月から2008年(平成20年)2月まで)が続いたが、この景気拡大は専ら外需主導であり、公共投資の縮小および企業の人件費抑制に伴う労働分配率低下により、内需と個人消費は冷え切ったままであった。また、2003年(平成15年)の大卒就職率は55%にまで低下、高卒も史上最悪の就職難に遭遇した。新興国の経済発展に伴い、重厚長大産業を含む製造業の復権が起こった。一方で、新しい産業としては情報革命によってIT産業が発達して、少子高齢化によって介護サービス事業が成長して、高齢者の死亡者数の増加で葬祭業(葬儀ビジネス)が成長して、非正規雇用の増大で労働者派遣業が成長した。

2000年代後半に入ると、六本木ヒルズ族と呼ばれる富裕層が話題を振り撒いた。富裕層増加の一方で非正規雇用の増大(15歳 - 19歳は約7割が非正規雇用)や、フルタイムで働いても貧困から脱却できないワーキングプアの存在が表面化して、日本共産党の支持層に多いプロレタリア文学蟹工船の読者が急増して、「格差社会」の到来が叫ばれるようになった。2009年(平成21年)の日本政府の発表では、2006年(平成18年)の時点で貧困率は15.7%であった。2008年(平成20年)に入ると、景気は再び後退し始め、資源価格上昇の中で景気後退が続くスタグフレーションの進行が憂慮された。

経済構造の変化と日本社会の変化編集

1990年代バブル景気による土地神話が消滅するバブル崩壊があり、基準地価公示地価など地価が毎年下落し続けた。2005年(平成17年)以降は一部優良な土地の地価が上昇するようになった。平成20年代になり、ガソリン価格の高騰による運輸業の経営への圧迫やガソリン税減税問題が提起された。2008年(平成20年)に国土交通省の外局として、日本の観光を盛んにして観光地に外国人観光客を多数呼び込み、観光(観光業)立国を目指すために観光庁が発足した。ギャンブル関係では、数字選択式全国自治宝くじナンバーズミニロトロト6ロト7スポーツ振興くじ・競馬のワイドが導入された。金融関係ではペイオフが実施され、ネット証券ネットショッピング投資信託が普及した。広告関係で顔面広告や絶対領域広告など人間広告が普及した。ホームページブログに張り付ける広告のアフィリエイトが普及するなどインターネットビジネスが成長した。平成20年代に芸能人のブログでのステルスマーケティングが問題となる。

小売業では、ダイエーなどのGMSの隆盛が終息を迎え、100円ショップブックオフコーポレーション日本マクドナルド吉野家などの商品の値下げ競争が注目された。こうした価格競争に取り残されたそごうなどの百貨店が縮小した。ユニクロなどの低価格で大量販売をするチェーンと、2000年(平成12年)に大規模小売店舗法が廃止されたことで大規模店舗の建設と出店が自由化されてイオンを代表とする郊外型スーパーが成長した。三浦展の造語である大型店やチェーン店などが郊外に進出することで、地域の個性が失われてしまう現象のファスト風土化下流社会と呼ばれる所得が低い貧困層の上に、向上意欲も低い社会階層が誕生した。2014年(平成26年)にはマイルドヤンキーと呼ばれる若者が注目された。地方都市郊外にはロードサイド店が林立し、地方都市の中心市街地を荒廃させた。

地方では医療崩壊が始まる中、鉄道ローカル線路線バスが相次いで廃止され、自家用車を自ら運転できない高齢者の買い物難民や交通難民が社会問題となった。一方、公共交通機関の発達した都市部の若者は生活必需品ではない自動車に興味を示さなくなり、車離れをするようになった。地方で大きな雇用を生み出していた建設業は大幅な公共事業の削減で建設会社が減少して、[38]一部は農業福祉産業に転じる動きもみられた。製造業円高のために生産縮小と海外への工場移転が続いた。平成初期から2010年代までに進行した男性向きの建設業製造業などの仕事が減少して、女性向きの福祉・サービス業・事務職などの仕事が増えた結果、労働力の中心だった男性の価値が相対的に低下する男性不況が話題になる。

1990年代後半より電子マネーが様々な業種で用いられるようになり、特に日本国内ではEdy(現・楽天Edy)、Suicaで採用されたFeliCaによる非接触型ICカード方式の電子マネーが急速に普及し、流通系・交通系の各社が様々な電子マネーを提供するようになった。これらの電子マネーの普及により、2011年(平成23年)には1円玉硬貨が1枚も製造されなかった。印刷物書籍に代わって、電子書籍が普及する。

2006年(平成18年)5月1日総会屋を規制する会社法会社法第120条が施行される。2011年(平成23年)に携帯電話PHSの契約台数が日本総人口の1億2805万人を超える国民の保有数が1億9805万台となり、人口比で契約数が101.4%となった。通常の携帯電話以外に通信機器専用のスマートフォンをもつ人や会社などの仕事用の携帯電話とプライベートの携帯電話で使い分ける「2台持ち」の人が増加したことも要因と分析されている。

2000年代に小泉改革による航空業界の規制緩和を機に、スカイマーク、北海道国際航空(現・AIRDO)などの新規航空会社の参入が相次いだ。また、2010年代に入ると、サービスを簡素化することで低運賃を実現する格安航空会社 (LCC) が増加し、国際線・国内線共に日本市場への参入が増加した。

2012年(平成24年)頃から稚魚の不足からウナギの価格が高騰した。

団塊の世代が青年期だった1970年代までの生産年齢人口が増加する人口ボーナスによる高度経済成長から団塊の世代が60歳以上の高齢者となった2000年代には老人が急増して若者などの勤労者が減少する人口オーナスによるデフレ経済に移行した。高齢者を狙う押買押売が社会問題となる。

バブル期には富裕層の間で億ションが流行り、小泉時代には六本木ヒルズに住む富裕層(ヒルズ族)が注目を集めたが、その一方で2000年代以降には一般的な民家自宅借家)・アパートマンションなどではなくシェアハウスで共同生活をする若者(男女)も急増した。

平成期になり車内販売を廃止する鉄道会社が増加した。2010年代中華民族系(中華人民共和国台湾香港シンガポール)から日本への観光客が急増した。

2015年(平成27年)頃からドローン(無人航空機)が普及し始めた[39]

世界同時不況編集

2000年代は輸出産業である製造業が好調だったが、人手不足は2004年(平成16年)に労働者派遣法が改正されたことで製造業にも派遣が認められて外国人労働者を含む派遣社員を中心に不安定雇用労働者などで賄われた。そのため、海外市場の減速が製造業を直撃したことと2009年問題により、2008年(平成20年)秋頃から、派遣労働者の解雇や雇い止めをする「派遣切り」が増加した。年越し派遣村が創設されるなどの貧困対策が取られたが、2009年(平成21年)3月までに19万人が失職した。職を失った派遣社員が大量に寮を追い出され、ホームレスと化した。[40]

アメリカのサブプライムローンを引き金とする2008年(平成20年)末からの世界同時不況は、「100年に1度の不況」「第二次世界恐慌」などと呼ばれており、製造業以外の業種にも深刻な打撃を与えている。2009年(平成21年)に麻生内閣の緊急経済対策として定額給付金の給付やエコカー減税エコカー補助金エコポイント制度・ふるさと雇用事業などの対策が採られたが本格的な回復路線に乗ることはなかった。

国際化と日本の企業問題編集

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)後編集

2011年(平成23年)には、米国債ショック東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が起こり、さらにそれによって福島第一原子力発電所事故が起きた。この影響により、株価が急落したり、製造ができなくなったり、作物の風評被害が起きたりと障害が起きている。2011年(平成23年)夏には、電力使用制限令が発動される。菅内閣内閣の退陣と引き換えに固定価格買い取り制度再生可能エネルギー特措法を成立させて風力発電太陽光発電地熱発電水力発電などの自然エネルギーの活用を推進した。

金融広報中央委員会が2012年(平成24年)2月22日に発表した2011年(平成23年)の家計の金融行動に関する世論調査の結果では、一家の人数が2人以上の世帯で「貯蓄がない」と答えた世帯の割合が28.6%に上り、調査を始めた1963年(昭和38年)以来では、過去最高の数字となった。

2012年(平成24年)頃には、韓国企業のサムスン電子に価格や品質や人材力で敗北するようになり、2000年代三重県亀山市シャープ亀山工場大阪府堺市堺区シャープ堺工場を建設するなど世界の亀山モデルと呼ばれた液晶テレビで好調だったシャープ東芝パナソニックなど大手電機メーカーの売り上げが不振で赤字となり人員削減などの大規模なリストラを実施した。被災地の鉄道復旧が進まずバス・ラピッド・トランジット (BRT) が気仙沼線で導入された。東日本大震災の影響で災害対策が注目されて、防災用品として保存が長く持つロングライフ食品がヒット商品となった。[42]

アベノミクス(第2次安倍内閣)編集

2012年(平成24年)12月26日第2次安倍内閣が成立した。安倍内閣はアベノミクスと呼ばれる政策で日本銀行による金融緩和や日本銀行による建設国債の買い取りを実施して、デフレからの脱却を目指すために、物価上昇率を2%と高めに設定するインフレターゲット目標を定めた。アベノミクスは円安による貿易黒字の増大と株価上昇などによって、消費を刺激し、社会全体に恩恵がもたらされるトリクルダウン効果を狙う政策であった。東日本大震災で社会基盤が重大な損害を受けたことから国土強靭化計画を策定し、防災減災のために、高度経済成長期に建設された道路の補修や改修などを推進するアベノミクス政策が実施されるようになった。経済財政諮問会議が復活して日本経済再生本部産業競争力会議が設置された。

2013年(平成25年)にタイマレーシアからの観光客に対してビザを免除し、2014年(平成26年)にはインドネシアからの観光客のうちICチップ入りパスポートを所持する人についてもビザを免除するなど、訪日外国人旅行客の誘致も積極的に推進され、2013年(平成25年)は1036万人と初の訪日外国人旅行者数の1000万人超えを達成、2014年(平成26年)は1341万人を記録し、前年の過去最高記録を更新した。また、2014年(平成26年)の訪日旅行客が使った金額も過去最高となる2兆305億円を記録した[43]

映像・音楽などの日本のコンテンツを世界に伝え普及させたり、ファッションやアニメなどのコンテンツの海外市場の開拓のため、大型の商業施設の開発やM&Aなどを支援する官民ファンド海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)」を、2013年(平成25年)11月25日に官民あわせて375億円の資金を集めて設立した[44]ほか、日本政策金融公庫でも海外展開を行う中小企業向けに従来優遇金利よりも低金利の融資制度を検討する[45]など、日本の対外イメージ向上および、それによる関連コンテンツの輸出増加や観光客を誘致する政策を推進し、2013年(平成25年)の日本の放送コンテンツ海外輸出額は約138億円となり、2010年(平成22年)の約62億5000万円から倍増した[46]

移民1000万人計画の一環として2014年(平成26年)に安倍内閣は、高度人材と認定された外国人永住権を取得するために必要な在留期間を3年に短縮、親や家事使用人の帯同も認められるようにする出入国管理及び難民認定法改正案を閣議決定した[47]

2010年代に猫ブームが起きて、犬の飼育数が減少する一方で猫の飼育数が増加して、2015年(平成27年)頃にネコノミクスが流行語となった。民主党政権時代の1ドル80円台の円高で平均株価が1万円以下だった経済状況から、1ドル120円台の円安で1万8000円台まで一時的には株価が回復したが、中国経済の成長の鈍化や世界的な原油価格の下落が起きて、2016年(平成28年)に日本銀行マイナス金利政策を実施した。

国際経済問題編集

平成期は、人件費の抑制と円高の進行で製造業の海外移転が相次ぎ、産業空洞化が進んだ。

バブル期のあたりは、貿易摩擦を解消するために海外へ移転する製造業が増加した。バブル崩壊後の1990年代中頃になると、円高が生じ、海外へ移転する製造業が増加した。2000年代に入ると、人件費削減のため、中華人民共和国や開発途上国(ASEANなど)へ製造工場を移転することが多くなった。2010年代に入ると、再び円高が生じ、海外への移転が増加した。2011年(平成23年)にタイ洪水がありタイ王国内の工業団地に多数の工場を進出させていた日系企業が被災して自動車産業などの工場が操業停止となる。

2000年代に入り日本の国内で発生した内政問題やアメリカ合衆国との間で、日本が牛肉の輸入禁止措置や検査強化をしたことに対する日米外交問題や国際問題としてBSE問題が発生した。

東日本大震災や急激な円高の進行で自動車産業家電などの輸出が不振となり、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で日本国内の原子力発電所が相次いで点検や安全性の確保のために発電を停止して、火力発電所での発電の増加で海外からの燃料の輸入額が大きく増加したのが原因で2011年(平成23年)の日本の貿易収支は赤字に転じて、1980年(昭和55年)の第2次石油危機以降では、31年ぶりになる貿易赤字国へ転落した。

菅内閣野田内閣TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉をする議論を開始した。

株式市場編集

円高編集

ドル-円相場
平成初期の円は、1ドル120円から160円であったが、1990年代中頃から円高が進行して、1ドル100円を突破した。その後、円高は治まり、1ドルが100円を突破することは少なくなったが、2008年(平成20年)以降、急激に円高が進行して、1ドル100円を突破、2011年(平成23年)頃からは、1ドル80円を超える状態が続き、一時1ドル75円台となり、円高記録を更新した。2013年(平成25年)〜2015年(平成27年)頃までのアベノミクスの時期は円安政策で1ドル120円台まで円安が進んだ。
ただし、2002年(平成14年)頃までは、ドル/円の為替レートと実効為替レートとがほぼ一致していたが、2002年(平成14年)以降は、ドルの世界的な価値が下がったため、ドルに対する円の価値と世界的な円の価値とが乖離するようになった。
ユーロ-円相場
2000年(平成12年)頃は1ユーロ90円から110円であったが、その後円安になり2000年代中頃には1ユーロ160円台になった。2008年(平成20年)に急速な円高が生じて、1ユーロ130円前後になり、その後、ギリシア危機などでさらに円高となり、1ユーロ110円台となった。
人民元-円相場
平成初期は、1元30円程度であったが、1990年代前半にかけて急速に円高が進行して、1元10円前後となった。その後、人民元は、固定相場制や通貨バスケット制によって相場は安定して、1元14円あたりを前後している。
実効為替レート「2005年(平成17年)を100円とした時 数値が高いほど円高」
1990年(平成2年)頃は、90円台であったが、その後円高が進行して、1993年(平成5年)頃から130円を超えるようになった。1995年(平成7年)には一時150円を超えたが、その後円安となり、100円台にまで下がった。2000年(平成12年)前後から120円台へ円高となったものの、その後は円安となり、80円台にまで下がった。2008年(平成20年)には急激な円高となり、100円前後まで上がったが、その後は100円前後で安定している。

教育史編集

教育制度改革編集

  • 昭和末期から平成初期に、偏差値重視の教育制度の改革が進められ、臨時教育審議会の提言で文部科学省は新学力観を導入し、その考えが基となる学習指導要領が1989年(平成元年)に改訂、1992年(平成4年度)から施行された。その後、中央教育審議会の提言で生きる力の育成という目的が導入され、その目標に基づく学習指導要領が1998年(平成10年)に改訂、2002年(平成14年度)から正式に施行された。この指導要領によって総合的な学習の時間を設置、授業時間数の削減、教育内容の減少となった。しかし、PISAの順位が落ちたことから、学力低下を引き起こしていると批判を受け、生きる力の育成という目標は堅持しつつも、授業時間の増加、教育内容の増加が盛り込まれた学習指導要領が2008年(平成20年)に改訂、2011年(平成23年度)以降から正式に施行された。
  • 文部科学省が教育改革として、新設された高校として、中高連携教育や特色ある学校を認可するなどの教育改革を実施して、以下の学校が創設された。
    1. 総合制高校の新設。
    2. 単位制高校の新設。
    3. 国際高校の新設。
    4. 公立高校中高一貫教育をする中等教育学校タイプの高校の新設。
    5. 併設型中等教育学校タイプの高校の新設。
    6. 連携型中等一貫校タイプの中高一貫校の新設。
    7. 福祉高等学校の新設。
  • 生きる力を重視している文部科学省は以上の新しい高等学校を設置した。
  • 生活力の育成や学校独自の教育を推進するために、文部科学省が設置した新設教科として、以下がある。
    1. 中学高校課程の地理歴史科の新設。
    2. 小学校低学年の生活科の新設。
    3. 小中高教育での学校設定教科の創設。
    4. 福祉科の創設。
  • 以下の新しい教科を新設した。
  • 国際化や男女平等を推進する教育改革として、文部科学省は以下の教科を必修教科として必修化した。
    1. 小学校での外国語活動として英語必修教科として必修化した。
    2. 高校での世界史を必修教科として必修化した。
    3. 男女共同参画社会を目指す男女平等政策として中学・高校での家庭科の男子必修化が行われた。
  • 出席簿も男女が混ざったものに変わった。アメリカの自由教育思想や大正時代の自由教育の思想の影響で職業体験の重視や天才的な頭脳を持つ高校生の大学進学を早期にするための教育の規制緩和として、以下の活動と制度を導入した。
    1. 社会奉仕体験活動の導入。
    2. 大学の飛び入学の導入。
    3. 週休2日制の導入。
  • 民主党政権下の教育制度改革の計画として、優秀な高校生を早期に大学進学をさせて専門分野を専攻できるようにすることで、国際社会で活躍できる人材の育成を狙う文部科学省2012年(平成24年)6月1日に、高等学校を2年間で卒業して大学に入学できる制度を創設する方針を決定して、国家戦略会議主導で平野博文文部科学大臣が取り組んでいた。

学力問題編集

1990年代から学力低下が懸念され、1999年(平成11年)には「分数ができない大学生」が出版された[48]。さらに2003年(平成15年)のOECD生徒の学習到達度調査 (PISA) や国際数学・理科教育調査 (TIMSS)、2006年(平成18年)のPISAでは学力低下が顕著となった。その後、2003年(平成15年)には教育内容の上限規定が撤廃された。2007年(平成19年)には全員参加方式の全国学力・学習状況調査テストが復活して、さらに脱ゆとりへと路線が変更され、2008年(平成20年)には指導要領が改正、移行措置として一部が2009年(平成21年)から実施、小学校では全面的に2011年(平成23年度)から実施されることとなった。2007年(平成19年)のTIMSSでは、学力低下が止まり、2009年(平成21年)のPISAでは、学力が回復した。2013年(平成25年)の経済協力開発機構 (OECD) の国際成人力の調査で日本国が第1位になる。

学校制度改革編集

2003年(平成15年)に国立大学法人法が制定されて、国立大学国立大学法人となった。教員の相次ぐ性犯罪や、偏った思想に基づいた教育や言動などが問題となり、教員の資質向上のための教育改革として実施された制度が教職大学院の創設であり、それと検討されたのは教員免許更新制である。これに伴って日本の教育問題として、親の学歴・収入・家柄・職業などの経済格差と都道府県別や市町村別の地域格差を背景とした能力格差の拡大が表面化している。この原因は公教育機能が低下しているためと言われ、公教育への不信感が増大している。それを補うため、東京都を中心に公立学校選択制の導入や公立学校以外の学習塾私立学校へ進学希望者が増加している。私立学校と教育を重視する地域などの一部学校や、文部科学省の方針で教育予算が増加されて低学年で実施されたのが、少人数授業少人数教育を目的に「35人学級」や「30人学級」で、きめ細かい指導を導入する教育改革がされた。平成期に学校群制度が全廃されて丸坊主などの頭髪の規制を撤廃して長髪を認可したり制服のみから私服を認可して服装の自由化をするなど校則が改正される学校が増加した。公立小学校公立中学校義務教育期間に一体化して連携教育を行う「小中一貫教育」が広がったことから、第2次安倍内閣中央教育審議会が提言した構想で、小中連携教育を推進するために6歳〜15歳までの9年間の小中一貫の「義務教育学校(仮称)」の新設が議論された[49]。高校の普通科で「キャリア教育」を必修化するが検討された。

教育行政と新設教科編集

2001年(平成13年)1月6日中央省庁再編により文部省を改組して、科学技術庁を吸収合併して廃止する形式で文部省と科学技術庁が統合されて、文部科学省が設置される。2003年(平成15年度)から情報科が新設されて、高等学校の必修教科となる。2011年(平成23年度)から小学校で、外国語活動の時間が設けられて、2012年(平成24年度)から中等教育で、安全性の問題が議論されている武道科(剣道科・柔道科・相撲科)の3種目と指導方法の向上が必要であるダンス科(創作ダンス・フォークダンス・現代的なリズムのダンス)が導入されて、3 種目から選択して必修化されるようになった。2012年(平成24年度)から、木造校舎の建設を可能とするため木造校舎の焼失実験が実施されて、1972年(昭和47年)に終了した放射線教育が約30年ぶりに中学校の理科で復活した。

成績評価編集

2000年(平成12年)から小学校と中学校の義務教育の課程で相対評価から絶対評価による教育評価成績評価が重視をされるようになった。重視されるようになった絶対評価には認定評価の他に到達度評価があり、到達度評価の一つである観点別学習状況による教育評価と成績評価が導入された。

修身教育の見直しと道徳教育重視編集

自由民主党修身教育復活や道徳教育重視を唱える愛国心儒教道徳の育成を目指す保守派議員の意向で文部科学省2002年(平成12年)4月に、全国の小学校・中学校に道徳の副教材の心のノートを無料配布した。民主党政権の事業仕分けによって教材作成の補助が廃止された。

私立中学受験編集

2007年(平成19年)に首都圏京阪神では格差社会の進行やゆとり教育の影響で学歴社会負け組となる公立中学校を敬遠するようになった。高学歴・高収入の中流家庭では子供の受験競争に熱心な家庭が増加して、私立中学校の受験者数はピークとなり中学受験バブルが起きたが、翌年には私立中学受験バブルは崩壊した。2008年(平成20年)のリーマンショック以降の景気低迷、公立学校における脱ゆとり教育への転換、さらには東日本大震災などの影響で、私立中学受験者数の減少は続いており、受験者数の減少に歯止めがかかっていない。私立中学校の募集定員は3万9721人から4万1688人と約5%も増加して、私立中学受験ブームを受けての定員数の増加や、中高一貫体制強化による付設高校の募集定員の縮小と廃止が行われた。

大学受験編集

1990年(平成2年)に大学共通第1次学力試験に代わり大学入試センター試験が導入された。バブル世代が大学生であった昭和末期は学閥など大学ブランドが強い明青立法中日東駒専関関同立などの私立大学が人気であったが、2000年代以降は平成不況による貧困家庭の急増の影響などの学費の問題で地元の国立大学(いわゆる駅弁大学)志向となる。受験生の志願者数が多い団塊ジュニア世代が大学生であった平成初期は、18歳人口の多さで、3流大学でも高倍率であり大学入試は難関であった。2000年代以降には、18歳人口の減少による少子化の進行と学歴インフレの進行で3流私立大学の定員割れが急増した。1990年代日本大学早稲田大学の志願者数がトップであったが、2000年代に日本大学の志願者が減少して2008年(平成20年)まで早稲田大学が1人勝ちの志願者がトップであった。2009年(平成21年)以降は早稲田大学の志願者がトップであったが、早稲田大学ブランドの魅力が変わり志願者が減少して、代わって明治大学が志願者トップとなる。2014年(平成26年度)に近畿大学の志願者数が初めて日本一となる[50]

教育と社会問題編集

不登校問題やフリースクールの試みが行われた。学校を卒業しても社会に参加しないニート引きこもりに陥る者が多く現れ、メディアで盛んに報道され、問題視されるようになった。これは、学校と実社会の間にギャップがあるという日本独特の問題が潜んでいるとされる。余りに学校社会に慣れた子供は、卒業しても社会に適応することが困難になると言われる。

現在の引きこもりは1970年代生まれの人々が最も多く(後の世代では引きこもりは減少傾向)、引きこもりの長期化・高齢化が深刻になっている。また、ニートだと定義されていない35歳以上の中年の無業者も問題になっている[51]

1990年代後半からパソコンや携帯電話が、2010年代からはスマートフォンが学生の間でも普及し出した。2002年(平成14年)には、小学1年生で5.0%、中学1年生で32.3%だったのに対し、2007年(平成19年)には、小学生1年生で11.7%、中学1年生で62.0%と2000年代に入ってからは小中学生の間でも普及し出した[52]

また、2000年代後半になると、10代のパソコン離れが起き、携帯の使用率が上がっている[53]。これらの世代はパソコン、携帯電話などを使ってネットによる情報発信能力を身に付けたにもかかわらず、情報リテラシーやマナー教育が追いつかなかったため、ネットいじめが社会問題になった。

1980年代前半生まれは「キレる17歳」「コギャル世代」「酒鬼薔薇世代」とも呼ばれ、さらには神戸連続児童殺傷事件光市母子殺害事件西鉄バスジャック事件秋葉原通り魔事件などの犯罪や、援助交際や、新成人の成人式の騒ぎが問題となった。

その一方で、それらの問題が、若者に対するステレオタイプだとして、俗流若者論という概念も生まれた。東日本大震災の影響で子供の心的外傷後ストレス障害 (PTSD) が増加したり、被災地岩手県宮城県福島県の子供の転校が急増する。

少子化の進展で大学全入時代を迎えて、21世紀には大学倒産時代となり、ブランド大学以外の地方大学や私立大学は定員割れで経営危機に立たされている。私立大学・私立短大の中には、統廃合によって学生募集を停止して廃校になる学校が増加した。親の収入と学歴の高低が子供の学歴の高低に直結する「格差の遺伝」とも言われる現象が広く知られるようになった。

一方で、逆に高い学歴を持ちながら生活に苦しむ学歴難民と呼ばれる層も氷河期世代から発生している。女子の高学歴化や進学率の増加、厳しい経済状況を背景にした難関志向もあり、難関大学の難易度は、依然高い水準にある。進学率が増加する一方で、BFランク大学の名前を書くだけで受かる入試、ユニーク入試一芸入試など学力にとらわれない入試も増加している。

いじめ問題とマスコミ報道編集

  • 第1期のいじめ問題といじめ自殺ブームとして、1986年(昭和61年)の中野富士見中学いじめ自殺事件(昭和46年生まれの団塊ジュニア世代)があった。平均兄弟数が2人まで少子化した影響で人間関係が上手でない新人類世代が中学生だった昭和40年代からいじめ自殺の事例はあった[注 5]。これまでまったくの一般人の自殺であることと、心理的影響でいじめ自殺が増加することから、昭和50年代までタブーだったいじめや自殺問題を久米宏などの戦中生まれのマスコミがあまりにもこの中学生に対するいじめが酷かったことを理由にタブーを破り最初のいじめ自殺報道がされた[注 6]
  • 第2期のいじめ問題といじめ自殺ブーム(平成で最初)として、1994年(平成6年)前後の時期に愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件(昭和55年生まれの松坂世代の学年でポスト団塊ジュニア世代)を中心とするいじめ自殺報道があった。
  • 第3期のいじめ問題といじめ自殺ブームとして、2006年(平成18年)前後の時期に福岡中2いじめ自殺事件(平成4年生まれのゆとり世代)を中心とするいじめによる自殺が繰り返し報じられた。
  • 第4期のいじめ問題といじめ自殺ブームとして、2012年(平成24年)にも大津市中2いじめ自殺事件(平成9年生まれのゆとり世代)があった。
  • マスコミの報道によっていじめ問題が注目されて、この時期の統計ではいじめ自殺やいじめが増加している。
  • この時期など数年に1回の割合でいじめ自殺やリンチ殺人がマスコミによって報道されており、以下のいじめについての教育問題があった。
    1. 政治家の発言。
    2. 文部科学省の対応。
    3. 親の対応。
    4. 加害者のいじめ行為。
    5. インターネットへの個人情報や中傷の書き込み。
    6. 学校の対応。
    7. 被害者が受けた被害と情報。
    8. 和田秀樹が主張するマスコミの世界保健機関 (WHO) が定めた自殺ガイドラインのルールに違反する自殺報道によって自分も自殺して同情されたい注目されたいと思うウェルテル効果が起きる心理的な影響[54]
    9. 教育委員会の対応。
    10. 警察犯罪被害への対応といじめ問題への介入。
    11. 道徳教育の必要性。
    12. 被害者と加害者の実名などのプライバシーの問題。
    13. マスコミによる過剰な報道の是非。
  • マスコミによるいじめ報道やいじめ自殺報道の影響でいじめ問題が注目されて、いじめの存在やいじめ自殺の存在が議論されていじめが社会問題となる[55]
  • 大津市いじめ自殺問題の対応策として、2013年(平成25年)にいじめ防止対策推進法が成立する。同年、大阪市立桜宮高等学校の体罰事件や柔道日本女子での体罰など生徒指導死(自殺)が問題となる。

教育思想編集

平成期の教育思想は大きく区分して2種類ある。教育思想として以下の2種類の教育思想が対立して激しい論争となる。

  1. 昭和時代の戦後期に主流だった教育思想のジェローム・ブルーナーの教育理論を支持する和田秀樹学歴社会受験競争偏差値教育を第一として詰め込み教育を肯定する思想。
  2. アメリカ合衆国や大正時代に盛んだった作文や職業体験などの経験主義で個性を伸ばすジョン・デューイの教育理論がある。この自由主義的な教育思想を支持する文部省官僚の寺脇研が公立学校での詰め込み教育の排除を主導した。平成期に改革されたゆとり教育20世紀アメリカ合衆国新教育運動大正時代大正自由教育運動を模範とするものであった。ゆとり教育思想が平成期の新しい教育思想となった。

小渕内閣教育改革国民会議による教育を変える17の提案の発表や安倍内閣教育再生会議福田康夫内閣教育再生懇談会が設置された。学校教育法地方教育行政の組織及び運営に関する法律社会教育法の改正が実施されるなど『教育改革3法案』が成立した。新保守主義による国旗国歌法教育基本法の改正などの愛国心を謳った教育が主張された。2001年(平成13年)に、新しい歴史教科書をつくる会が既存の社会科の教科書を左翼自虐史観であると称して、それら左翼的自虐史観の教科書に反対する保守勢力が地理歴史科教科書公民科教科書を執筆したが、中華人民共和国大韓民国朝日新聞などの左翼勢力の反対で教科用図書検定が妨害される歴史教科書問題が再び起きた。その後、日中歴史共同研究日韓歴史共同研究なども模索された。

社会と大学教育編集

財界大企業では東京証券取引所上場企業の社長数1位が、昭和時代東京大学出身者から慶應義塾大学出身者の三田閥となり、政界でも平成での出身大学別総理大臣で一番多いのは、6人を輩出した早稲田大学であるなど、東京大学の学閥は早稲田大学・慶應義塾大学の躍進で政界・財界のトップではなくなり、平成期に学歴的地位が低下した。

夜間と通信制の高校、大学、大学院で社会人と高齢者を対象に生涯学習社会になり、情報化社会や知識社会の到来で子どもと青年期以外の全ての世代が教育対象になる。

大学での女子学生へのセクシャルハラスメントの問題やアカデミックハラスメントが問題となる。貧困層の増加で大学進学が容易でない家庭や奨学金の返済がされない問題が発生した。21世紀になり東京大学などで日本の大学で主流である従来の4月入学を全廃して、海外で主流である秋入学への全面移行をする教育改革が進んでいる。国際的な大学間の競争に対応して、学生の海外留学を促すことが理由である。大学生活の期間にボランティアなどの社会奉仕や徴農制の導入を推進することも検討されている。

平成期になり日本政府の留学生受け入れ増加計画で中華人民共和国などアジアからの留学生が急増する。その反面、日本からの海外留学生数は団塊ジュニア世代が大学生でまだバブル景気の残滓があった1990年代がピークだった。2000年代ゆとり世代が大学生となり、彼らの親世代であるしらけ世代新人類世代の所得減少もあってアメリカの大学や欧米諸国を中心に海外に留学する日本の若者が減少した。2012年(平成24年)に文部科学省は世界の大学が採用する共通の大学入学資格取得に必要な教育課程の国際バカロレア資格の国内認定校の拡大のために200高校に留学支援課程を設置する計画を立案した。英語の第二公用語化の議論や一部の学力が高い大学で講義の英語化が実施された。

平成期は大学進学率大学院進学率が急上昇した。大学進学率が1989年(平成元年)の24.7%から2010年(平成22年)には50.2%となった。進学者は、約40万人から約60万人にまで増加した。女子を中心とした短大進学者が4年制大学にシフトして短大進学率は1994年(平成6年)の13.2%をピークに減少して2010年(平成22年)には6%となった。修士課程の大学院進学率は急上昇して17%となり、2003年(平成15年度)に、専門職大学院の制度が作られ、法科大学院などが作られた。それに伴い、教育改革として学部を置くことなく大学院を置く大学(いわゆる大学院大学)の数も増加した。特に、大学への進学率、進学者増加は、分子(大卒の就職者数)がバブル期とほとんど変わらないのにもかかわらず、分母(大学卒業者数)が増えたため大卒の就職率(就職者数/卒業者数)が大幅に下がってしまった要因の一つとなった。2012年(平成24年度)には、全国の法科大学院73校の入学生の統計で、86%に当たる63校で定員を下回るようになった。

2012年(平成24年)の野田内閣時代の大学改革では予算や設備、人員を各学部ごとに集中させて教育の質を高め、優秀な人材を育成する狙いから、一つの国立大学法人の下で複数の大学の学部を集約して、具体例として大学Aは医学部理工学部、大学Bは法学部経済学部、大学Cは文学部に特化することなどを想定する文部科学省は、都道府県を超えて国立大学の学部の再編を進める方針があった。新しい大学教育制度として、一つの国立大学法人が複数の国立大を運営できるようにして、各大学にある類似する教育内容の学部を再編する計画であった。

2015年(平成27年)の第二次安倍内閣では、理系重視と左翼学者を育成しているとされる国立大学の文系学部の廃止・縮小・改組の議論があった。2015年(平成27年)に自由と民主主義のための学生緊急行動(略称SEALDs(シールズ))という学生運動の組織が結成された。

昭和時代戦後期)に誕生した駅弁大学からさらに大衆化が進行して、平成時代(21世紀)になってコンビニ大学と呼ばれてコンビニ化した地方大学や私立大学が問題となっていたため、2012年(平成24年)に、田中真紀子文部科学大臣によって大学設置基準による大学認可問題が起きた。平成期になり大学の看護学科の新設ラッシュが発生して、平成初期から2010年代まで看護学科の増設が続いている[56]

教育方法編集

新しいタイプの学部・学校と通信教育の充実編集

世相編集

学術研究史編集

数学
物理学
化学
生物学・生理学・医学
工学

PISAショック編集

2000年(平成12年)以後に、OECD生徒の学習到達度調査 (PISA) が行われ、これはPISAショックと呼ばれた。

世界史編集

昭和天皇崩御の年である1989年(平成元年)にベルリンの壁の崩壊が起こり、同年12月に米ソによるマルタ会談があり冷戦が終結した。1991年(平成3年)にソビエト社会主義共和国連邦は、領土を構成していた共和国の全てが独立し、崩壊・消滅した。こうして、それまでクレムリンホワイトハウスに抑圧されて来た国々では、民族・宗教紛争が勃発した。ソビエト連邦の崩壊・消滅後は、アメリカ合衆国が唯一の超大国となって絶対的な力を揮うアメリカ一極体制となり、旧東側諸国が西側経済に統合され、特に1991年(平成3年)から2000年(平成12年)までの間、世界は「アメリカナイゼーション」「グローバリゼーション」と呼ばれるグローバル資本主義に巻き込まれた。

一方で、欧州連合 (EU)、中国ロシアラテンアメリカなどが、アメリカ一極体制を牽制する動きを見せている。この動きは、2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件以後に顕著となった。

国連創設60周年に当たる2005年(平成17年)には、敵国条項の削除と国連安全保障理事会常任理事国入りを目指し、グループ4(日本、ドイツインドブラジル)を結成したが、中国、韓国、さらにはアメリカなどの反対にあって挫折した。2011年(平成23年)には、アラブの春によってチュニジアエジプト民主化が起き、周辺国で民主化のデモが起きる。

国際関係史編集

アメリカとの関係編集

日本は、冷戦時代と同じく日米関係を外交の基軸として、湾岸戦争イラク戦争に協力した。冷戦後、政治・経済・社会のシステムが根こそぎアメリカ型に変わった。

沖縄米兵少女暴行事件1995年(平成7年)に発生して普天間基地移設問題が起き、2009年(平成21年)には民主党政権のはっきりしない外交政策と安全保障政策によって辺野古に移す案が問題化して、2012年(平成24年)にはオスプレイの配備が問題となっている。

アジアとの関係編集

海外ではアジア諸国、中国・インドタイマレーシアなどに急速な経済発展が見られ、それに伴って日本との経済関係も、これまで以上に緊密になった。

中華人民共和国との関係編集

北京オリンピック上海万博を開催して、「四つの近代化」を進めてきた中国は急速に経済的存在感を強め、日中関係は「政冷経熱」と呼ばれるように緊密化した(日本の最大の貿易相手国は中国である)。それとともに、ガス田開発尖閣諸島などの領土を巡る尖閣諸島問題などで日本との摩擦が表面化している。また、中国は天安門事件で国際社会から制裁を受けた1989年(平成元年)以降、年々軍備増強を強力に推し進めており、日本にとって脅威になっていると言われている(中国脅威論)。2011年(平成23年)以降、小笠原諸島など日本領海内でサンゴ密漁する中国籍の漁船が急増した。

大韓民国との関係編集

大韓民国は民主化が進み、1993年(平成5年)には朴正煕政権以来32年間続いていた軍事政権は消滅して、金泳三による文民政権に移行した。しかし、「歴史を正す(역사 바로 세우기)」、つまり「反日スタンス」を外交問題・内政問題に利用するスタンスは軍部政権時代と変わらず、金泳三は日本海呼称問題朝鮮総督府庁舎の取り壊しや竹島の実行支配など歴史問題で中国と連携して強硬な反日キャンペーンを行った。続いて1998年(平成10年)に発足した金大中政権は日本文化の受容や日本との関係改善に取り組み、平成14年の2002 FIFAワールドカップの日韓共催、マスコミが主導した韓流ブームにより文化面では友好ムードが高まった。しかし、政治面では竹島の領有権問題の表面化や、小泉純一郎首相の靖国神社参拝により、日韓関係は冷えた。2003年(平成15年)からの盧武鉉時代には、近隣諸国に対し強硬な外交姿勢を示すことが多くなり、日本だけでなく中国・米国との摩擦も高まった。2008年(平成20年)に李明博政権が発足した。李明博大統領は大阪府出身の月山明博という日本名があった在日韓国人で当初は親日韓国大統領と見られていたが、2012年(平成24年)8月10日に韓国の歴代大統領として初めての竹島訪問による領土問題の激化や天皇に対する謝罪要求があり日韓関係が悪化した。2005年(平成17年)に日本の島根県議会竹島の日条例が可決されて毎年2月22日記念日となった。2010年(平成22年)8月10日に管内閣によって管談話が発表された。初の韓国女性大統領となった朴槿恵中華人民共和国との関係を最重要視して、慰安婦像をアメリカ合衆国に設置するなど従軍慰安婦問題で日本を追及している。2015年(平成27年)に慰安婦問題日韓合意が締結された。

朝鮮民主主義人民共和国との関係編集

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間で日本人拉致問題核開発問題が深刻化している。日本政府は拉致問題を解決するために、経済制裁を可能とする法整備を進め、ミサイル発射訓練を機に制裁を発令した。

東南アジア諸国との関係編集

この他の東南アジア諸国でも自国の経済発展や華僑の人口増加、中国の経済発展に伴って、日本を先頭とした雁行型経済に代表されてきた伝統的な対日依存を見直し、新たな経済大国として浮上した中国や、EUなど他地域との関係を強化することで、経済の多極化を図る動きがある。

なお、東南アジアにおいては東南アジア諸国連合 (ASEAN) が結成され、東南アジア諸国は共同体形成を模索している。

アジア全体との関係編集

東アジア共同体、およびアジア共同体構想が浮上している。これはEUのアジア版であり、ASEANや日中韓などの各国が共同して立ち上げた大戦略だが、ASEANや日中韓といった地域には人種、宗教、言語、文化、経済力といった地域統合を促す要素に共通性が希薄で、また共同体の主導権を巡って日中が激しく争う向きがあるものの、アジア諸国が日中の二者択一を望んでいないといった理由などで、構想自体が空中瓦解するだろうという見方も少なくない。

文化史編集

バブル景気全盛期 - 崩壊期 (1989年〈平成元年〉 - 1994年〈平成6年〉頃)
この時期の文化は1980年代からの継続という色が濃い。
バブル世代の間では、ハイレグ水着や、真っ赤な口紅にソバージュやトサカヘアー、太眉ボディコンという押しの強いファッションが流行した。食の本格志向が強まり、イタリア料理やエスニック料理が定着し[57]、消費の多様化とブランド志向の高消費文化を築いた。『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』などトレンディドラマの最盛期であり、当時の人気俳優を起用したドラマは軒並み高視聴率を叩き出した。音楽業界ではバンドブームビーイングブームの最盛期。バブル景気時代の風俗の代名詞として知られる「ジュリアナ東京」が営業していた時期は[58]、バブル崩壊期に当たる1991年(平成3年)から1994年(平成6年)であり、当時すでに時代の最先端から半歩遅れていたディスコであった。一方、アイドルはテレビにおける歌番組の衰退などもあって、「冬の時代」と呼ばれる低迷期であった。情報化社会の到来も叫ばれ、パソコン通信ポケベルが最も普及したのもこの頃である。
平成不況期 (1995年〈平成7年〉 - 2000年〈平成12年〉頃)
バブル崩壊後の不況の長期化により「右肩上がりの時代」は完全に終わり、デフレ時代が到来し、日本の風俗は大きな転機を迎えた。
ファッションの多様化が起こり、1970年代後半から1980年代前半生まれ(ポスト団塊ジュニア世代)の青少年の間でアムラー裏原宿系・B系渋谷系などのファッションが流行した。バブル景気時代の流行から一転して細眉が流行し、茶髪が定着した。中高生がファッションの中心として認知され[59]コギャルが風俗として注目された。コミュニケーション手段としてはPHSを含む携帯電話インターネットが爆発的に普及。Windows 95の発売を機に、安価になったパーソナルコンピュータが多くの家庭に浸透していった。1994年(平成6年)末には『週刊少年ジャンプ』が653万部の歴代最高部数を達成し、1995年(平成7年)頃には日本の漫画の売り上げがピークに達した。音楽業界ではビーイング系(ビーイングブーム)・小室系[60]ヴィジュアル系の最盛期で[61]1998年(平成10年)頃にはCDセールスがピークとなった。1999年(平成11年)、宇多田ヒカルがアルバムの『First Love』を発売して、日本で860万枚以上、日本国外を含めると990万枚以上を出荷し、日本のアルバム歴代チャート1位に輝く。
聖域なき構造改革」期 (2001年〈平成13年〉頃 - 2007年〈平成19年〉頃)
外需主導により実感のない「景気回復」が続いていた時期。この時期も、大半の被雇用者の賃金は下落傾向にあり、「格差社会」が流行語となった。
パソコンや携帯電話は2000年代に入るとほとんどの国民に普及し、インターネットの利用が一般化した。ブログSNS動画投稿サイトなど、個人が発信者となるネットサービスが新たな媒体として普及していった。いわゆる「構造改革」により福祉や公共事業の抑制、市町村合併などの緊縮的政策が実施され、大都市圏以外の地方の経済の疲弊が進んだ。行政による福祉サービスの縮小に伴い、漫画喫茶インターネットカフェが、低所得者向けビジネスとしての機能を果たすようになった。雑誌や漫画を始めとする出版物の発行部数が減少(出版不況)したが、発行点数はむしろ増加している。iPodが爆発的な売上げを記録し、音楽のインターネット配信がそれまでのパッケージ媒体 (CD) を置き換えていった。一部ではテレビ離れも囁かれ始め、メディア業界の不振が目立つようになった。映画では、テレビ局制作作品を初めとした邦画洋画を上回る興行成績を上げるようになり、日本映画の復活が注目を集めた。1980年代生まれの青年層では、秋葉系おたく文化の浸透が進み、メイド喫茶フィギュアに代表される、「萌え」をめぐる社会現象が盛んに取り上げられた。焼け跡世代団塊の世代などの中高年層では、1950年代1960年代高度経済成長期を懐古する風潮も広がった。ファッションでは、環境省主導で官公庁を中心にクール・ビズファッションが広まり、節電指向の広まりから民間企業でもしだいに定着した。若者のファッションは著しく多様化し、世代全体に広がるようなファッションの流行はもはや見られなくなった。
世界同時不況期 (2008年〈平成20年〉頃 - 2010年〈平成22年〉頃)
アメリカのサブプライムローンに始まる恐慌が世界を覆い(世界同時不況)、少子高齢化や貧困層の増大が進む日本の風俗にも深い影を落とした。
製造業が軒並み経営悪化し、撤退・廃業・海外移転が相次いだ。基幹産業たる製造業を失った地方経済の疲弊は著しく、地方商店街は軒並みシャッター通りと化した。公共事業に頼らない地域振興を狙った地域おこし事業が模索されるようになり、ご当地グルメゆるキャラが取り上げられ、人気を集めるようになった。インターネット配信やウェブアプリケーション、ネット通販などによる、従来の様々な媒体やサービスの置き換えが進んだ。TwitterYouTubeニコニコ動画などの新しいソーシャルメディアが急激に成長し、文化・政治・社会の各方面に大きな影響を及ぼした。
たばこ税酒税の相次ぐ増税とこれに伴う節約志向に加えて、世界的な健康指向の定着により、たばこ離れやアルコール離れと言われる現象が日本でも顕著になった。また特に20歳代前後の若年層では外食費の減少も著しく、外食を控えて家で料理をしたり調理食品(中食)を食べるようになっている様子がうかがえる。
雑誌の休廃刊が相次ぎ、新聞・広告業界は深刻な不振に陥り、社員に希望退職を募る出版社や新聞社が続出した。音楽では、嗜好の個別化がさらに進み、レコード会社の影響力はすっかり低下。新曲売上の落ち込みに伴いヒットチャートAKB48をはじめとする一部アイドルグループやアニソン等に偏る傾向となり、過去のような流行歌が生み出されにくい環境になっている。一方で、携帯電話を対象にした各種サービスの成長は著しく、携帯電話からのインターネット利用がパソコンを上回った。
東日本大震災以降 (2011年〈平成23年〉以降)
世界同時不況からの回復期であるが、日本では新卒就職状況の改善以外に景気回復の実感はほとんどなく、可処分所得の減少、地方の衰退に歯止めがかからず、格差社会化が一層進んでいる。これを受け日本政府は2010年代中盤より「地方創生」を重点政としている。
2011年のアナログテレビ停波に伴いテレビ離れは若者から中高年にも及び、印刷媒体の出荷量は急激に落ちこみ、レジャー産業やメディア産業の縮小が著しい。iPhoneを初めとしたスマートフォンの普及も進み、書籍や雑誌のネット配信も本格化し始めた。ネット文化では、若年層を中心に「LINE」などが広く普及し、コミュニケーションの形態を大きく変えた。
アジア圏を中心とする海外からの日本への観光客は年々増えており、日本政府も観光業を支援している。外国人観光客が日本国内に落とすマネーの重要度が増したが、外国人観光客は為替レートや国際情勢の影響を大きく受け増減することから、日本人観光客のテコ入れが課題になっている。
国内消費は、この時期に行われた消費税増税の影響などで低迷を続けている。ただし2013年(平成25年)頃には貴金属類や高級マンション、その他高額なぜいたく品の売れ行きがかなり良くなったというマスメディアの報道が多くなされ、これがいわゆる「アベノミクス」効果であるともされた。
公共交通機関が発達している大都市部では自家用車を保有しない「車離れ」が顕著となっている。一方で、モータリゼーションによりバスや鉄道が衰退して自家用車に依存せざるをえない地方部ではその重い負担が社会問題となり、自家用車を保有できない交通弱者にとっては様々な場面で不便を強いられている。また高齢者の交通事故が社会問題化している。

宗教史・社会思想史編集

【参考文献】 『平成宗教20年史』(出版社:幻冬舎新書、出版年度:2008年〈平成20年〉、著者:島田裕巳

社会問題編集

高齢化の進行と生活保護問題・年金問題編集

平成の少子化問題編集

  • 1989年(平成元年)に合計特殊出生率が1.57人となり、1966年(昭和41年)の丙午の1.58人をも下回ったため「1.57ショック」として社会的関心を集めた。平成期になり、出生率低下が続き、1992年(平成4年)度の国民生活白書で少子化という言葉が使用されて、少子高齢化が国民に知られるようになった。1995年(平成7年)に生産年齢人口(15歳 - 64歳)が最高値(8717万人)となり、1996年(平成8年)から生産年齢人口が減少過程に入った。1997年(平成9年)には少子社会となった。
  • 2003年(平成15年)には年間出生数が112万人まで減少した。2005年(平成17年)の出生数は106万2530人であり、合計特殊出生率は1.26人と過去最低となり総人口の減少が始まった。その後は合計特殊出生率が上昇して、2010年(平成22年)に合計特殊出生率は1.39人となった。しかし、出生数は微増なのでこれからも日本人の人口の減少は止まらないと予測されている。
  • 働く女性の保育所待機児童の問題や、児童虐待事件の一覧があったように児童福祉法児童虐待の防止等に関する法律が制定されて児童虐待が問題となる。

医療問題・福祉問題編集

環境問題編集

主な出来事
社会問題化した環境関連の事柄
その他

女性史編集

平成以前の女性史編集

女性と結婚と子どもの問題編集

男女平等と伝統・文化の問題編集

女性に関する社会問題編集

女性アイドルと女性芸能人編集

女性の政治史編集

女性に関わる文化と流行編集

1989年(平成元年) - 2000年(平成12年)
2000年代(平成12年 - 平成21年)
2010年代(平成22年 - )

スポーツ史編集

野球(プロ野球・高校野球・国際野球)編集

1980年代・1990年代(1989年〈平成元年〉 - 1999年〈平成11年〉)
2000年以降(平成12年 - )

大相撲編集

1980年代・1990年代の千代の富士時代〜若貴時代・曙貴時代・二子山時代・武蔵川時代 (1989年〈平成元年〉 - 1999年〈平成11年〉)
2000年代の貴丸時代〜朝青龍時代〜青白時代(平成12年 - 平成21年)
2010年以降の白鵬時代〜(平成22年 - )
  • 2010年(平成22年)から2012年(平成24年)の時期は放駒輝門が理事長で、2012年(平成24年)に再び北の湖敏満が日本相撲協会の理事長となったが、2015年(平成27年)11月(九州場所中)の理事長在任中に死去した。2015年(平成27年)12月に八角信芳が日本相撲協会の理事長となった。貴乃花部屋の貴乃花親方が新たに日本相撲協会の理事に当選して、外部理事制度が設けられた。外部理事である元東京高等検察庁検事長の村山弘義が日本相撲協会の理事長代行となり、副理事長職が新設された。朝青龍が暴行事件の責任で引退したことで、2010年(平成22年の初場所)を最後に朝青龍時代が終わり、代わって2010年代は白鵬時代になる。大相撲野球賭博問題など暴力団角界の間で交際があった不祥事で、2010年(平成22年)に開催された名古屋場所でのNHK(日本放送協会)によるテレビ放映が中止となった。2011年(平成23年)に大相撲八百長問題が発覚した不祥事で大阪場所が中止されて、夏場所は技能審査場所となった。横綱白鵬が、連勝記録である63連勝して、7場所連続優勝などの記録を更新した。さらに2015年(平成27年)の初場所で優勝32回の元横綱の大鵬幸喜を超える最多優勝33回以上となった。大関魁皇2011年(平成23年)の名古屋場所で通算勝星が歴代1位となる1047勝を更新したが、その後2017年(平成29年)の名古屋場所で白鵬が1048勝目を挙げて更新した。魁皇が引退をして日本人大関が不在となった。横綱・大関は全て外国人力士となったが2011年(平成23年)11月場所に日本人力士の大関琴奨菊が誕生した。2012年(平成24年)には日本人大関の稀勢の里とモンゴル出身の大関鶴竜が誕生して史上最多の6大関となった。ウィンブルドン現象が起きて、2006年(平成18年)初場所の大関栃東以来日本出身力士の幕内最高優勝が10年間と長らく途切れていたが、2016年(平成28年)の初場所に日本出身力士(福岡県出身)の大関琴奨菊が優勝した。2003年(平成15年)初場所に貴乃花が引退してから2017年(平成29年)の初場所まで日本出身の横綱が存在せず、平成期に誕生した横綱の内訳は合計10人の中で日本人横綱が4人(旭富士正也青森県出身〉・貴乃花光司東京都出身〉・若乃花勝〈東京都出身〉)・稀勢の里寛茨城県出身〉と、6人(曙太郎アメリカ合衆国ハワイ州出身〉・武蔵丸光洋〈アメリカ合衆国ハワイ州出身〉・朝青龍明徳モンゴル出身〉・白鵬翔〈モンゴル出身〉・日馬富士公平〈モンゴル出身〉・鶴竜力三郎〈モンゴル出身〉)が外国出身の外国人横綱である。平成期に誕生して平成期に引退した横綱で角界に親方として残っているのは旭富士・貴乃花・武蔵丸の6人中3人のみであり、平成期の横綱は半数しか日本相撲協会に残っていない。2013年(平成25年)に大鵬幸喜が死去、2015年(平成27年)に北の湖が死去、2016年(平成28年)に千代の富士が死去した事から、平成期の2000年代まで存命だった昭和の大横綱と呼ばれた3人がこの世を去った。

サッカー編集

1980年代・1990年代 (1989年〈平成元年〉 - 1999年〈平成11年〉)
2000年以降(平成12年 - )

オリンピック競技編集

その他編集

競馬
競輪
モータースポーツ

歴史的類似時代編集

平成・享保
古田隆彦による新語で[133]江戸時代1716年(享保元年)から1736年(享保21年)の享保期の約20年間の転換期と同じように、1990年(平成2年)からの約20年間は調節の時代となるだろうという予測から、戦後の高度経済成長期に流行語となった「昭和元禄」に倣って「平成・享保」と名付けられた[134]
その他

年表編集

1989年平成元年
2月9日に手塚治虫が死去
2月24日、昭和天皇大喪の礼[135]
3月29日、女子高生コンクリート詰め殺人事件が発覚。
4月1日、消費税施行 (3%)[136]
4月27日に松下幸之助が死亡
6月3日、宇野内閣が発足。
6月4日、中国北京六四天安門事件
6月24日に美空ひばりが死亡[137]
7月23日、第15回参議院議員通常選挙参議院が与野党逆転、平成で初のねじれ国会に。宇野内閣退陣。
8月10日、第1次海部内閣発足。
8月11日、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者として宮崎勤を逮捕。
11月4日、オウム真理教による坂本堤弁護士一家殺害事件が発生。
11月10日、ベルリンの壁崩壊[138]
11月22日、日本労働組合総連合会(連合)が発足。
12月3日、マルタ会談[139]
12月6日、モントリオール理工科大学虐殺事件が発生した。
12月29日、東証大納会日経平均株価が終値史上最高値を記録。
1990年平成2年
大蔵省が土地関連融資の抑制に関する行政指導総量規制)を行う。
1月7日、フジテレビ系列で人気テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』が放送開始[140]
2月28日、第2次海部内閣発足。12月29日にはさらに第2次海部改造内閣発足。
3月10日、 京葉線東京-蘇我間全線開通。
4月1日、大阪市国際花と緑の博覧会(花博)開幕、9月30日まで開催。
6月8日、FIFAワールドカップイタリア大会開幕
6月29日、礼宮文仁親王(現:秋篠宮)と川嶋紀子が結婚。
7月16日、バギオ大地震が発生した。
8月2日、イラククウェート侵攻[141]
10月3日、ドイツ再統一
11月12日、今上天皇即位の礼大嘗祭挙行。
11月21日、任天堂家庭用ゲーム機スーパーファミコン発売[142]
12月2日、TBS記者の秋山豊寛ソ連ソユーズTM-11で日本人初の宇宙飛行
12月7日 、サンリオピューロランドが開園
1991年平成3年
バブル経済崩壊、後に失われた10年と呼ばれる不況始まる[143]
1月17日、多国籍軍イラク空爆開始により湾岸戦争が勃発した。
2月23日、浩宮徳仁親王立太子の礼が行われ、正式に皇太子となる。
3月14日、広島新交通システム橋桁落下事故が発生した。
5月12日、足利事件が発生した。
5月14日、信楽高原鐵道列車衝突事故発生。同日、第58代横綱千代の富士が引退した。
6月3日、長崎県の雲仙普賢岳が大噴火し火砕流が発生した[144]
6月15日、IOC1998年冬季オリンピック開催地を長野市に決定。
6月20日、JR東日本東北上越新幹線東京駅まで開業し、同駅まで直通運転を開始した。同日、

大手証券会社の巨額損失補填問題が発覚。

8月19日、ソ連8月クーデター発生。
9月17日、大韓民国朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が国際連合加盟。
11月5日、宮澤内閣発足。
11月29日、南北線駒込駅 - 赤羽岩淵駅間が開業。
12月10日、都営地下鉄大江戸線が開業
12月25日、ソビエト連邦崩壊[145]
1992年平成4年
東京佐川急便の巨額不正融資事件
2月8日から23日までアルベールビルオリンピック開催。
3月5日、市川一家4人殺人事件が発生。
3月25日、長崎県佐世保市ハウステンボスが開業。
4月13日 、 テレビ朝日で人気アニメクレヨンしんちゃん放送開始。
4月25日、ロック歌手の尾崎豊肺水腫のため26歳で死去。
5月27日、 サザエさんの作者として知られる漫画家の長谷川町子が死去。
6月19日、国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO協力法)が成立。9月17日に自衛隊カンボジア派遣
7月1日、JR東日本山形新幹線福島駅 - 山形駅間が開業。
7月25日から8月9日にかけてバルセロナオリンピック開催。
8月4日 、小説家の松本清張が死去。
9月12日、毛利衛スペースシャトルエンデバーに搭乗し、宇宙空間に向けて出発した。スペースシャトル日本人初搭乗。同日、学校の週休2日制(第2土曜日休日制)始まる[146]
10月5日、第47回国民体育大会(べにばな国体)秋季大会開会式で天皇に対する発煙筒事件[147]
10月23日以降、天皇が初めて中華人民共和国など東南アジア3ヶ国を訪問。
11月3日、米大統領にビル・クリントンが当選。
12月12日に宮澤内閣改造内閣発足。


1993年平成5年
4月18日、日本エアシステム451便着陸失敗事故が発生した。
5月15日にJリーグが開幕。
6月9日に皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀が挙行された。
7月7日から9日までの3日間、第19回先進国首脳会議(サミット)が東京都港区赤坂迎賓館で開かれた。
7月12日に北海道南西沖地震が発生した[148]
8月9日に非自民・非共産連立政権細川内閣発足により、自由民主党最初の下野(55年体制の崩壊)。
8月26日、東京都港区でレインボーブリッジが開通。
10月2日に伊勢神宮内宮で、同5日に外宮で第61回式年遷宮
10月28日、ドーハの悲劇
12月9日、法隆寺姫路城世界文化遺産に、屋久島白神山地世界自然遺産にそれぞれ登録された。
歴史的冷夏1993年米騒動の引き金となり、12月14日にコメの部分開放が決定される。
12月16日、日本列島改造論を唱えた田中角栄元首相が死去。
1994年平成6年
2月12日から27日にかけてリレハンメルオリンピック開催。
4月26日に名古屋空港中華航空機墜落事故
4月28日に羽田内閣が発足。
6月30日に自社さ連立政権村山内閣が発足した。
6月27日にオウム真理教による松本サリン事件が発生。
7月8日に日本人初の女性宇宙飛行士・向井千秋スペースシャトルコロンビア号に搭乗し宇宙へ。同日、北朝鮮金日成主席が死去[149]被爆者援護法成立。古都京都の文化財が世界文化遺産登録。
9月4日に関西国際空港開港。
10月から11月にかけ、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件が発覚。
10月8日にナゴヤ球場にて日本プロ野球史上初の最終戦首位同率決戦、10.8決戦
10月13日に大江健三郎ノーベル文学賞受賞。
11月27日 愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件が発生した。
12月28日に三陸はるか沖地震発生。
1995年平成7年
1月17日に阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)が発生[150]
3月20日にオウム真理教東京都内の地下鉄路線を標的とした地下鉄サリン事件発生。
4月19日、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件が発生した。
4月19日、横浜駅異臭事件が発生した。
5月16日にオウム真理教麻原彰晃代表逮捕[151]
5月28日、ネフチェゴルスク地震が発生した。
 7月11日から12日、7.11水害が発生した。
8月15日、終戦の日50周年。村山談話発表。
Windows95の英語版が8月24日に、日本語版が11月23日に発売された。
9月5日にフランス大統領ジャック・シラク南太平洋ムルロア環礁核実験を強行。
11月1日、ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線新橋駅 - 有明駅間 が開業した。
11月9日に野茂英雄投手がメジャーリーグ新人王に。
12月9日に白川郷・五箇山の合掌造り集落が世界文化遺産に登録された。
12月20日、アメリカン航空965便墜落事故が発生した。
1996年平成8年
O157による食中毒事件。
1月11日、第1次橋本内閣発足。
2月10日、北海道後志管内の余市郡余市町古平郡古平町を結ぶ国道229号豊浜トンネルで岩盤崩落事故。
2月17日、ニューギニア島沖地震が発生した。
3月26日、南北線四ツ谷駅 - 駒込駅間開業
3月30日、東京臨海高速鉄道りんかい線 新木場駅 - 東京テレポート駅間が開業。
4月28日、ポートアーサー事件が発生した。
6月21日、住専処理法が成立。
6月23日、NINTENDO64が発売
7月20日から8月4日にかけてアトランタオリンピック開催[152]
8月4日、渥美清が死去。9月3日に国民栄誉賞が授与された。
9月23日、藤子・F・不二雄が死去。
11月5日、第2次橋本内閣発足。
12月5日、広島県原爆ドーム厳島神社が世界文化遺産に登録された。
12月17日に在ペルー日本大使公邸占拠事件発生。
12月26日、ジョンベネ殺害事件が発生した。
1997年平成9年
たまごっちブーム。
1月2日、ナホトカ号重油流出事故
2月8日、千葉市都立高校教諭強盗殺人事件が発生した。
3月1日、大阪ドームが開場。
3月15日 、ナゴヤドーム開場。
3月22日、JR東日本秋田新幹線盛岡駅 - 秋田駅間が開業。
4月1日、消費税率改定 (5%)。
5月14日、アイヌ文化振興法の成立。
6月28日、神戸連続児童殺傷事件の犯人として当時14歳の少年が逮捕された[153]
7月1日、香港イギリスから中国に返還。
7月12日、映画「もののけ姫」(宮崎駿監督)が劇場公開。
8月31日、ダイアナ元英皇太子妃フランスパリで交通事故死。
9月5日、 マザー・テレサ死去
9月11日、第2次橋本改造内閣発足。
9月23日、日米安保条約の新ガイドライン合意。
9月30日、南北線溜池山王駅 -四ツ谷駅間 開業
10月1日、JR東日本北陸新幹線の一部区間である高崎駅 - 長野駅間が長野新幹線として先行開業。
10月16日、臓器移植法が成立。
11月16日、サッカー日本代表FIFAワールドカップ(W杯)初出場を決める(ジョホールバルの歓喜)。
11月17日、北海道拓殖銀行破綻。都市銀行の倒産は戦後初。
11月22日、山一證券破綻。戦後の証券会社の倒産としては過去最大。
12月1日、地球温暖化防止京都会議開幕。同月11日、京都議定書が採択された。
12月16日、ポケモンショック事件。
12月18日、東京湾アクアラインが開通。
1998年平成10年
1月28日、栃木女性教師刺殺事件が発生した。
2月7日から22日にかけて長野オリンピックが開催された。
3月31日、山一證券が自主廃業した。
4月5日、明石海峡大橋開通した。
4月27日、新しく民主党が結党された。
6月14日、サッカーワールドカップ日本代表が初出場。
7月12日、第18回参議院議員通常選挙で参院が与野党逆転、平成で2度目のねじれ国会に。
7月25日、和歌山毒物カレー事件
7月30日、小渕内閣発足。
8月31日、北朝鮮弾道ミサイルテポドン1号発射実験を行い、三陸沖に着弾する。
9月2日、スイス航空111便墜落事故が発生した。
10月8日、プロ野球横浜ベイスターズが38年ぶりセ・リーグ優勝を決めた。10月26日には西武との日本シリーズに競り勝ち、38年ぶりの日本一に輝いた。
10月16日、金融再生関連法(債権管理回収業に関する特別措置法など5法)が成立した[154]
10月22日、旧国鉄債務処理法の成立により国鉄清算事業団を廃止。
11月27日、多摩都市モノレール線が開業
12月2日、古都奈良の文化財が世界文化遺産に登録された。

 

1999年平成11年
だんご3兄弟』が大ヒット。
ノストラダムス現象(7の月に恐怖の大王)。
2000年問題が話題に。
ミッチー・サッチー騒動
3月24日から6月10日にかけてコソボ紛争への制裁のため、NATO軍がユーゴスラビアに大規模空爆を行った。
4月30日アジアクラブ選手権1998-99ジュビロ磐田優勝
5月14日、情報公開法が公布された。
5月24日、周辺事態法が成立した。
7月23日、全日空61便ハイジャック事件が発生。機長が刺殺され、日本におけるハイジャックで人質が死亡した初めての事件となった。
8月12日、通信傍受法の成立。
8月13日、国旗・国歌法が公布・施行された。
9月30日、東海村JCO臨界事故[155]
11月12日、皇居前広場で天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典の開催。
 11月28日、東名高速飲酒運転事故が発生した。
12月2日、日光の社寺が世界文化遺産に登録された。
12月4日、、JR東日本山形新幹線延伸 山形駅-新庄駅が延伸した。
12月20日、マカオポルトガルから中国に返還された。
2000年平成12年
3月2日、テレクラ放火殺人事件が発生した。
3月8日、営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故が発生した。
4月5日、第1次森内閣が発足。5月15日の神の国発言により6月2日の神の国解散へと発展した。6月25日の第42回衆議院議員総選挙を経て、7月4日に第2次森内閣が発足。
5月3日、西鉄バスジャック事件が発生した。
5月5日、さいたま新都心が街開き。
5月14日、前首相の小渕恵三死去。
6月13日から15日にかけて韓国北朝鮮南北首脳会談が開催された。
6月16日、香淳皇后崩御
6月から7月にかけて雪印集団食中毒事件が発生した。
7月7日、 舞浜駅前にショッピング施設イクスピアリがオープン。日本初のディズニーホテルディズニーアンバサダーホテルがオープン。
7月8日、三宅島の雄山が噴火した。9月2日から全島民が島外に避難した。
7月19日より新紙幣として二千円札が発行された。
7月21日から23日まで沖縄県名護市万国津梁館第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)が開催された。
9月1日 、東京ディズニーランドに新アトラクションプーさんのハニーハントがオープン。
9月11日、名古屋市を中心に東海地方で記録的な集中豪雨「東海豪雨」が発生した。
9月15日から10月1日にかけてシドニーオリンピックが開催された。:9月26日、南北線目黒駅 - 溜池山王駅間 全線開業
10月6日鳥取県西部地震が発生した。
10月10日、筑波大学名誉教授白川英樹ノーベル化学賞が贈られることが決まった。
11月、第2次森内閣打倒を目指して与党自由民主党加藤紘一山崎拓らが起こした一連の倒閣運動加藤の乱』が起きた。
11月7日、米大統領選挙でジョージ・ウォーカー・ブッシュが当選した。
12月2日、琉球王国のグスク及び関連遺産群が世界文化遺産に登録された。
12月12日、都営地下鉄大江戸線が全線開通。した。
12月30日、世田谷一家殺害事件が発生した。
12月31日、20世紀が終わった[156]
2001年平成13年
1月1日、21世紀が始まる。
1月15日、最初のウィキペディアとして英語版が開設された[157][158]
2月10日、宇和島水産高等学校の実習船がアメリカ海軍原子力潜水艦ハワイ沖で衝突されるえひめ丸事故
3月21日、ゲームボーイアドバンスを発売。
3月24日、芸予地震が発生した。
3月28日、埼玉高速鉄道線開業
 3月31日、東京テレポート駅 - 天王洲アイル駅間部分開業、
4月26日、第1次小泉内閣が発足。
6月8日、大阪府池田市大阪教育大学附属池田小学校附属池田小事件
7月21日、明石花火大会歩道橋事故が発生した。
9月1日、歌舞伎町ビル火災が発生した。
9月4日、東京ディズニーシーがグランドオープン。
9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生した。10月7日より対テロ戦争としてアメリカ軍によるアフガニスタン侵攻開始(ターリバーン政権に対する戦争)。
10月4日、シベリア航空機撃墜事件が発生した。
12月1日、皇太子徳仁親王妃雅子愛子内親王を出産。
12月10日、野依良治ノーベル化学賞を受賞した。
12月22日、東シナ海海上保安庁巡視船と北朝鮮の工作船の銃撃戦の末、工作船が沈没した(九州南西海域工作船事件)。
2002年平成14年
1月1日、欧州連合(EU)圏内の通貨が新通貨ユーロに完全統合された。
2月8日から24日にかけ、ソルトレイクシティオリンピックが開催された。
5月31日から6月30日にかけ、2002 FIFAワールドカップを日本と韓国が共同開催された。
7月9日アフリカ連合が発足した。
8月5日、住民基本台帳ネットワークシステムが開始された。
9月17日、平壌で第1回日朝首脳会談が開かれた。
10月12日、バリ島爆弾テロ事件 (2002年)が発生した。
10月15日、拉致被害者5人が日本へ帰国した[159]
10月23日-10月26日モスクワ劇場占拠事件が発生した。
12月1日、JR東日本東北新幹線盛岡駅から八戸駅まで延伸開業した。天王洲アイル駅 -大崎駅間開業(全線開業)した。
12月10日、小柴昌俊ノーベル物理学賞田中耕一ノーベル化学賞を受賞した。
2003年平成15年
新興感染症重症急性呼吸器症候群(SARS)が世界的に流行した。
1月18日、天皇前立腺癌の摘出手術を受けた。
3月20日、イラク戦争勃発。
5月23日、個人情報保護法が成立[160]、2005年4月1日より施行された。
7月2日と7月6日、玄界灘海難事故が発生した。
8月10日、沖縄都市モノレール線が開業
9月15日、プロ野球セ・リーグ阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝。
10月1日、JR東海東海道新幹線品川駅が開業した。
11月19日、第2次小泉内閣が発足した。
11月29日、イラク日本人外交官射殺事件が発生した。
12月以降、自衛隊イラク派遣が始まる。
12月13日、サッダーム・フセインアメリカ軍に身柄を拘束された。
12月26日、バム地震が発生した。
2004年平成16年
3月以降、政治家の年金未納問題が明るみになる。
3月13日、JR九州九州新幹線(鹿児島ルート)の新八代駅 - 鹿児島中央駅間が開業。
4月、10月にイラク日本人人質事件が相次いで発生し、10月の事件で人質1人が殺害された。
5月22日、平壌で第2回日朝首脳会談が開かれた。
6月1日、佐世保小6女児同級生殺害事件
6月以降、プロ野球再編問題オリックス・ブルーウェーブとの合併により、大阪近鉄バファローズが同年限りで消滅した。
7月7日、紀伊山地の霊場と参詣道が世界文化遺産登録。
7月13日、平成16年7月新潟・福島豪雨が発生した。
8月13日から29日までアテネオリンピックが開催された。
8月24日、2004年ロシア航空機爆破事件が発生した。
9月5日、紀伊半島南東沖地震が発生した。
観測史上最多の10個の台風が日本列島に上陸した。特に10月20日に上陸した台風23号は、全国で98人の死者・行方不明者を出し、台風の被害としては平成に入ってから最悪となった。
10月23日、新潟県中越地震。が発生した。
11月1日、日本銀行券のデザインを20年ぶりに変更。
11月2日のプロ野球オーナー会議で『東北楽天ゴールデンイーグルス』の、プロ野球パ・リーグへの新規参入が認められた。
12月2日、ニンテンドーDSが日本国内で発売。
12月13日~12月15日、ドン・キホーテ放火事件が発生した。
12月26日、マグニチュード9.1のスマトラ島沖地震(インド洋大津波)が発生し、22万人の死者を出した[161]
2005年平成17年
2月17日、中部国際空港(セントレア)開港。
2月26日、ひまわり6号を搭載したH-IIAロケットの打ち上げが成功した。
3月20日、福岡県西方沖地震が発生した。
3月25日から9月25日まで、愛知県長久手町(現・長久手市)を中心に2005年日本国際博覧会(愛・地球博、愛知万博)が開催された。
4月25日、JR西日本福知山線(JR宝塚線)でJR福知山線脱線事故が発生し、JR発足後の死者数としては史上最悪の鉄道事故となった。
7月7日、ロンドン同時多発テロ
7月17日、知床が世界自然遺産登録。
8月8日に衆議院解散。その後、9月11日に第44回衆議院議員総選挙が行われた。
8月24日、  つくばエクスプレス開業
9月21日、第3次小泉内閣が発足し、10月31日に内閣改造が行われた。
10月21日、郵政民営化法案が成立した。
11月17日、構造計算書偽造問題が発覚した[162]
2006年平成18年
前年12月から2月にかけ、日本が平成18年豪雪に見舞われた。
1月16日、東京地検特捜部がライブドア(現:LDH)本社などを強制捜査(ライブドア・ショック)。
1月23日、堀江貴文が逮捕された。
2月10日から2月26日にかけ2006年トリノオリンピックが開催された。
2月11日 、表参道ヒルズがオープン
2月16日、神戸空港が開港
2月16日以降、堀江メール問題が明るみになった。
3月2日よりワールド・ベースボール・クラシック第1回大会が開催され、同月20日に日本代表が初代優勝を決めた。
3月27日ゆりかもめ有明駅 - 豊洲駅間が延伸された。
6月9日から7月9日にかけワールドカップ ドイツ大会が開催された。
6月17日、村上ファンド代表の村上世彰が逮捕された。
7月5日、北朝鮮がミサイル発射実験を行った。
9月6日、秋篠宮妃紀子悠仁親王を出産した。
9月26日、第1次安倍内閣が発足した。
10月9日、北朝鮮が核実験を実施した
12月30日、サッダーム・フセインイラク元大統領が処刑された[163]
2007年平成19年
食品偽装問題など、食の安全を脅かす不祥事が相次いだ。
1月9日、防衛庁が防衛省に移行した。
3月13日、全日空機高知空港胴体着陸事故が発生した。
3月25日、能登半島地震が初声敷いた。
4月16日、バージニア工科大学銃乱射事件が発生した。
4月17日、長崎市長射殺事件が発生した。
5月28日、松岡利勝農林水産相が自殺した。
6月28日、石見銀山遺跡とその文化的景観が世界文化遺産に登録された。
7月16日、新潟県中越沖地震が発生した。
7月29日、第21回参議院議員通常選挙民主党が大勝し、参院が平成で3度目のねじれ国会が発生した。
8月20日、チャイナエアライン120便炎上事故が発生した。
9月26日、福田康夫内閣が発足した。
10月1日、日本郵政公社が民営化され、日本郵政グループ(JPグループ)が発足した[164]
11月14日AFCチャンピオンズリーグ2007浦和レッドダイヤモンズが優勝
2008年平成20年
世界的な石油価格高騰により、物価上昇が発生した。
3月10日、チベットで大規模暴動
2月19日、野島崎沖でイージス護衛艦あたご」が漁船と衝突したイージス艦衝突事故が発生した。
3月30日、日暮里・舎人ライナーが開業
4月1日より後期高齢者医療制度が実施された。
4月26日、長野県長野市2008年北京オリンピックの聖火リレーが行われた。
5月12日、四川大地震が発生した。
6月8日、秋葉原通り魔事件が発生した。
6月14日、岩手・宮城内陸地震が発生した。東京メトロ副都心線開業
7月7日から7月9日まで北海道・洞爺湖サミットが開催された。
7月24日、岩手県沿岸北部地震が発生した。
7月28日、都賀川水難事故が発生した。
8月8日から8月24日まで、北京オリンピックが開催された。
9月15日にリーマン・ショックが発生し、これを機に世界的な金融危機(世界同時不況)、急速な景気後退が発生した。
9月24日,麻生内閣が発足した。
11月4日に実施された2008年アメリカ合衆国大統領選挙で、バラク・オバマが史上初の黒人大統領として選出され、翌年1月20日に第44代アメリカ合衆国大統領に就任した。
11月12日AFCチャンピオンズリーグ2008ガンバ大阪が優勝
11月26日ムンバイ同時多発テロが発生した。
11月30日限りでJR西日本山陽新幹線0系が定期運用を離脱し、現役を引退した。
12月10日、南部陽一郎小林誠益川敏英ノーベル物理学賞下村脩ノーベル化学賞を受賞[165]
2009年平成21年
1月1日から1月6日、八戸地域大規模断水事故が発生した。
1月15日、USエアウェイズ1549便不時着水事故が発生した。
春頃から翌年3月にかけ、新型インフルエンザが世界的に流行した
3月5日から3月23日まで第2回WBCが開催され、日本代表が2連覇を達成した。
3月11日、ドイツヴィネンデン銃乱射事件が発生。
3月13日、はやぶさ及び富士がこの日発の運行限りで廃止
4月5日、北朝鮮がミサイル発射実験を実施した
5月21日、裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(裁判員法)が施行され、同年より裁判員制度が始まる。
5月25日、北朝鮮が核実験を実施した
8月11日、 駿河湾地震 (2009年)が発生した。
9月16日、民社国連立政権鳩山由紀夫内閣が発足した。これにより、自由民主党は発足以来、2度目の下野となった。
9月29日、サモア沖地震 (2009年)が発生した。
9月30日スマトラ島沖地震 (2009年)が発生した。
11月、行政刷新会議の第1弾事業仕分けが行われる[166]
11月12日、今上天皇の在位20年を記念して天皇陛下御在位二十年記念式典が開催された。
11月28日、山陰自動車道斐川ICから出雲IC間が開通。
2010年平成22年
2010年欧州ソブリン危機
1月12日、ハイチ地震 (2010年)が発生した。
2月4日、第68代横綱朝青龍が現役を引退することを表明した。
2月12日から28日にかけ、バンクーバーオリンピックが開催された。
3月以降、宮崎県南部を中心に口蹄疫の流行がみられた
3月31日、公立高校無償化法案が施行された。
4月14日、青海地震が発生した。
4月14日、2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火が発生した。
6月8日、菅内閣が発足した。
6月11日から7月11日にかけ、ワールドカップ 南アフリカ大会が開催された。
7月11日に実施された第22回参議院議員通常選挙の結果、参議院が与野党逆転、平成で4度目のねじれ国会現象が発生した。
7月29日以降、高齢者所在不明問題
今夏、日本各地で記録的な猛暑
8月18日、佐柳島沖海保ヘリ墜落事故が発生した。
9月7日、尖閣諸島中国漁船衝突事件が発生した。
11月23日、延坪島砲撃事件が発生した。
12月4日、JR東日本東北新幹線八戸 - 新青森間が開業したことにより、東京駅を起点とする同線が全線が開業した。
12月10日、鈴木章根岸英一が、ノーベル化学賞を受賞[167]
12月11日、2010年ストックホルム爆破事件が発生した。
2011年平成23年
前年末からタイガーマスク運動が社会現象となった。
アラブの春
2月2日、大相撲八百長問題が発覚した。
2月22日、ニュージーランド・クライストチャーチ市を中心に甚大な被害をもたらしたカンタベリー地震が発生した。
2月26日、ニンテンドー3DSが日本国内で発売。
3月11日、三陸沖でマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生、日本において第二次世界大戦後最悪の自然災害となった東日本大震災が発生した。また、その地震動津波の影響により福島第一原子力発電所事故が発生した。
3月12日、長野県北部地震 (2011年)が発生した。この地震は前日に発生した東北地方太平洋沖地震の誘発地震とされる。
3月12日、JR九州九州新幹線鹿児島ルート博多駅から新八代駅まで開業したことにより、同線が全線開業した。
5月2日、オサマ・ビンラディンが殺害された
6月26日から7月17日にかけて2011 FIFA女子ワールドカップが開催され、なでしこジャパンが初優勝を果たした。
6月24日、小笠原諸島世界自然遺産に登録された。
6月26日(日本時間)、平泉が世界文化遺産登録。
7月9日、南スーダン共和国スーダン共和国より独立。
7月24日、地上波テレビアナログ放送が、東日本大震災の被災3県(福島、宮城、岩手)を除き停波、被災3県では翌年3月末に停波(地デジへ完全移行)。
7月31日以降、タイ洪水が発生した。
8月19日、ニューヨーク外国為替市場円相場が戦後最高値の75円31銭を記録した。
9月2日、野田内閣が発足した。
9月3日に上陸した台風12号により、甚大な被害がもたらされた。
10月20日、リビアの革命最高指導者だったカダフィーが殺害された
10月23日、トルコ東部地震が発生した。
12月17日、金正日が死去した[168]
2012年平成24年
大飯発電所などの再稼働を巡り、各地で原子力発電所反対デモが勃発した。
1月1日、オウム真理教特別指名手配被疑者として最後まで逃亡していた3人のうちの1人、平田信が逮捕された。同年6月3日には菊地直子が、6月15日には高橋克也が逮捕されたことで、オウム真理教事件で指名手配されていた被疑者は全員が逮捕された。
2月6日、ネグロス島沖地震が発生した。
2月12日、東京ゲートブリッジが開通
2月18日、天皇狭心症の治療のため、心臓バイパス手術を受けた。
4月11日スマトラ島沖地震 (2012年4月)が発生した。
4月14日、新東名高速道路御殿場JCT - 浜松いなさJCT間が開通した。
4月19日、ダイバーシティ東京が開業
5月5日、コンプリートガチャ問題を受け、消費者庁が注意喚起を行う方針を発表した。
5月22日、東京スカイツリーが開業。
初夏から秋にかけパソコン遠隔操作事件が発生した。
6月6日、寛仁親王多臓器不全のため薨去
7月11日から7月14日にかけ、九州北部豪雨が発生した。
7月27日から8月12日までロンドンオリンピックが開催された。
8月11日イラン北西部地震が発生した。
9月11日、尖閣諸島国有化された
8月15日の香港活動家尖閣諸島上陸事件を皮切りに、中国で反日活動が勃発した
9月28日、日本維新の会が結成された。
10月1日、東京駅丸の内駅舎復元工事が完成した。
12月2日、中央自動車道笹子トンネル天井板落下事故
12月10日、山中伸弥ノーベル医学賞を受賞した。
12月14日、サンディフック小学校銃乱射事件が発生した。
12月26日、民国連立政権が終わり、自公連立政権第2次安倍内閣が発足した。[169]
2013年平成25年
平成25年豪雪が発生した。
あまちゃんブーム。
1月11日よりフランス軍マリ共和国内のイスラム系武装組織に対し、セルヴァル作戦を実施した。
1月16日、アルジェリア人質事件が発生した。
2月6日、 ソロモン諸島沖地震 (2013年)が発生した。
2月9日、ナリーニョ地震が発生した。
2月15日、2013年チェリャビンスク州の隕石落下
3月に第3回WBCが開催され、日本代表は3回目の大会で初めて優勝を逃した。
4月15日、ボストンマラソン爆弾テロ事件が発生した。
5月、出雲大社で60年ぶりの遷宮(平成の大遷宮)が実施された。
6月22日、カンボジアプノンペンで開催されていた第37回世界遺産委員会で、富士山が世界文化遺産に登録された(富士山-信仰の対象と芸術の源泉)。
9月7日、2020年夏季オリンピック2020東京パラリンピックの開催地に決定
9月26日、東北楽天ゴールデンイーグルスパ・リーグ初優勝を決めた。さらに11月3日には日本シリーズを制して初の日本一に輝いた。田中将大投手が公式戦通算30連勝の新記録。
10月2日と5日、第62回式年遷宮伊勢神宮)が行われた。
10月に台風26号が襲来、伊豆大島土石流災害が発生した[170]
12月19日、王将社長射殺事件が発生した。
2014年平成26年
妖怪ウォッチブーム。
平成26年豪雪が発生した。
1月、小保方晴子STAP研究を発表したが、その後不正騒動が起きた。
2月7日から23日までソチオリンピックが開催された。
2月、平成26年豪雪が発生した。
3月7日、あべのハルカスが開業した。
3月8日、マレーシア航空370便墜落事故が発生した。
宇露関係が悪化し、3月16日にクリミア自治共和国2014年クリミア住民投票が行われた。
4月1日、消費税率が8%に改定された。
4月1日、イキケ地震 (2014年)が発生した。
4月16日、2014年韓国フェリー転覆事故
6月、第38回世界遺産委員会富岡製糸場と絹産業遺産群が世界文化遺産に選出された。
6月12日から7月13日にかけて、ワールドカップブラジル大会が開催された。
6月29日、ISIL (IS) の樹立が宣言された。
6月頃より2014年の西アフリカエボラ出血熱流行が拡大し、多数の死者が出た。
7月17日、マレーシア航空17便撃墜事件が発生した。
7月1日、集団的自衛権の行使を容認するよう、それまでの憲法解釈を容認する閣議決定がなされた。
7月、マクドナルド食品消費期限切れ問題
7月26日、佐世保女子高生殺害事件
8月、平成26年8月豪雨が日本を襲った。これにより、8月20日には平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害が発生した。
8月から9月にかけ、日本国内でデング熱の流行がみられた。
9月18日、2014年スコットランド独立住民投票否決。
9月27日、2014年の御嶽山噴火
11月22日、長野県神城断層地震が発生した。
12月10日、天野浩赤崎勇中村修二ノーベル物理学賞を受賞した。
12月24日、第3次安倍内閣が発足した。


2015年平成27年
1月7日、シャルリー・エブド襲撃事件が発生した。
1月から2月にかけ、ISILによる日本人拘束事件が発生し、日本人2人が殺害された。
2月20日、川崎市中1男子生徒殺害事件が発生した。
3月12日、JRの寝台特急北斗星」・「トワイライトエクスプレス」が定期運行を終了し、廃止された。
3月14日、JR東日本・北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間及び上野東京ラインが開業した。
4月4日以降、寺社連続油被害事件が発生した。
5月17日、大阪市特別区設置住民投票が実施された。
7月5日、第39回世界遺産委員会で、軍艦島などの明治日本の産業革命遺産が世界文化遺産に登録された。
9月9日から11日にかけて平成27年9月関東・東北豪雨が発生した。
9月19日、参議院本会議で平和安全法制が可決成立した。これに前後し、集団的自衛権反対運動が発生した。
10月1日、スポーツ庁防衛装備庁が設置された。
10月5日、個人番号(マイナンバー制度)が開始された。
11月、WBSCプレミア12第1回大会が開催された。
11月13日、パリ同時多発テロ事件が発生した。
12月6日、仙台市地下鉄東西線が開業
大村智ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
梶田隆章ノーベル物理学賞を受賞した。
2016年平成28年
1月平成28年豪雪が発生した
2月6日 2016年台湾南部地震が発生した。
2月13日 新東名高速道路浜松いなさJCT - 豊田東JCT間が開通する。
2月16日より日本銀行マイナス金利政策を実施した。
3月26日、JR北海道北海道新幹線新青森駅 - 新函館北斗駅間が開業した[171]
4月14日以降、熊本地震で強い地震が相次いで発生した。
4月16日、エクアドル地震 (2016年)が発生した。
5月26日から5月27日、伊勢志摩サミットが開催された。
5月27日、現職アメリカ大統領として初めてバラク・オバマが被爆地広島市を訪問した。
6月23日、イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票が実施され、賛成多数の結果を受け、欧州連合からのイギリス脱退が決まった。
7月1日、バングラデシュダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件が発生した。
7月15日、トルコでクーデター未遂が発生した。
7月17日の第40回世界遺産委員会で、国立西洋美術館が世界文化遺産に登録された。
7月22日、日本国内で『ポケモンGO』がリリースされ、ブームを呼んだ。
7月26日、戦後最悪の大量殺人事件となった相模原障害者施設殺傷事件が発生した。
7月29日、シン・ゴジラが公開され、大ヒットを呼んだ。
8月5日から8月21日までの17日間、リオデジャネイロオリンピックが開催された。
8月8日、今上天皇が譲位の意向についておことばを公表した。
8月24日、イタリア中部地震 (2016年8月)が発生した。
8月26日、『君の名は。』が公開され、大ヒットを呼んだ。
10月8日、阿蘇山で噴火が発生し、噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引き上げられ。
10月21日、鳥取県中部地震が発生した。
10月27日、三笠宮崇仁親王が薨去した。
11月28日、ラミア航空2933便墜落事故が発生した。
12月22日、糸魚川市大規模火災が発生した。
SMAP解散騒動が勃発し、12月31日限りで解散した。
大隅良典ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
2017年平成29年
1月20日、ドナルド・トランプが 第45代アメリカ合衆国大統領に就任した。
1月20日に加計学園の獣医学部申請が認可され、それ以降加計学園問題が明るみになった。
1月25日、稀勢の里が19年ぶりに日本出身の横綱(第72代)に昇進した。
2月13日、金正男マレーシアにて毒殺された。
2月以降、学校法人森友学園問題が明るみとなった。
3月、第4回WBC開催。
3月3日、「Nintendo Switch」が発売
4月3日2017年サンクトペテルブルク地下鉄爆破テロ事件が発生した。
4月11日、ボルシア・ドルトムント専用バス爆弾攻撃事件が発生した。
5月1日、JR東日本の周遊型臨時寝台列車TRAIN SUITE 四季島」デビュー。
5月22日、マンチェスター・アリーナに於ける爆発物事件
6月15日、参議院本会議でテロ等準備罪を新設する改正組織犯罪処罰法が可決成立した。
6月16日、今上天皇退位に関する特例法が公布され、3年以内の皇太子への譲位が定められた。
6月26日、藤井聡太が将棋公式戦29連勝を達成した。
7月5日から7月6日にかけて九州北部豪雨が発生した。
7月の第41回世界遺産委員会で、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が世界遺産登録された。
8月8日、九寨溝地震が発生した。
8月17日、2017年バルセロナテロ攻撃事件が発生した。
9月7日、チアパス地震が発生した。
9月19日、メキシコ中部地震が発生した。
9月20日、今上天皇高麗神社を参拝した。
10月2日、ラスベガス銃乱射事件が発生した。
10月5日、日本生まれのイギリス人作家カズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞。
10月8日、カリフォルニア州ソノマ郡サンタクラリタで大規模な山火事が発生。
10月27日、カタルーニャ共和国の独立宣言が議会により承認された。
10月31日、座間9遺体事件の容疑者が逮捕された。
11月1日、第4次安倍内閣が発足した。
11月12日、2017年イラン・イラク地震が発生した。
11月14日、日馬富士の暴行事件が明るみになった。
11月14日、2017年アリーシュ・ビール・アルアベドテロ攻撃事件が発生した。
11月15日、浦項地震が発生した。
11月16日から11月19日までの4日間、2017 アジア プロ野球チャンピオンシップ開催日本優勝
11月18日、林芝地震が発生した。
11月20日、ドナルド・トランプ北朝鮮テロ支援国家に再指定すると発表した。
11月25日、AFCチャンピオンズリーグ2017 浦和レッドダイヤモンズ2度目の優勝
11月29日、日馬富士が暴行事件の責任とって引退
12月5日、羽生善治が、将棋界史上初となる永世七冠を達成
12月7日、富岡八幡宮宮司殺害事件が発生した。

西暦との対照表編集

平成 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年 8年 9年 10年
西暦 1989年 1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年
干支 己巳 庚午 辛未 壬申 癸酉 甲戌 乙亥 丙子 丁丑 戊寅
平成 11年 12年 13年 14年 15年 16年 17年 18年 19年 20年
西暦 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年
干支 己卯 庚辰 辛巳 壬午 癸未 甲申 乙酉 丙戌 丁亥 戊子
平成 21年 22年 23年 24年 25年 26年 27年 28年 29年 30年
西暦 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年 2017年 2018年
干支 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳 甲午 乙未 丙申 丁酉 戊戌
平成 31年
西暦 2019年
干支 己亥
2017年(平成29年)12月1日に皇室会議が開かれ、2019年(平成31年)4月30日をもって天皇陛下が退位、この日限りで平成の元号は終わることとなった。

平成を冠するもの編集

以下には、「平成」を冠する主な名称・用法・事柄などを列挙している。当然、全てを網羅するものではない。

文化・芸能編集

政治機関編集

企業・経済団体編集

番組名・作品名編集

アニメや特撮作品では、昭和から続くシリーズで平成に制作された作品を「平成ゴジラ」や「平成ウルトラマン」、「平成ライダー」と呼ぶことが多い。

鉄道編集

地名編集

なお上記のうち、岐阜県関市(改元当時は武儀町)の地名に限っては平成改元以前の昭和時代1988年(昭和63年)以前)にも存在していた小字名である。

道の駅編集

  • 道の駅平成 - 上記岐阜県関市の平成(へなり)地区が元号と同字の地名であることを記念して建てられた「日本平成(へいせい)村花街道センター」が、1996年に道の駅として登録された施設。読み方は「へいせい」。

教育編集

小学校編集

中学校・高等学校編集

大学編集

博物館編集

病院編集

橋梁・トンネル編集

その他編集

  • 平成大堰
  • 平成書体 - 平成元年に発表されたことに因む。
  • 平成に改元した翌日の平成元年(1989年)1月8日朝日新聞朝刊に、新元号と同じ平 成(たいら しげる)さんや○○平成(○○へいせい)さんが数人いることが掲載された[172]。マスコミの中には(たいら しげる)さん個人を見つけ出してインタビューする番組も見られた。

その他平成に関する事柄編集

三重県埋蔵文化センターが開催する「おもろいもん出ましたんやわ展」の平成27年開催分に松阪市朝見遺跡から出土した「平成」と書かれた平安時代中期の墨書土器が公開される[173][174][175][176]櫛田川の氾濫を鎮めるための祭事に使われたと推定している。

注釈編集

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  1. ^ 2017年12月現在。
  2. ^ 先代の第124代・昭和天皇崩御に伴い践祚した日。
  3. ^ 明治天皇が崩御して皇太子嘉仁親王が即位(大正天皇)した1912年7月30日は「明治45年」( 1912年 1月1日から 7月30日 まで)と「大正元年」( 1912年 7月30日 から12月31日まで)が重なったのと同様に、大正天皇が崩御して皇太子摂政裕仁親王が即位(昭和天皇)した1926年12月25日は「大正15年」(1926年 1月1日から 12月25日 まで)と「昭和元年」( 1926年 12月25日 から12月31日まで)が重なることで、改元する際に元号が重複する日があった。
  4. ^ 2010年(平成22年)参院選・比例区得票率2%以上の政党要件を満たしている。
  5. ^ 昭和45年11月の伊勢新聞北勢版や中日新聞の三重県桑名市の昭和33年生まれの女子中学生自殺かの記事で自殺を寝た子を起こすなでクローズアップしなかった。
  6. ^ 2006年(平成18年)10月、久米宏は福岡いじめ自殺事件に対する回想コメントで「報道関係者としていじめ自殺報道でいじめや自殺が増加することも想定したが、男子中学生へのいじめがあまりにも酷かったのでニュースにしちゃいました」と発言している(「報道ステーション」や「たけしの日本教育白書」などテレビ番組での発言)。
  7. ^ <参考文献>『平成宗教20年史』(幻冬舎新書、2008年(平成20年)、島田裕巳)- <書籍要約>平成元年、週刊誌が坂本弁護士事件を報道して糾弾を開始しオウム真理教はにわかに注目を集める。その後オウムは一連の騒動を起こし、その間、幸福の科学も台頭、宗教は社会の重大な関心事となり、ついに平成7年、地下鉄サリン事件を迎える。一方、平成5年、万年野党だった公明党が連立政権に参加、11年以後、与党として君臨し、ついに日本は新宗教団体が政治権力を行使する国となった。オウム、創価学会以外にもさまざまな新宗教やスピリチュアル・ブームに沸いた現代日本人の宗教観をあぶり出す ―
  8. ^ 1970年生まれ以前の世代の短大卒のステータスは、1980年生まれ以降の世代に比べると高かった。
  9. ^ 競艇でも以前は「高松宮杯」という名を使っていたが、1987年(昭和62年)2月以降から競輪や中央競馬よりも早く高松宮記念 (競馬)に名称を変更していた。参考:「高松宮殿下と住之江」(日本財団電子図書館)

出典編集

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  171. ^ “北海道新幹線開業:観光客100万人増へ PRターゲットは1都3県”. 『毎日新聞』 (毎日新聞社). (2015年1月4日). http://mainichi.jp/feature/news/20141229mog00m040032000c.html 2015年1月9日閲覧。 
  172. ^ 朝日新聞 1989年1月8日付朝刊 社会面
  173. ^ 「平成」と書かれた墨書土器などの出土品と最新の発掘成果を公開します
  174. ^ 【摩訶不思議!?】「平成」と書かれた平安時代の土器が出土!
  175. ^ 15日に「おもろいもん出ましたんやわ」展 三重埋文センター
  176. ^ 平安の土器に「平成」 おもろいもん出ましたんやわ展

参考文献編集

改元の項目
  • 読売新聞政治部編 『平成改元』 (行研、1989年)
  • 佐野眞一「第2章 元号<平成>の決定の瞬間」『ドキュメント昭和が終わった日』より(文藝春秋、2009年)
歴史学的類似時代の項目
  • 古田隆彦『昭和元禄から平成享保へ』(PHP研究所、1989年)
  • 堺屋太一『時代は変わった知価革命』(講談社、2001年)
政治史の項目
経済史の項目
宗教史の項目
教育史の項目
時代概説
  • 「昭和から平成へ」 『集英社版 漫画 日本の歴史』より
女性史の項目
  • 「女性史」 『日本女性史大事典』より(新人物往来社、1994年、新版2002年)
  • 生涯未婚率の記述⇒2012年(平成24年)5月1日火曜日 17時42分-社会(J-CASTニュース)
  • 女性の初産年齢が初の30歳超えの記述⇒厚生労働省2011年(平成23年)の人口動態統計(概数)
大正時代類似説
  • 皿木喜久 『大正時代を訪ねてみた 平成日本の原景』(産経新聞社、2002年)

関連項目編集

外部リンク編集