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平沼 (横浜市)

神奈川県横浜市西区の町名
日本 > 神奈川県 > 横浜市 > 西区 > 平沼 (横浜市)

平沼(ひらぬま)は横浜市西区にある地区で、ほぼ帷子川とその派流・石崎川にはさまれた地域に当たる。現行行政地名は平沼一丁目及び平沼二丁目と西平沼町で、主として商店街・住宅地になっている。住居表示は平沼、西平沼町共に実施済み区域。この地域を開発した江戸時代の豪商、平沼家の名にちなむ。横浜駅の南側で、相模鉄道平沼橋駅および西横浜駅がある。

平沼
平沼の位置(横浜市内)
平沼
平沼
平沼の位置
平沼の位置(神奈川県内)
平沼
平沼
平沼の位置
北緯35度27分38.85秒 東経139度37分8.09秒 / 北緯35.4607917度 東経139.6189139度 / 35.4607917; 139.6189139
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Yokohama, Kanagawa.svg 横浜市
西区
面積
 • 合計 0.299km2
人口
2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 • 合計 8,364人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
220-0023[3]
市外局番 045 (横浜MA)[4]
ナンバープレート 横浜
西平沼町
北緯35度27分37.15秒 東経139度36分58.32秒 / 北緯35.4603194度 東経139.6162000度 / 35.4603194; 139.6162000
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Yokohama, Kanagawa.svg 横浜市
西区
面積
 • 合計 0.178km2
人口
2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 • 合計 2,281人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
220-0024[5]

歴史編集

 
江戸時代の本沼橋(現在の元平沼橋)付近。右端は移転前の水天宮平沼神社。(歌川貞秀「横浜名所一覧」より、1860年頃)

この周辺は古くは袖ヶ浦と呼ばれた入江が、現保土ケ谷区東端部まで湾入していた。この入江は景勝地として知られたが、帷子川河口に位置していたため土砂が堆積し、遠浅の海となっていた。このため、18世紀初頭に湾奥部から埋め立て新田開発が始まった。19世紀の天保年間になると、程ヶ谷宿の豪商であった平沼家と岡野家が大規模な埋め立てを行い(5代目平沼九兵衛が1839年開始)、それぞれ平沼新田とその北隣の岡野新田(現・西区岡野)を造成した。これにより平沼橋駅付近までが陸地になり、さらに幕末には横浜開港に伴い、当時の海岸沿い(現・新横浜通り西側)に「横浜道」が設けられ、東海道横浜港が結ばれた。

 
1874年の海図。沼に「平沼」の表示がある。

明治に入ると高島嘉右衛門によって袖ヶ浦の入口(現在の横浜駅付近、高島)が鉄道建設のために埋め立てられた。残りの水域は沼となり、これも通称「平沼」と呼ばれた。そのうちで平沼新田の地先(現・平沼一丁目東部)もまもなく平沼家によって埋め立てられ、さらに平沼新田には東海道本線が敷設された(一時は「平沼駅」も置かれた)。

「平沼」の残り(現・北幸南幸鶴屋町)も大正年間に埋め立てが完了した。昭和に入ると住宅地・商店街となった。

行政区画編集

世帯数と人口編集

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目町丁 世帯数 人口
平沼一丁目 3,884世帯 5,994人
平沼二丁目 1,379世帯 2,370人
5,263世帯 8,364人
西平沼町 1,117世帯 2,281人

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

丁目・町丁 番地 小学校 中学校
平沼一丁目 全域 横浜市立平沼小学校 横浜市立岡野中学校
平沼二丁目 全域
西平沼町 全域

施設編集

関連項目編集

脚注編集

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  1. ^ a b 横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2016年3月31日). 2018年1月24日閲覧。
  2. ^ a b c 横浜の人口 - 登録者数(市・区・町・外国人) - 町丁別世帯と男女別人口”. 横浜市 (2017年12月31日). 2018年1月24日閲覧。
  3. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月23日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月23日閲覧。
  5. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月23日閲覧。
  6. ^ 小中学校等通学区域”. 横浜市 (2017年11月15日). 2018年1月24日閲覧。