平涼府(へいりょうふ)は、中国にかつて存在した金代から民国初年にかけて、現在の甘粛省平涼市一帯に設置された。

甘粛省の平涼府の位置(1820年)

概要

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金により渭州が平涼府に昇格した。1186年大定26年)、平涼府は鳳翔路に属した。平涼府は平涼潘原崇信華亭化平の5県と西赤城・安化・安国・白巌河・耀武の5鎮と瓦亭寨を管轄した[1]

のとき、平涼府は陝西等処行中書省に属し、平涼・崇信・華亭の3県を管轄した[2]

のとき、平涼府は陝西省に属し、直属の平涼・崇信・華亭・鎮原隆徳の5県と涇州に属する霊台県静寧州に属する荘浪県固原州、合わせて3州7県を管轄した[3]

のとき、平涼府は甘粛省に属し、平涼・華亭・隆徳・静寧州の1州3県を管轄した[4]

1913年中華民国により平涼府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 金史』地理志下
  2. ^ 元史』地理志三
  3. ^ 明史』地理志三
  4. ^ 清史稿』地理志十一