平田勝男

日本の野球指導者、元プロ選手 (1959-)

平田 勝男(ひらた かつお、1959年7月31日 - )は、長崎県松浦市出身[1]の元プロ野球選手内野手、右投右打)、プロ野球コーチ

平田 勝男
阪神タイガース ヘッドコーチ #78
阪神タイガース二軍監督時代
(2013年9月28日 阪神鳴尾浜球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長崎県松浦市
生年月日 (1959-07-31) 1959年7月31日(64歳)
身長
体重
177 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1981年 ドラフト2位
初出場 1982年4月7日
最終出場 1994年10月1日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 阪神タイガース (1997 - 2001, 2004 - 2010, 2013 - )

2019年から2022年まで阪神タイガース二軍監督を務めたほか[2]野球解説者時代の2012年から芦屋大学客員教授を務めた[3]

経歴 編集

プロ入りまで 編集

松浦市今福町出身[1]。長崎市の海星高等学校に進学し[2]、2年生で遊撃手のレギュラーをつかむと、1年先輩の好投手酒井圭一を擁して第58回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、準決勝でPL学園高等学校に延長戦の末に敗れた。翌年の第49回選抜高等学校野球大会にも出場し、同大会では開会式の選手宣誓を行っている。2回戦(初戦)で、高知県立中村高等学校山沖之彦投手に抑えられ敗退した。

卒業後は明治大学に進み[2]、当時の野球部監督・島岡吉郎の指導を受けた。東京六大学野球リーグでは在学中4回優勝し、全日本大学野球選手権大会で3回、明治神宮野球大会でも1979年に優勝した。リーグ通算83試合で307打数96安打、打率.313、2本塁打、39打点。ベストナイン4回。大学時代から犠牲バントの技術があり、1980年から2年連続出場した日米大学野球では、解説者に「平田のバントは百発百中」と紹介されていた。大学同期にはエースの森岡真一日産自動車)らがいる。なお、4年時の大学選手権優勝以来同校はこの大会でのタイトルから遠ざかっていたが2019年に優勝すると当時1年生であった善波達也明大監督(広澤克実らと同期)が優勝インタビューで平田を含む当時のメンバー9人の名前を挙げた。

プロ入り後 編集

1981年ドラフト2位で横浜大洋ホエールズ阪神タイガースの重複指名の結果、クジを引き当てた阪神に入団した[4]

当時の平田は非力な打撃から、明大の島岡監督は「プロに入っても成功しない」と考えていた。平田も島岡の考えに従い社会人野球へ進むことを決めており、入団交渉の際も別室で控え島岡に交渉を任せていた。島岡は阪神側に「平田はプロには行かせない」と断りを入れる。しかし阪神の安藤統男新監督(慶大OB)が「六大学時代は島岡さんによくやられました」などとしきりに持ち上げたことに機嫌を良くした島岡は、別室に控えさせていた平田を呼び、「お前、阪神に行け」とその場で命令したと平田本人が後に語っている(島岡は特に早慶へ強い対抗心を抱いていた)[5]

当時、阪神の遊撃レギュラーは真弓明信だったが、1983年5月に故障したことで、後継として遊撃手に定着する。復帰後の真弓は岡田彰布の故障で空いた二塁手に回った。同年は83試合に先発出場。

1984年には規定打席(29位、打率.268)に達し、同年から1987年までダイヤモンドグラブ賞・ゴールデングラブ賞を獲得し、守備の名手として活躍した[6]。阪神が21年ぶりのセ・リーグ制覇、そして初の日本一に輝いた1985年には打撃も好調を維持し、7番打者ながら50打点以上を記録した[7]。また、同年10月10日の対ヤクルトスワローズ戦(阪神甲子園球場)でプロ初・野球人生初の満塁本塁打を放っている。同年の西武との日本シリーズでは、第1戦に3安打、通算22打数7安打1打点とチーム日本一に貢献した。

1988年村山実監督が就任し、遊撃手のレギュラーは和田豊となり、主に控えとなった。以降は出場試合数が100試合を切ったが、守備力とバントの技術で貴重な控えとして貢献した。1990年は8試合の先発出場にとどまるが、打撃は好調で、主に代打として打率.347の好成績を残している。

1994年に現役引退。10月1日の対広島東洋カープ戦(甲子園)が引退試合となり、二番・遊撃で先発出場。現役最終打席は中村勝広監督から「振って来い」と送り出されるも、平田自身の判断による送りバントであった[8]。現役時代は、中西清起・平田・木戸克彦の3人で「NHKトリオ」と呼ばれていた。

現役引退後 編集

引退後は毎日放送解説者・スポーツニッポン評論家(1995年 - 1996年)を経て、1997年に一軍内野守備コーチとして阪神に復帰。1999年から2000年は一軍守備コーチ、2001年には一軍守備・走塁コーチを務めた。コーチ時代も常に大声のムードメーカーで、指導は「厳しく楽しく」がモットーであった[9]

2002年、大学の先輩である星野仙一監督就任を機に、監督専属広報及び専属運転手に就任した。その際、送迎車のナンバープレートの数字を「1001」(仙一)などいろいろ考えた末に「731」にして、星野監督に「何で731なんだ?」と聞かれ、「僕の誕生日です」と答えて星野監督に怒られかけた[10]

星野が監督を勇退した2004年からは、岡田彰布の下で一軍ヘッドコーチとして現場復帰した。2005年9月7日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では、9回裏本塁のクロスプレーでの微妙な判定に対し、球審の橘高淳を突き飛ばして退場処分を受けた。

2007年からは二軍監督を務め、2010年には4年ぶりのウエスタン・リーグ優勝を果たしたが、シーズン終了後退団した。

2011年シーズンより毎日放送解説者[注 1]、スポーツニッポン評論家に復帰した。復帰後の初仕事は、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任した星野へのインタビューだった[11]

2012年には、野球解説・評論活動と並行しながら、「芦屋学園スポーツモダニズムプロジェクト」のメンバーに招聘され、同年4月からは、同学園が運営する芦屋大学客員教授に就任した。

2013年からは二軍監督として、2年ぶりに現場に復帰[12]2014年も同職を務め、2015年は一軍ヘッドコーチ[13]2016年からは一軍チーフ兼守備走塁コーチ[14]2019年からは二軍監督を務めた[15]

2019年6月14日、13日のオリックス・バファローズ戦で、選手交代の通告を怠ったとして、斉藤惇コミッショナーから厳重注意が下された[16]

2021年、自身の指揮する二軍が7月30日の対オリックス戦(阪神鳴尾浜球場)から9月15日の対ソフトバンク戦(甲子園)にかけて引き分けを挟んだ18連勝を達成し、1999年に読売ジャイアンツが達成した15連勝を上回るファーム日本新記録を樹立した[17][18]。その後福岡ソフトバンクホークスと激しい首位争いを繰り広げたが、9月24日の対オリックス戦(甲子園)に勝利したことでチームを3年ぶりのリーグ優勝へと導いた[19]。チーム最終成績は106試合で65勝34敗7分け、勝率は.657であった[20]。その後、10月9日に行われたファーム日本選手権ひなたサンマリンスタジアム宮崎)でイースタン・リーグ優勝チームの千葉ロッテマリーンズを下し、ファーム日本一を達成した[21]

一軍監督に岡田が復帰した2023年から、一軍のヘッドコーチに復帰[22]。その年の現役ドラフトでは阪神はソフトバンク大竹耕太郎を指名したが、これは2軍監督だった平田がファームで対戦した大竹の力量を高く評価していたからであった[23]。この年には、現役時代の1985年以来38年振りに日本シリーズ制覇を経験している。

選手としての特徴 編集

非力ではあるものの、犠打などの小技と勝負強さを兼ね備えた打撃と堅実な守備が武器。1987年まで遊撃のレギュラーとして4年連続でゴールデングラブ賞を受賞し、その後は貴重な控え選手としてチームを支えた。深い守備位置から矢のような送球で打者走者を刺す強肩の持ち主で、1985年の日本シリーズでも随所で好守備を連発した[8]

人物 編集

学生時代は、試験勉強やレポートの提出はおろそかにしていたが、当時、明大教授であった栗本慎一郎が後に「レポートの文章に、一字一句参考書を楷書で書き写してきたのは平田だけだ。本来はこういう参考書をそのまま書き写したり模写しただけの学生には単位はやらないが、平田の几帳面さに免じて単位を出した」と語るほど繊細な一面もある。この話は試験期間が近づくと毎年のように栗本が講義で話していた。

阪神の指導者としては若手選手に厳しい言葉をたびたび投げ掛けているが、二軍監督時代の2019年に阪神鳴尾浜球場で立ち会った横田慎太郎外野手の引退試合(ウエスタン・リーグのシーズン最終戦だった9月26日の対福岡ソフトバンクホークス戦)では、9回表から中堅の守備に就く予定だった横田を8回表の途中から出場させた。横田は2016年のレギュラーシーズン開幕当初に一軍の正中堅手へ抜擢されながら、翌2017年に脳腫瘍を発症した影響で「打球が二重に見える」といった視覚面の問題を抱えていたが、平田によれば「外野の守備へ必ずダッシュで向かう姿に好感を持っていたので、その姿を最後にファンへ見せたかった(ので、3年近く経験していなかった中堅の守備に予定より早く就かせた)」という[24]。当の本人は、2死二塁の局面から塚田正義が打ったゴロ(記録は中前安打)を捕球すると、「本塁へのノーバウンド送球で二塁走者の水谷瞬補殺する」というファインプレー(いわゆる「奇跡のバックホーム」)で現役生活を締めくくった[25][26]

ミッキーマウスに似ていることと、明るく外交的な性格から、阪神の現役選手時代にはミッキーという愛称で親しまれていた。MBSラジオの野球解説者に復帰していた時期にも、同局のプロ野球中継で阪神戦の解説を務める場合には、「帰って来たお祭り男」(2012年以降は「トラのお祭り男」)というキャッチフレーズが付けられていた。一軍コーチの在任中にチームがセ・リーグ優勝や日本シリーズ制覇を果たした際には、祝勝会の「ビールかけ」で以下の逸話を残している。

  • 2005年セ・リーグ優勝時の祝勝会では、当時の主力選手だった金本知憲の誘いから、壇上で挨拶を始めた岡田監督(早稲田大学野球部の出身で東京六大学リーグの先輩)に対して「よっ! 岡田!」と威勢良く呼び捨て。さらに、「日本一になったら俺を胴上げしてくれ!」と高らかに叫んだ。もっとも、チームはその後の日本シリーズでは第1戦から千葉ロッテマリーンズに4連敗を喫したため、胴上げは幻に終わった。
  • 岡田監督の下で2023年に日本シリーズを(自身の現役時代の1985年以来)38年ぶりに制覇した際の祝勝会(11月6日の未明に大阪府内で開催)では、「中締め」の挨拶で登壇すると「宴も竹中直人(たけなわ)ですが、日もどっぷり暮れたところで、中島みゆき(中締め)させていただきます」というオヤジギャグをいきなり披露。居合わせた選手に向けて「38年ぶり、岡田監督(と)平田ヘッド(コーチ)の選手の頃に、やっと君らは追いついた。これからは追い越してみろー!」とのハッパを掛けた後に、アサヒビールがビールかけ用に提供していたアサヒスーパードライの中瓶を手にしながら、代表取材用のテレビカメラに向かって「全国の野球ファンのみなさん、おつかれ生です。スーパードライ!コマーシャル待ってます!」と叫んで祝勝会を締めくくった[27]。この一連の挨拶がテレビ・ラジオ番組やYouTubeなどを通じて大きな話題になったことから、アサヒビールでは平田に対して「コマーシャル」への出演を打診[28]。本人が登場するYouTube向けの「コマーシャル」や関西エリア向けのポスターが実際に作られた[29]ほか、平田がビールジョッキを手に乾杯する写真と「おつかれ生です。」というフレーズを織り込んだフェイスタオルを、阪神タイガースが「期間限定の公式グッズ」として発売する事態に至った[30]
    • アサヒビールは阪神タイガースのオフィシャルスポンサー[29]で、「日本のみなさん! おつかれ生です。」というフレーズを、アサヒ生ビール〈マルエフ〉のCMやポスターに使用。平田は「『アサヒ生ビール』のテレビCMが大好き」とのことで、このフレーズを祝勝会の「中締め」に拝借したという[31]。その一方で、前述したオヤジギャグについては、(1985年に「日本一」を達成した際のチームメイトであった)中西清起が現役時代によく使っていたことを明かしている[31]
    • 「アサヒ生ビール」イメージキャラクターの1人として当時CMへ出演していた松下洸平は、祝勝会の翌週(2023年11月14日)に「アサヒ生ビール」関連のイベントへ出演した際に、「『僕に代わって平田コーチがCMに出るんじゃないか』っていう不安がある」「(平田が中締めで)お持ちだった瓶が(同じアサヒビールの製品でも)『スーパードライ』だったので、そこはぜひ『マルエフ』の瓶を持っていただきたかった」とコメント[32]。一方の平田は、「コマーシャル」出演のオファーが阪神球団へ届いた直後に、「いやいやいや、とんでもない。僕ごときがおこがましい。勢いで締めのあいさつで『アレ』(フレーズを拝借)しただけなのに、そんな話(出演の打診)をしていただくだけでありがたい。本当はCM(への出番)が欲しいわけじゃなく、(祝勝会で気分が高揚していた)ノリで言っちゃったんで、そこは反省もしている」と語っていた[33]
    • 実際に平田が出演に至った「コマーシャル」とは、「野球ファンのみなさん、おつかれ生です。」と銘打たれた「アサヒ生ビール」のPR動画(56秒)で、2023年11月24日からYouTube上のアサヒビールグループ公式チャンネルで配信。動画の制作に際しては、本人が「全国の野球ファンのみなさん! おつかれ生です。スーパードライ! コマーシャル待ってます!」と絶叫したシーンの映像(朝日放送テレビが撮影していた祝勝会の映像の一部)と、CMのテーマソングでもある『元気を出して』(竹内まりや)の音源を使用している。その一方で、平田がタイガースのユニフォーム姿で「アサヒ生ビール」の中瓶を手にした映像や、「『マルエフ』はもう間違いなく、『スーパードライ』と共に、『野球』だけに『ヒット』商品」と語った映像を新たに収録[29]。そのうえで、「『おつかれ生です。』は、スーパードライじゃなく、マルエフなんです。」と大きく記された字幕を添えている。同年12月からは、この「コマーシャル」を関西地方の映画館などでも上映。
    • また、チームの優勝記念旅行でハワイアメリカ合衆国)に滞在中の2023年12月13日(現地時間。日本時間14日)にも、ホノルルのホテルで開かれた優勝記念パーティーで「『コマーシャル』が殺到しておりますので」と言いながら「中締め」の挨拶に登壇。スタッフに用意させたアサヒスーパードライの中瓶を手に「皆さん。1年間、お疲れ生でした」というフレーズで参加者を労った後に、「中締めみゆきの挨拶」と称して「(『宴も竹中直人』と言い掛けたところで)円もね、(ハワイに向けて関西国際空港を出発した13日の時点で1ドルに対する為替レートが)145円。ハワイでのショッピングがなかなか大変な世の中になってきましたが、皆さんハワイを楽しみましょう。エンジョイ!ハワイ!かいさ~ん(解散)!」といったスピーチで場内を沸かせた[34][35]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1982 阪神 23 22 17 3 4 0 0 0 4 1 1 0 2 0 2 0 1 2 0 .235 .350 .235 .585
1983 100 340 292 33 73 12 1 2 93 28 1 2 22 1 20 1 5 25 8 .250 .308 .318 .627
1984 128 493 437 42 117 24 1 6 161 41 2 0 24 2 28 0 2 26 9 .268 .313 .368 .682
1985 125 455 402 47 105 15 2 7 145 53 6 2 25 1 23 0 4 35 12 .261 .307 .361 .668
1986 124 448 405 47 108 15 1 5 140 33 1 2 22 0 16 0 5 41 7 .267 .303 .346 .648
1987 126 454 418 30 109 15 0 3 133 21 3 2 13 0 21 0 2 42 16 .261 .299 .318 .618
1988 90 200 180 12 51 9 1 0 62 16 0 3 7 1 10 1 2 24 3 .283 .326 .344 .671
1989 89 119 102 7 14 3 1 0 19 6 1 0 9 1 6 2 1 9 3 .137 .191 .186 .377
1990 60 84 72 6 25 3 0 0 28 10 0 2 6 1 5 0 0 6 4 .347 .385 .389 .774
1991 44 54 49 5 13 1 0 0 14 2 0 1 2 0 2 0 1 8 1 .265 .308 .286 .593
1992 40 55 48 2 8 2 0 0 10 6 3 0 5 0 0 0 2 8 2 .167 .200 .208 .408
1993 29 29 28 1 6 1 0 0 7 3 1 0 0 1 0 0 0 3 0 .214 .207 .250 .457
1994 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:13年 979 2754 2450 235 633 100 7 23 816 220 19 14 138 8 133 4 25 229 65 .258 .302 .333 .635

表彰 編集

記録 編集

初記録
その他の記録

背番号 編集

  • 30(1982年 - 1994年)
  • 71(1997年 - 2001年)
  • 78(2004年 - 2010年、2015年[37] - )
  • 72(2013年 - 2014年)

関連情報 編集

出演番組 編集

テレビ 編集

  • 侍プロ野球(MBSテレビ、2011年・2012年)
  • 猛虎ファイル→withタイガース'12(MBSテレビ、2011年・2012年、阪神の選手や戦い振りを評価する「平田勝男の勝つ!」→「平田勝男の勝躍男」を担当)
  • せやねん!(MBSテレビ、阪神二軍監督時代から「せやねん!スポーツ」へ不定期でゲスト出演、解説者として2011年7月2日から2012年10月13日まで同コーナーレギュラー)
  • ちちんぷいぷい(MBSテレビ、阪神を中心とするプロ野球の話題を扱う場合に不定期で出演)

ラジオ 編集

広告 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 2010年12月27日にMBSラジオで放送された『星野仙一の熱血・仙一夜』で、星野への激励コメントを収録した際に、解説者に復帰することを自ら明かした。

出典 編集

  1. ^ a b 市報まつうら 2008・11”. 松浦市. 2022年6月17日閲覧。
  2. ^ a b c 監督・コーチプロフィール”. 阪神タイガース公式サイト. 2022年6月29日閲覧。
  3. ^ 元阪神2軍監督・平田勝男氏 芦屋大客員教授に就任”. スポニチ (2012年4月17日). 2022年6月29日閲覧。
  4. ^ 平田勝男(阪神タイガース)”. NPB.jp 日本野球機構. 2022年6月29日閲覧。
  5. ^ 平田勝男2軍監督が“NHKトリオ”と呼ばれていた頃…阪神入団60年・安藤統男の球界見聞録<30> : スポーツ報知
  6. ^ 『僕、守る人』平田勝男 自らを「自衛隊」と…:1985 阪神日本一 写真特集”. 時事ドットコム. 2021年9月19日閲覧。
  7. ^ 所沢の山賊超え!? 水爆にダイナマイト! 西武打線とプロ野球の歴代最強打線を比較してみた・前編(週刊野球太郎)”. goo ニュース (2018年5月31日). 2019年12月21日閲覧。
  8. ^ a b 平田勝男 猛虎打線で異彩を放ったバントの構え/プロ野球1980年代の名選手 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2019年4月5日). 2021年4月16日閲覧。
  9. ^ 阪神タイガース2001陣容”. 大阪日刊スポーツ・なにわWEB. 2001年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月19日閲覧。
  10. ^ 2009年1月24日に開かれた江崎グリコ主催の「平田勝男トークショー」での発言。
  11. ^ “楽天 星野監督「2年目からでいいやと思うと強くならない」”. Sponichi Annex. (2010年11月10日). オリジナルの2010年11月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101111171701/http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20101110003.html 2016年7月23日閲覧。 
  12. ^ 平田勝男氏のファーム監督就任について”. 阪神タイガース公式サイト (2012年10月12日). 2021年9月19日閲覧。
  13. ^ 2015年度 監督・コーチについて”. 阪神タイガース公式サイト (2014年11月6日). 2014年11月6日閲覧。
  14. ^ “阪神・金本新監督「最強のコーチ陣」 来季スタッフ発表”. スポーツニッポン. (2015年10月27日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/10/27/kiji/K20151027011399340.html 2023年1月17日閲覧。 
  15. ^ 阪神が新コーチングスタッフ発表 1軍清水ヘッドコーチ、2軍平田新監督”. Full-Count (2018年10月22日). 2023年1月17日閲覧。
  16. ^ 阪神・平田2軍監督に厳重注意”. SANSPO.COM (2019年6月14日). 2019年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月25日閲覧。
  17. ^ 阪神2軍、ファーム日本新記録16連勝 村上5回0封、継投で1点守りきる”. 日刊スポーツ (2021年9月5日). 2021年9月19日閲覧。
  18. ^ 阪神2軍の連勝は「18」でストップ”. スポニチ Sponichi Annex (2021年9月15日). 2021年9月18日閲覧。
  19. ^ 阪神2軍 3年ぶりのウエスタン・リーグ優勝!”. スポニチ Sponichi Annex (2021年9月24日). 2021年9月25日閲覧。
  20. ^ 阪神2軍が最終戦を白星締め 65勝34敗7分けで今季終える”. nikkansports.com. 2021年9月26日閲覧。
  21. ^ 阪神2軍ファーム日本一、2点ビハインドの9回に逆転 最優秀選手に遠藤成”. nikkansports.com. 2021年10月12日閲覧。
  22. ^ “阪神・平田ヘッドコーチ 岡田野球が目指す二遊間へ、85年日本一コンビがゲッツー増で再び黄金期”. スポーツニッポン. (2022年11月5日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/11/05/kiji/20221105s00001173129000c.html 2023年1月17日閲覧。 
  23. ^ “「鬼筆」越後屋のトラ漫遊記 第2の大竹は必ずいる、岡田阪神は現役ドラフト拡大案を推進せよ”. 産経新聞. (2023年5月16日). https://www.sankei.com/article/20230516-2EVWERRDLRNXVAAYJ2S6E3AU2U/ 2023年11月23日閲覧。 
  24. ^ 横田慎太郎(2021)『奇跡のバックホーム』第6章「奇跡のバックホーム」pp.171 - 173「想定外の奇跡」
  25. ^ “阪神横田が引退試合でドラマばり有終レーザービーム”. 日刊スポーツ. (2019年9月26日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909260000342.html 2019年9月26日閲覧。 
  26. ^ 阪神タイガース [@TigersDreamlink] (2019年9月26日). "守備に入ったセンター横田!これが横田のプレー!!!". X(旧Twitter)より2019年9月26日閲覧
  27. ^ "【動画】「宴も竹中直人ですが、日も暮れたところで中島みゆき」阪神・平田勝男ヘッドの渾身スピーチに大反響 ファン「いいこと言ってるのにそれをかき消すしょうもないギャグ笑」「笑いながら感動」". 西日本スポーツ. 6 November 2023. 2023年11月20日閲覧
  28. ^ "阪神・平田勝男ヘッドにアサヒビールがCMオファー! 日本一祝勝会ビールかけで「おつかれ生です」連呼挨拶が話題に 社内「ざわつき」緊急会議で決定". デイリースポーツ. 14 November 2023. 2023年11月15日閲覧
  29. ^ a b c d "阪神タイガース平田勝男ヘッドコーチ出演『アサヒ生ビール』(通称マルエフ)PR動画「野球ファンのみなさん、おつかれ生です。」篇 11月24日配信" (Press release). アサヒビール株式会社. 24 November 2023. 2023年11月24日閲覧
  30. ^ "阪神、日本一のビールかけ中締めで話題呼んだ平田ヘッドの「おつかれ生です。」タオルを期間限定で発売". スポーツニッポン (Press release). 24 November 2023. 2023年11月24日閲覧
  31. ^ a b "阪神・平田ヘッド 爆笑中締めの秘話明かす「中西がよく使っていた」重圧もあった?「ウケないといけなかった」理由も明かす". デイリースポーツ. 8 November 2023. 2023年11月20日閲覧
  32. ^ "松下洸平「おつかれ生です」めぐり阪神平田ヘッドの"ミス"を指摘 アサヒビール側は本当にCM実現へ". ORICON NEWS. 15 November 2023. 2023年11月20日閲覧
  33. ^ "阪神・平田ヘッド アサヒビールからのCMオファーに「光栄」も「ノリで言っちゃったんで」と恐縮&反省も". デイリースポーツ. 14 November 2023. 2023年11月20日閲覧
  34. ^ "阪神・平田ヘッドがV旅行祝賀会で爆笑中締めあいさつ 「お疲れ生です」も飛び出した". スポーツニッポン. 14 December 2023. 2023年12月14日閲覧
  35. ^ "阪神 平田ヘッドがまた爆笑中締めあいさつ 壇上でビール要求からの「円も145円!」「佐藤がバット振っていた」". デイリースポーツ. 14 December 2023. 2023年12月14日閲覧
  36. ^ “2台目ベンツゲット!虎・福留「来年優勝」してEクラス頂く(5)ヤナセ・阪神タイガースMVP賞歴代受賞者”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2015年12月12日). オリジナルの2015年12月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151216202801/http://www.sanspo.com/baseball/photos/20151212/tig15121205030006-p5.html 2018年3月1日閲覧。 
  37. ^ 虎平田ヘッド決意の鬼背番号、島野流継承”. 日刊スポーツ (2014年11月18日). 2021年10月6日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集