幸田 延(こうだ のぶ、1870年4月19日明治3年3月19日[1]) - 1946年6月14日[1])は、日本ピアニストヴァイオリニスト、音楽教育家、作曲家

幸田 延
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基本情報
生誕 (1870-04-19) 1870年4月19日
出身地 日本の旗 日本 東京府 下谷[1]
死没 (1946-06-14) 1946年6月14日(76歳没)[1]
学歴 音楽取調掛
ニューイングランド音楽院
ウィーン楽友協会音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニストヴァイオリニスト作曲家

経歴編集

東京下谷に生まれる。兄に海軍軍人探検家郡司成忠作家幸田成行(露伴)、弟に歴史学者幸田成友、妹にヴァイオリニストの安藤幸がいる[1][2]。母の猷から長唄の手ほどきを受け、母の師の杵屋えつに長唄を、初代山勢松韻箏曲を師事[3]ルーサー・ホワイティング・メーソン、中村専、瓜生繁子にピアノを師事する[1][4]1882年に入学した音楽取調掛の伝習生のときにフランツ・エッケルトにヴァイオリンを習い始め、1885年7月に取調掛を卒業するとギヨーム・ソーヴレーにピアノを、ヨハンナ・ベルタ・マリア・ティーツェ[5]に声楽を、1888年11月に来日したルドルフ・ディットリヒにヴァイオリンを師事した[6][7]1889年5月3日に、日本初の音楽留学として米国ボストンニューイングランド音楽院に入学し、エーミール・マールにヴァイオリンを、カール・フェルテン英語版にピアノを、スティーヴン・アルバート・エメリードイツ語版に和声学を師事した[8][9]1890年オーストリアに留学し、1891年に入学したウィーン楽友協会音楽院ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世にヴァイオリンを、フリーデリケ・ジンガー[10]にピアノを、ヘルマン・グレーデナーに和声学を、ロベルト・フックスに和声学・対位法・作曲を師事した[1][11][12]1895年11月9日に帰国して東京音楽学校の助教授となり、1899年に教授となった[1][13]。同校で瀧廉太郎[14]三浦環[15]本居長世[16]山田耕筰久野久[1]萩原英一[17]らを育てた。

1895年に作曲、1897年に東京音楽学校学友会演奏会で発表したヴァイオリンソナタ変ホ長調(全3楽章、第3楽章一部散逸)は、日本人による初のクラシック音楽の器楽作品である[18][19]1915年には大正天皇御即位を祝した混声4部合唱付管弦楽曲「大礼奉祝曲」を作曲している[20]

1906年従五位。1909年教授を辞したが、この際学校側で勝手に解雇し、出勤してそれを伝えられた延は憤然として帰宅し、同情と怒りの声があがったという。1909年から1910年まで欧米を視察[1][21]。1912年に購入した麹町区紀尾井町の自宅でピアノ個人教授所である審声会を開き、山本直忠[22]などにピアノを教えた[23]東宮職御用掛となり皇族に音楽を教授、1937年帝国芸術院設立とともに会員となる[24]太平洋戦争で空襲が激しくなると軽井沢に疎開し、終戦後は紀尾井町の自宅に戻った。1946年6月14日心臓病のために死去。墓所は東京都大田区池上本門寺[25]

1916年作曲の神奈川県立高等女学校(現・神奈川県立横浜平沼高等学校)校歌は、幸田の作った唯一の校歌である(作詞は佐佐木信綱)。この曲の冒頭は瀧廉太郎作曲の『荒城の月』と同じ音型であるが、早世した弟子の瀧へのオマージュであるとの解釈がある[26][27]

作品編集

管弦楽曲編集

  • 大礼奉祝曲、カンタータあるいは混声四部合唱つき管弦楽曲(1915年発表、全4楽章)[28]

声楽曲編集

室内楽曲編集

  • ヴァイオリンソナタ 変ホ長調(1895年作曲、1897年発表、2006年出版[30][18][28]
    1. 変ホ長調
    2. Adagio ト長調
    3. Finale. Allegro (Rondo) 変ホ長調(再現部5小節まで現存)
  • ヴァイオリンソナタ ニ短調(2006年出版[30]、未完の第1楽章 Moderato のみ)[18][29]

ピアノ曲編集

  • 4手のための連弾小曲 Allegro ハ長調[29]
  • 小変奏曲 ハ長調(主題 Moderato と5つの変奏とコーダ)[29]

登場作品編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i j コトバンク. 幸田延.
  2. ^ 萩谷 2003, pp. 21, 33-40, 268.
  3. ^ 萩谷 2003, pp. 41-44, 268-269.
  4. ^ 萩谷 2003, pp. 61-65, 69-75, 269-270.
  5. ^ Johanna Bertha Maria Tietzé
  6. ^ 萩谷 2003, pp. 83-89, 271.
  7. ^ 平高 2014, p. 193, §3. 留学までの教師たち.
  8. ^ 萩谷 2003, pp. 89-91, 271-272.
  9. ^ 平高 2014, pp. 200-201, §9. 音楽関係者たち.
  10. ^ Friederike Singer (b. 1853)
  11. ^ 萩谷 2003, pp. 91-94, 272-273.
  12. ^ 平高 2018, p. 2, §1. 和声学・対位法の学修.
  13. ^ 萩谷 2003, pp. 161-165, 273-274.
  14. ^ 滝 廉太郎”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月8日閲覧。
  15. ^ 三浦 環”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月8日閲覧。
  16. ^ 本居 長世”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月8日閲覧。
  17. ^ 萩原英一”. コトバンク. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2020年1月8日閲覧。
  18. ^ a b c 池辺晋一郎が校訂・補筆した全音版 (幸田 2009) はニ短調のソナタについて「帰国の1897年に発表した」としているが、幸田の談話「せんだツて学友会に出しましたソナタ……あれは稽古中に、あツちで作つたもの」(青柳有美「幸田女史西楽談」『女学雑誌』452号、女学雑誌社、1897年、27頁。)より、実際にこのときの学友会演奏会で発表された作品は変ホ長調のソナタと推定されている (平高 2018, pp. 2-9, §2. 作曲(発表)年代が判明している作品)。
  19. ^ 2019年11月5日に東京銀座・王子ホールでの日本・オーストリア修好150年記念演奏会でヴァイオリニスト前田朋子により補筆版が演奏された。
  20. ^ 萩谷 2003, pp. 186-190.
  21. ^ 萩谷 2003, pp. 178-180, 275-276.
  22. ^ 山本 直忠”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月8日閲覧。
  23. ^ 萩谷 2003, pp. 183-186, 206-215, 276.
  24. ^ 萩谷 2003, pp. 224, 279.
  25. ^ 萩谷 2003, pp. 244-249, 280.
  26. ^ ラジオ深夜便『明治洋楽事始め~瀧廉太郎と幸田延』(2014年4月25日~26日放送)で遠藤ふき子キャスター(平沼高校出身)のインタビューに答えた萩谷由喜子氏の説
  27. ^ 週刊新潮連載コラム「ブルーアイランド氏のクラシック漂流記」の作者青島広志氏の疑問について、永森邦雄氏(50期)による回答文”. 2016年6月7日閲覧。
  28. ^ a b c d e f g h 平高 2018, pp. 2-9, §2. 作曲(発表)年代が判明している作品.
  29. ^ a b c d 平高 2018, pp. 10-11, §3. 作曲(発表)年代不明の作品.
  30. ^ a b 幸田 2009.

参考文献編集

  • 幸田 延”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月8日閲覧。
  • 平高典子「作曲家としての幸田延 Nobu Koda as a Composer」『芸術研究:玉川大学芸術学部研究紀要』第9号、玉川大学芸術学部、2018年3月31日、 1-14頁、 ISSN 1881-6517
  • 平高典子「幸田延のボストン留学 Studium in Boston von Nobu Koda」『論叢 : 玉川大学文学部紀要』第54号、玉川大学文学部、2014年3月31日、 191-211頁、 ISSN 0286-8903
  • 幸田延、池辺晋一郎 校訂・補筆『2つのヴァイオリン・ソナタ』全音楽譜出版社、2009年。ISBN 978-4-11-338004-4
  • 萩谷由喜子『幸田姉妹 : 洋学黎明期を支えた幸田延と安藤幸』ショパン、2003年。ISBN 4-88364-168-6
  • 小林緑『女性作曲家列伝』平凡社、1999年、ISBN 4582841899
  • 幸田延子(述)「私の半生」『音楽世界』第3巻第6号、1931年

関連文献編集

  • 『幸田延の『滞欧日記』』 瀧井敬子/平高典子編、 東京藝術大学出版会、2012年3月