幼名(ようみょう、ようめい、おさなな)は、幼少時の名前の事。

童名小字とも表記される。

概要 編集

主に平安時代から江戸時代にかけて、武士や貴族の子が幼児である期間につけられる名前で、だいたい元服してをつけるまでその名前でいる。

江戸期では、多くの慈善活動をした豪商が、その活動を認められ、公での苗字帯刀を許された場合、その商人の子も幼名を持つ例がある。農民の名前も幼名と呼ばれるが、武士とは違って諱をつける事は無い。

現在でも幼少時に改名した場合は、以前の名前を幼名と呼ぶ。

幼名の継承 編集

武家では、幼名を代々継承する家が多く存在した。

例えば、徳川将軍家竹千代尾張徳川家五郎太紀州徳川家長福丸水戸徳川家鶴千代加賀前田氏犬千代などがあり、事例に枚挙の暇が無い。

これらは、それぞれの家の初代当主の幼名であり、(例えば、竹千代は江戸幕府初代将軍徳川家康の、五郎太は尾張藩徳川義直の、長福丸は紀州藩徳川頼宣の、鶴千代は水戸藩徳川頼房の、犬千代は加賀藩前田利家の幼名である)、子孫のうち後を継ぐべき嫡男の幼名にもなり、代々受け継がれていった。

武家代々相伝の幼名 編集

歴史上の人物の幼名 編集

幼名によって広く知られている人物もいる。これは若年のうちに死去したために、元服前だったか、元服していたとしても幼名以外の名を名乗っていた期間が短い場合が考えられる。

女性の幼称 編集

動物の例 編集

日本ではデビュー前の競走馬において幼名があり、以下の例がある。

歴史上の創作物の例 編集

備考 編集

  • 日本の中世社会において、成人でありながらも童名を名乗る人々は特異な社会的位置にあったと指摘される[2]。これは「童」の中に、人の力の及ばぬものを見た中世社会を背景に(「七つまでは神のうち」という言葉があるように[注釈 1])、童名を名乗る童形の成人も神仏の世界につながる特異な呪術的能力をもつ人と見られていたと網野善彦は指摘しており[2]、例えば、牛飼の童名は、後世ほど牛が蔑まれておらず、統御しがたい動物と認識されていたことから童形でなくてはならなかったと考察している[3]。また武具や楽器といった器物や動物自体にも、童名を意味する「丸」(〇〇丸)が付けられるが、これも「丸」という字そのものが神仏世界と俗界を媒介する役割を果たすと考えられてきたことと関係があるという[3]
  • 日本の場合、人間に限らず、成長の段階に応じて名称を変える文化があり、例として、出世魚(稚魚と成魚の名が異なる)があり、昆虫で言えば、姿形が異なるヤゴトンボ、陸獣では、ウリ坊とイノシシがある。また、幼名・元服名に限らず、地位に応じて名を改める文化であったため、氏姓が多い。
  • アイヌ社会の命名風習では、生まれたばかりの子どもには特定の名を付けず、「オソマ」(糞)、シタㇰタㇰ(糞の塊)、ポイシオン(小さな古糞)などわざと汚い名で呼んだ[4]。これはきれいなものを好むとされる病魔に魂を取られないよう、あえて嫌われ息災を願う信仰である[5]。ある程度成長した6、7歳ころに、子どもの特徴や何らかのエピソードにちなんだ本式の命名がなされた[6]。またタブーとして、亡くなった人の名を含め、他人と同じ名前を付けてはいけないとしているため、大和民族と異なり祖先の名を継承するという文化も無い[7]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 奈良時代の『養老律』では、7歳以下は刑罰適用外とも記される

出典 編集

  1. ^ 小西寿徳(世界大百科事典内の小西寿徳)(朝日新聞社コトバンクより)。
  2. ^ a b 網野 2005, p. 99.
  3. ^ a b 網野 2005, p. 101.
  4. ^ 中川 2019, pp. 76–77.
  5. ^ 中川 2019, p. 77.
  6. ^ 中川 2019, p. 76.
  7. ^ 中川 2019, p. 73.

参考文献 編集

関連項目 編集