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広橋仲光(ひろはし なかみつ)は南北朝時代から室町時代の公卿。従一位権大納言勘解由小路と号す。准大臣広橋兼綱の息男。母は不詳。 子は兼宣、兼時、兼俊ら。日記『仲光卿記』が伝わる。南都伝奏として足利義満と様々な案件の折衝にあたったことで知られる。

 
広橋 仲光
時代 南北朝時代 - 室町時代
生誕 康永元年/興国3年(1342年
死没 応永13年2月12日1406年3月2日
改名 仲光 → 曇寂(法名)
別名 勘解由小路
官位 従一位権大納言大宰権帥
主君 光明天皇崇光天皇後光厳天皇後円融天皇後小松天皇
氏族 藤原北家日野流広橋家
父母 父:広橋兼綱、母:不詳
兄弟 仲光、忠業、綱厳、広橋仲子
兼宣、兼時、兼俊、中珍、光海、周鳳、仲承、長献、寅助、仲雅、光雅、光暁、女子(崇賢門院女房)、典侍兼子、他女子5名
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経歴編集

延文3年/正平13年(1358年)、元服し叙爵される。延文4年/正平14年(1359年)、従五位上に昇叙。治部少輔に任ぜられる。延文5年/正平15年(1360年)、蔵人に補される。貞治2年/正平18年(1363年)、正五位下に昇叙され右少弁に任ぜられる[1]。貞治5年/正平21年(1366年)、左少弁に転任し正五位上に昇叙。応安7年/文中3年(1374年)には権右中弁左中弁と昇進し、位は従四位下、従四位上、正四位下と昇叙。永和2年/天授2年(1376年)、蔵人頭に補される。永和3年/天授3年(1377年)、正四位上に昇叙。

永和4年/天授4年(1378年)3月24日、参議に任ぜられる。右大弁はもとの如し。12月13日、従三位に叙せられ権中納言に任ぜられる。永徳元年/弘和元年(1381年)1月6日、正三位に昇叙。3月16日、従二位に昇叙。6月29日、大宰権帥を兼ねる。至徳2年/元中2年(1385年)1月6日、正二位に昇叙。嘉慶2年/元中5年(1388年)12月30日、権大納言に任ぜられる。応永2年(1395年)6月3日、権大納言を辞した。応永3年(1396年)10月20日、従一位に叙せられるが、翌21日に出家した。法名は曇寂。応永13年(1406年)2月12日、薨去。

脚注編集

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  1. ^ 『師守記』には職事蔵人右少弁仲光として登場する。

参考文献編集

  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※永和4年/天授4年(1378年)に仲光が参議となった時以降の記事。
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「広橋仲光」の項。
  • 『朝日日本歴史人物事典』、朝日新聞社
  • 『師守記』、国立国会図書館
  • 今谷明『室町の王権―足利義満の王権簒奪計画』、中公新書