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庭瀬 健太郎(にわせ けんたろう、1932年5月6日 - 2016年1月27日)は、日本政治家。元愛知県常滑市長(2期)、元常滑市議会議員(1期)。

庭瀬 健太郎
にわせ けんたろう
生年月日 1932年5月6日
出生地 ブラジルの旗 ブラジル
没年月日 (2016-01-27) 2016年1月27日(83歳没)
出身校 愛知県立常滑高等学校
所属政党日本共産党→)
無所属

当選回数 2回
在任期間 1979年4月30日 - 1987年4月29日

当選回数 8回
在任期間 1959年3月 - 1978年
1991年4月30日 - 1999年
2003年4月30日 - 2007年4月29日
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来歴編集

庭瀬健児・ゆりの長男としてブラジルにて出生。母のゆりは哲学者の谷川徹三の妹[1]。すなわち谷川俊太郎は庭瀬健太郎のいとこに当たる[2]

1952年(昭和27年)3月、愛知県立常滑高等学校卒業。常滑町役場に勤務。常滑高校事務職員を経て、1959年(昭和34年)3月、常滑市議会議員選挙に日本共産党公認で立候補し初当選した。在職中、その功労により全国市議会議長会表彰などを受けた[3]。5選後の1978年(昭和53年)に辞職[4]

日本共産党を離党し、「幸せをすすめる市民の会」の支援を受けて1979年(昭和54年)4月の常滑市長選挙に立候補し初当選した。1983年(昭和58年)に再選。しかし保守系議員を中心とする議会との対立が激しくなり、1987年(昭和62年)の市長選は元助役の中村克巳に1万票以上の差をつけられ落選した[5]

1991年(平成3年)4月21日に行われた市議選に中部国際空港建設反対を訴えて立候補し、トップ当選を果たす[6]

同年11月3日、業務上横領と収賄の容疑で逮捕された中村克巳が辞職[7][8]。辞職に伴って行われる市長選への出馬の準備を進めるが、11月23日、記者会見し出馬断念したことを明らかにした[9]

1995年(平成7年)、通算7期目の当選。

1999年(平成11年)4月11日に行われた愛知県議会議員選挙に無所属で立候補するも落選。この選挙では、元市議の沢田丸四郎が自民党現職の杉江秀一と庭瀬を破り初当選した(沢田10,317票、杉江9,603票、庭瀬6,004票)。終盤に沢田を攻撃する怪文書が市内全域で配られたが、これが逆効果に働き、結果的に沢田への共感につながったと言われている[10]

2003年(平成15年)4月、市議選に立候補し、通算8期目の当選[11]

2016年(平成28年)1月27日、死去[12]。83歳没。

脚注編集

  1. ^ 中日新聞』1995年2月28日付朝刊、県内版、16面、「庭瀬ゆりさん死去」。
  2. ^ 『中日新聞』1996年2月10日付朝刊、知多版、「谷川俊太郎さん 18日にサイン会 常滑の書店」。
  3. ^ 『日本の歴代市長 第二巻』歴代知事編纂会、1984年11月10日、519頁。
  4. ^ 『中日新聞』1998年9月30日付朝刊、県内版、18面、「庭瀬常滑市議が県議選出馬表明」。
  5. ^ 『中日新聞』1991年1月12日付朝刊、30面、「91地方発 選挙と政治 だから出る (10) 議席への執念 回り道しても復権狙う」。
  6. ^ 『中日新聞』1991年4月22日付朝刊、県内総合版、11面、「市議にトップで当選 前常滑市長の庭瀬氏 空港問題を訴える」。
  7. ^ 『中日新聞』1991年10月11日付朝刊、27面、「4カ月で利益300万円 逮捕の中村・常滑市長 2000万円で株購入 突然換金 農協振り出し 自己あて小切手 名前隠す工作も」。
  8. ^ 『中日新聞』1991年10月31日付朝刊、1面、「中村常滑市長、収賄で再逮捕 港埋め立てめぐり500万円 若築建設 支店長ら2人逮捕」。
  9. ^ 『中日新聞』1991年11月24日付朝刊、2面、「庭瀬元市長 出馬を断念 きょう告示の常滑市長選」。
  10. ^ 『中日新聞』1999年4月13日付朝刊、知多版、「99年統一地方選 知多 県議選を振り返って 半田除き投票、軒並みアップ」。
  11. ^ 『中日新聞』2003年4月29日付朝刊、県内総合、21面、「03統一選あいち 市議選の確定得票 (中)」。
  12. ^ 『中日新聞』2016年1月29日付朝刊、知多版、16面、「庭瀬健太郎氏死去 83歳 元常滑市長」。