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延友 信光(のべとも のぶみつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将美濃国神篦城主。

 
延友信光
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
別名 土岐三兵衛
官位 佐渡守
主君 織田信長羽柴秀吉徳川家康
氏族 延友氏
妻木貞徳正室
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略歴編集

延友氏は美濃土岐郡国人土岐氏の庶流とされる。居城・神篦城は平安時代から鎌倉時代にかけて土岐氏が代々治めた城であった。

永禄年間後半の土岐郡は、尾張国から北上する織田信長の勢力と、信濃国から南進する武田信玄の勢力が衝突する地域となり、永禄8年(1565年)には高野口(神篦城付近)で織田・武田両軍の軍事衝突が起こった(高野口の戦い[1]

その後、織田家と武田家は恵那郡遠山氏を仲介して同盟を結んだが、元亀3年(1572年)には同盟は破綻し、遠山氏の岩村城は武田家重臣秋山虎繁の手に落ちた。しかし、延友信光は織田家に残ったため、同年11月15日、織田信長からその忠を賞され日吉郷と釜戸郷を与えられた[2]。翌年9月15日には織田信忠からもこれを承認されている[2]

天正10年(1582年)の本能寺の変直後、6月25日には羽柴秀吉の命令に対しすぐに応じて人質を差し出したことに対し、その功を賞された[3]。しかし、翌天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの際に東濃を支配した森長可に従わず、徳川家康を頼って神篦城を離れたという。

脚注編集

  1. ^ 『信長公記巻三』
  2. ^ a b 『上原準一郎氏文書』
  3. ^ 『長浜城歴史博物館所蔵文書』