延暦大噴火

800年〜802年に発生した富士山の噴火

延暦大噴火(えんりゃくだいふんか)は、平安時代800年802年延暦19年〜21年)に発生した富士山噴火である[1]火山爆発指数はVEI3[2]

西小富士噴火割れ目からの噴火であり[3]、主として富士山の北麓地域に被害を与えた[4]。噴火により足柄路がふさがれたため802年に箱根路が新設された。富士山の噴火史において、延暦大噴火と貞観大噴火(869年)・宝永大噴火(1707年)は、富士山の三大噴火と称されている[5]

概要編集

日本紀略』や『富士山記』などの文献に、この時の噴火についての言及が見られる。

噴火は、延暦19年3月14日(800年4月11日)から発生[6]。噴火により、 のような多量の降灰や、スコリア降下、溶岩流などが発生[7]。降灰砂礫も多量。甲斐側には溶岩流、駿河側には火山灰による被害が大きかった[8]。噴煙により昼でも夜のように暗くなったという[9]

噴火は、東側斜面に側火口の「西小富士」を形成し、鷹丸尾溶岩と檜丸尾第2溶岩を噴出した。さらに大量の降下火山灰により、当時の東海道だった足柄路が通行不能となっている。

記録編集

800年〜802年(延暦19年)

(旧暦)3月14日から4月18日にかけて噴火[10]

「日本紀略」(厳密には、紀略が引用した「日本後紀」逸文)の記述では、以下のように言及されている。

自去三月十四日迄四月十八日、富士山巓自焼、昼則烟気暗瞑、夜則火花照天、其声若雷、灰下如雨、山下川水皆紅色也
802年(延暦21年)

801年1月8日の噴火により、相模国足柄路が砕石に塞がれて一時閉鎖され[11][12]、5月19日から翌年の5月8日までの1年間は、筥荷(箱根)路が迂回路として利用された。

文献には次のような記述がある。

駿河国富士山、昼夜恒燎、砂礫如霰者、求之卜筮、占曰、于疫、宜令両国加鎮謝、及読経以攘災殃
五月、甲戌、廃相模国足柄路開筥荷途、以富士焼砕石塞道也

脚注編集

  1. ^ つじよしのぶ著『富士山の噴火 万葉集から現代まで』(1992・築地書館)ISBN 9784806710578
  2. ^ 気象庁|富士山 有史以降の火山活動”. www.data.jma.go.jp. 2022年1月12日閲覧。
  3. ^ https://www.gsi.go.jp/common/000024950.pdf
  4. ^ 小山真人『噴火堆積物と古記録からみた延暦十九~二十一年(800~802)富士山噴火―古代東海道は富士山の北麓を通っていたか?
  5. ^ 大地震が富士山噴火を誘発!?「宝永大噴火」から今日で313年(ブルーバックス編集部)” (日本語). ブルーバックス | 講談社 (2020年12月16日). 2021年12月10日閲覧。
  6. ^ 富士山延暦噴火(延暦19年3月14日) | 災害カレンダー” (日本語). Yahoo!天気・災害. 2021年4月28日閲覧。
  7. ^ 気象庁|富士山 有史以降の火山活動”. www.data.jma.go.jp. 2021年4月28日閲覧。
  8. ^ 延暦・貞観の富士山噴火”. 2021年4月28日閲覧。
  9. ^ 文献からみた貞観噴火 - 大隅清陽(5ページ〜9ページ)
  10. ^ 富士山の噴火史について | 静岡県富士市”. www.city.fuji.shizuoka.jp. 2021年12月10日閲覧。
  11. ^ ふじさぼう”. www.cbr.mlit.go.jp. 2021年4月28日閲覧。
  12. ^ 富士スコリアの性質とその脆弱性 (PDF) - 笹田勝寛 (日本大学生物資源科学部生物環境工学科)

参考文献編集

関連項目編集