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引接寺(いんじょうじ)は、京都市上京区千本通廬山寺上る閻魔前町[注 1]にある、高野山真言宗に属する寺院である[1]。一般には千本ゑんま堂(せんぼん えんまどう)と通称される[1]。春の念仏狂言で知られる。

引接寺
千本えんま堂.jpg
所在地 京都府京都市上京区千本通廬山寺上る閻魔前町34
位置 北緯35度2分6.6秒
東経135度44分25.4秒
座標: 北緯35度2分6.6秒 東経135度44分25.4秒
山号 光明山
院号 歓喜院
宗派 高野山真言宗
本尊 閻魔法王
創建年 寛仁元年(1017年
開基 定覚(小野篁とも)
正式名 光明山歓喜院引接寺
別称 千本ゑんま堂
札所等 通称寺の会
文化財 十重石塔(重要文化財)
法人番号 5130005002247
引接寺 (京都市)の位置(京都市内)
引接寺 (京都市)
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引接とは、衆生浄土往生させること[1]。その名の通りこの寺は、かつての京都の3大墓地であった化野鳥辺野蓮台野(れんだいの)の一つである蓮台野の入り口に立っている。現在でも地獄裁判官である閻魔の像を祀り、「悪いことをするな」「をついてはいけない」という子供らへの教戒の場となっている。寺務所では「えんま様のお目こぼし」というかき餅も売られている。

目次

歴史編集

寛仁年間(1017 – 1021年)、源信の弟弟子の定覚により開山されたと伝える。現世冥土を行き来して、閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁802年853年)を開基に仮託する説もある。文永10年(1273年)、明善律師によって中興された。

安土桃山時代、京都に来た宣教師ルイス・フロイスの『日本史』(Historia de Iapan)中に、1565年当時の本寺の境内の様子が記されている。

1574年(天正2年)に織田信長上杉謙信に贈ったと伝えられ、京の名所と町衆の姿を描いた国宝洛中洛外図屏風》(米沢市上杉博物館蔵)の左隻右上に「千本ゑんま堂」が描かれている。その境内では銘普賢象桜や十重石塔とともに、ゑんま堂狂言「閻魔庁」を演じている様子が描かれている。

千本ゑんま堂大念佛狂言は、昭和39年(1964年)に後継者不足が原因で途絶える。昭和49年(1974年)、不審火によって狂言堂が焼け、狂言衣装も焼失する。しかし、翌年には焼け残った狂言面をもとに「千本ゑんま堂狂言保存会」が結成され、狂言堂は仮建築ながら再建された。以前の西陣講中を中心としたメンバーや一般から募集したメンバーも含めた編成に推移し、以降復活した狂言二十数演目が毎年境内で公開されている。

境内編集

 
普賢象桜
  • 本堂には、閻魔王坐像(長享2年・1488年、仏師定勢作)を本尊とし、脇侍を左に司命、右に司録を安置している。
  • 狂言堂
  • 観音堂
  • 普賢象桜 - 遅咲きの八重桜で散るときは花冠ごと落ちる。
  • 至徳3年(1386年)の銘を持つ十重石塔(重要文化財)があり、紫式部の供養塔とされている。

年中行事編集

文化財編集

重要文化財
  • 引接寺塔婆(十重石塔)

住所編集

交通編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 住所は「千本通鞍馬口下る」、「千本通寺之内上る」とも表示するが、いずれも同じ地点を指している。

出典編集

  1. ^ a b c 総合仏教大辞典編集委員会(編)『総合仏教大辞典』法蔵館、1988年1月、67頁。

外部リンク編集