弥努摩内親王(みぬまないしんのう)[1])は、光仁天皇の皇女。母は県主島姫。右大臣神王の室。名は美努摩[2]、弥奴摩[3]とも。

弥努摩内親王
時代 奈良時代 - 平安時代初期
生誕 不詳
薨去 大同5年(810年)2月
別名 美努摩内親王、弥奴摩内親王
位階 三品
父母 父:光仁天皇、母:県主島姫
兄弟 能登内親王開成桓武天皇早良親王薭田親王酒人内親王他戸親王弥努摩内親王広根諸勝
神王
浄庭女王
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生涯 編集

宝亀元年(770年)父である光仁天皇の即位に際し、異母姉の能登女王と共に四品に叙せられ、内親王になる[4]。宝亀6年(775年)に娘の浄庭女王酒人内親王の退下をうけて斎王に卜定されているので、これより前に従兄である神王の室になっていたとされる。宝亀11年(780年)、三品に昇叙[5]

延暦24年(805年)に僧59人を朝廷から与えられた[6]大同5年(810年)2月に薨去[1]

系譜 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 一代要記』による
  2. ^ 日本後紀
  3. ^ 本朝皇胤紹運録
  4. ^ 続日本紀』宝亀元年十一月甲子条
  5. ^ 『続日本紀』宝亀十一年十一月丁亥条
  6. ^ 『日本後紀』延暦二十四年七月壬午条

参考文献 編集