張 子明(ちょう しめい、生年不詳 - 1363年)は、末の軍人

生涯編集

元末に朱元璋に仕えて領兵千戸となった。1363年至正23年)、陳友諒の大軍が洪都を包囲した。朱文正中国語版は子明を応天府に派遣して急を告げさせることにした。子明は東湖の小さな漁船で水関からひそかに脱出し、夜間に進んで昼間は休み、半月で応天府にたどり着いた。朱元璋が陳友諒の兵勢を問うと、子明は「兵力は盛んですが、戦闘での死者は少なくありません。いま長江の水が涸れており、敵軍の巨艦には良くない状況です。援軍を送れば破ることができます」と答えた。朱元璋は「帰って将軍に伝えなさい。一カ月堅守すれば、わたしが自ら敵を破るだろう」と子明にいった。子明が湖口まで帰ったところ、陳友諒に捕らえられた。城中に降伏を勧めるよう命じられたので、子明は偽って承諾した。城下にいたると、「わたしは張大舎だ。すでに主上にお会いして、諸公に堅守を命じられた。救援はやってくるぞ」と大呼した。敵兵の怒りを買い、複数の槊を突き刺されて殺された。忠節侯に追封された。

参考文献編集

  • 明史』巻133 列伝第21