張賢秀
張 賢秀(チャン・ヒョンス、장현수、1991年9月28日 - ) は、大韓民国・ソウル特別市出身のプロサッカー選手。現在はアル・ガラファ所属。ポジションはディフェンダー(センターバック)、ミッドフィールダー。元韓国代表。
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韓国代表での張賢秀(2018年) | ||||||
名前 | ||||||
カタカナ | チャン・ヒョンス | |||||
ラテン文字 | Jang Hyun-Soo | |||||
ハングル表記 | 장현수 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 大韓民国 | |||||
生年月日 | 1991年9月28日(33歳) | |||||
出身地 | ソウル特別市 | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF[1] / MF[2] | |||||
利き足 | 右足[3] | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2012-2013 | FC東京 | 40 | (4) | |||
2014-2017 | 広州富力 | 64 | (3) | |||
2017-2019 | FC東京 | 48 | (4) | |||
2019-2023 | アル・ヒラル | 85 | (4) | |||
2023 | アル・ガラファ | |||||
代表歴2 | ||||||
2009-2011 | 韓国 U-18/19/20 | 25 | (4) | |||
2011-2014 | 韓国 U-22/23 | 15 | (3) | |||
2013-2018 | 韓国 | 58 | (3) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年7月13日現在。 2. 2018年11月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集クラブ
編集2007年、慶熙高等学校へ進学。同年の金錫杯全国学生大会で優勝し、1年生ながら最優秀選手賞に選出された[4]。3年生時にはフォワードも務め、マルチプレイヤーとして力を磨いた[4]。
2010年に延世大学校へ進学。センターバックへポジションを戻すと[4]、落ち着いたプレーで守備陣をリード[5]。堅守を築き同年のUリーグで優勝を果たした。同期には白星東、朴台洪など。
パスワークやビルドアップを高めたいという考えから[6]Jリーグ入りを熱望し[7][8]、2012年よりFC東京に加入[9]。DF加賀健一の負傷退場を機に出場機会を掴んだ[8][10]。本職はCBだが、スピードに優れる一方で[11]DFラインを高く保つことに不慣れであることなどから[12]、SBでも起用された[11]。10月27日のJ1第30節札幌戦でプロ入り後初得点を挙げた[13]。2013年はCB森重真人のパートナーとして[14] レギュラーを確保。持ち前の強さに上手さをプラスする2年間となった[15]。
2014年、中国スーパーリーグの広州富力足球倶楽部へ完全移籍[16][17]。当初広州は同年開催のアジア競技大会出場を許していなかったが、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督からチームでの活躍を認められ「張の未来のために」と出場を後押しされた[18]。2015年7月には2019年までの長期契約を締結[19]。2016年にはリオデジャネイロオリンピックに出場すべくドラガン・ストイコビッチ監督に直談判して[20] リーグ戦から離脱。復帰後は、長短ともに正確なパスで後方から攻撃の起点となった[21]。2017年は外国籍選手出場枠の削減により[22] 欠場が続いた[注 1]。
2017年7月12日、FC東京に完全移籍で加入し、4季ぶりの復帰を果たした[23]。2017年9月16日対ベガルタ仙台戦で太田宏介のCKからヘディングで復帰後初ゴールを挙げた。
2018年はFC東京のキャプテンを務めた。
2019年5月22日に行われたルヴァンカップグループステージ第6節サガン鳥栖戦において後半76分、コーナーキックの競り合いの場面で鳥栖MF原川力の顔に肘打ちし、規律委員会より「選手に対する暴行・脅迫および一般大衆に対する挑発行為」に該当すると判断し、リーグ戦2試合の出場停止処分が言い渡された[24]。7月13日、サウジアラビアのアル・ヒラルへ移籍する事を発表した[25]。
2023年6月にリンパ節に良性の腫瘍が見つかり、一足早くシーズンを終了。同年6月に契約満了となる中、再契約しない事で大筋合意。病気判明前までは、契約延長の方向で議論が進んでいた。それでもアル・ヒラルはクラブに対するチャン・ヒョンスの貢献度を高く評価。退団後も母国の韓国で治療を受けられるように、医療費の全額支援を決定。
2023年7月5日、正式にアル・ヒラルを退団する事が発表された。
代表
編集2009年、高校生ながら飛び級で洪明甫率いるU-20代表に招集されたが、本領を発揮できず[5]、同年のFIFA U-20ワールドカップの代表メンバーには残れなかった。 しかし、この経験から2010年より李光鍾 (Lee Kwang-jong) 率いるU-19代表で主将を任されるようになる[5]。同年のAFC U-19選手権では準々決勝で日本を下し[26] ベスト4入り。2011年のFIFA U-20ワールドカップでもU-20代表の主将を務め[7]リーダーシップを発揮[27]。黄渡然 (Hwang Do-yeon) とCBを組み[注 2]、同チームのベスト16入りに貢献した[注 3]。
大会後、U-22代表となった洪明甫のチームに再合流し、ロンドンオリンピックを目指す。洪正好と金英權に続く第3CBという立場ではあったが[30][31] 洪の負傷も重なって、オリンピック本大会のU-23代表メンバーに選出された[32]。主力として期待されるも[33]、代表合流後に仁川コレイルとの練習試合で負傷し[34][35]登録から外れた。
2013年1月、A代表に初招集された[36]。同年6月のFIFAワールドカップアジア最終予選・イラン戦で国際Aマッチ初出場。崔康熙代表監督からは、守備力に加えてテクニックやパス精度にも優れていると評価されて[35]守備的MFに配され、イランのエースである[35]ジャバド・ネクナムのマークを担った[37]。同年7月、東アジアカップ2013に出場。
2014年のFIFAワールドカップでは予備登録に留まったが[2]、同年9月開催のアジア競技大会ではオーバーエイジ3名が加わった中でも李光鍾によって再び主将を任された[38]。同大会では日本戦でのPKを含む[39][33]2得点を挙げ、守備陣のリーダーとしても[33] 全7試合無失点という粘り強さで[40] チームを28年ぶりの優勝に導いた[注 4]。
2015年は、AFCアジアカップ2015でCB・ボランチのバックアッパーとして守備固め及び奇誠庸を前線に上げるための攻撃の一手として重宝がられたのに始まり[41][42]、東アジアカップ2015では日本代表戦での国際Aマッチ初得点を含む活躍で優勝とMVPの2タイトルを獲得[43]。さらに車ドゥリ引退後の右SBにも抜擢された[44]。自身を「地味」「ゲームで言えば平均能力値50」と評しつつも、複数のポジションを柔軟にこなしウリ・シュティーリケ監督から絶大な信頼を寄せられて出場時間を大きく伸ばした[45]。
前述の通りロンドンオリンピックには出場できなかったが、2016年6月、リオデジャネイロオリンピックの韓国代表にオーバーエイジ枠で選出された。申台龍監督は主将候補に張と孫興民を挙げていたが[46]、張に選手の支持が集まったため[47] 同大会の主将を務めた。ユーティリティー性を活かし味方選手の負傷にも柔軟に対応[48][46]、選手間のミーティングを主導し[49] 若いチームを支えた[48]。
2017年9月に韓国代表の副キャプテンに就任し、キャプテンの奇誠庸が不在の時は、主将としてチームをまとめた。12月に開催されたE-1選手権 2017では主将として、チームを優勝に導き、自身も大会最優秀ディフェンダー賞を獲得した。
2018年10月、兵役免除の際の社会奉仕活動について、義務時間より短い活動時間だったにもかかわらず、本来と変わらない時間活動したと虚偽の申告をしていたことが発覚。翌月、代表からの永久追放と罰金300万円がKFAにより確定したと報じられた[50]。
エピソード
編集- 2014年8月、広州富力のチームメートである朴鍾佑に指名されてアイス・バケツ・チャレンジを行った。金基熙、楊秀珍(女子ゴルファー)、森重真人の3名を指名[51][52]。
- 左腕のタトゥーにはノーマン・ヴィンセント・ピール (Norman Vincent Peale) の言葉を刻んでいる[53]。
- 女子バレーボール選手のキム・ヨンギョンとはエージェントが同じで親しく、2014年アジア競技大会の健闘を称え合った[18]。
所属クラブ
編集- ユース経歴
- プロ経歴
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2011 | 延世大 | 4 | - | - | - | 1 | 1 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | FC東京 | 30 | J1 | 14 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 2 |
2013 | 26 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 31 | 2 | |||
中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | 広州富力 | 15 | 超級 | 23 | 1 | - | 1 | 0 | 24 | 1 | |
2015 | 16 | 1 | - | 1 | 0 | 17 | 1 | ||||
2016 | 22 | 24 | 1 | - | 4 | 0 | 28 | 1 | |||
2017 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | 2 | 0 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2017 | FC東京 | 14 | J1 | 11 | 2 | 0 | 0 | - | 11 | 2 | |
2018 | 48 | 24 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 26 | 2 | ||
2019 | 20 | 13 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 15 | 0 | ||
サウジアラビア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2019- | アル・ヒラル | 20 | 1部 | ||||||||
通算 | 韓国 | 他 | - | - | 1 | 1 | |||||
日本 | J1 | 88 | 8 | 5 | 0 | 4 | 0 | 97 | 8 | ||
中国 | 超級 | 63 | 3 | - | 7 | 0 | 70 | 3 | |||
サウジアラビア | 1部 | ||||||||||
総通算 | 151 | 11 | 5 | 0 | 11 | 1 | 165 | 12 |
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2012 | FC東京 | 30 | 5 | 0 |
2015 | 広州富力 | 15 | 5 | 1 |
2019 | アル・ヒラル | 20 | 8 | - |
2020 | アル・ヒラル | 20 | 5 | - |
2021 | アル・ヒラル | 20 | 10 | - |
2022 | アル・ヒラル | 20 | 8 | 1 |
通算 | AFC | 43 | 2 |
- その他の公式戦出場
- 2015年 - AFCチャンピオンズリーグ プレーオフ 2試合1得点
- 出場歴
代表歴
編集- 2013年6月18日:国際Aマッチ初出場 - 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選 vsイラン代表 (蔚山文殊サッカー競技場)
- 2015年8月:国際Aマッチ初得点 - 5日東アジアカップ2015 vs日本代表 (武漢体育中心)
出場大会など
編集- U-18韓国代表
- 2009年 AFC U-19選手権2010 (予選)
- U-19韓国代表
- 2010年 UAE4ヵ国親善大会 (優勝)、AFF U-19 4ヵ国親善大会 (3位)、AFC U-19選手権 (ベスト4)
- U-20韓国代表
- 2009年
- 2011年 水原国際ユース大会 (3位)、FIFA U-20ワールドカップ (ベスト16)
- U-22韓国代表
- 2011年 ロンドンオリンピックアジア二次予選、最終予選
- U-23韓国代表
- 2012年 タイ・キングスカップ (優勝)、ロンドンオリンピックアジア最終予選、ロンドンオリンピック (離脱)
- 2014年 アジア競技大会 (優勝)
- 2016年 リオデジャネイロオリンピック (オーバーエイジ)
- 韓国代表
- 2013年 FIFAワールドカップアジア最終予選、東アジアカップ (3位)
- 2014年 FIFAワールドカップ (予備登録[2])
- 2015年 AFCアジアカップ (準優勝)、FIFAワールドカップアジア2次予選、東アジアカップ (優勝)
- 2017年 東アジアカップ
- 2018年 2018 FIFAワールドカップ
試合数
編集
韓国代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2013 | 4 | 0 |
2014 | 3 | 0 |
2015 | 17 | 3 |
2016 | 9 | 0 |
2017 | 12 | 0 |
通算 | 45 | 3 |
得点
編集# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2015年 | 8月 5日中国,武漢市 | 日本 | △1-1 | 東アジアカップ2015 |
2. | 2015年 | 9月 8日レバノン,サイダ | レバノン | ○3-0 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
3. | 2015年11月12日 | 韓国,水原市 | ミャンマー | ○4-0 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
脚注
編集- 注釈
- 出典
- ^ a b c d e 登録選手一覧表 Jリーグ (2013年12月8日)
- ^ a b c Release List of Players (PDF) 国際サッカー連盟 (2014年5月16日)
- ^ “2012年 J1選手名鑑 FC東京 チャン・ヒョンス”. 2012年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月27日閲覧。 スポーツニッポン
- ^ a b c 슈틸리케가‘찜’한 기성용 짝‘장현수’…미래의 괴물될까?ハンギョレ (2014年10月15日)
- ^ a b c [U리그 스타]연세대 장현수, 타고난 체격조건에 영리함 겸비한 수비수大韓サッカー協会 (2010年8月25日)
- ^ a b [키워드 인터뷰]다시 뛰는 장현수 "'제2 홍명보' 아직 포기 못한다" footballist (2013年10月31日)
- ^ a b 東京 U-22韓国代表チャン獲得 東京中日スポーツ、2011.12.13
- ^ “チャン ヒョンス選手 来季新加入決定のお知らせ”. 2012年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月27日閲覧。 FC東京 (2011年12月26日)
- ^ 加賀の穴はチャンが埋める!! 待ってました、リーグ戦デビュー 東京中日スポーツ (2012年4月7日)
- ^ a b チャン 右SBでテスト 東京中日スポーツ 2012.05.15
- ^ ランコポポヴィッチ監督(FC東京)記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2012年5月20日)
- ^ FC東京5発大勝!! チャンがJ初ゴ~ルで点火!! vs.札幌 東京中日スポーツ (2012年10月28日)
- ^ 장현수, 中 상하이서 입단제의…김영권 뒤따르나? FOOTBALLIST (2013年12月4日)
- ^ 【第93回天皇杯 準決勝 F東京 vs 広島】試合終了後の各選手コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2013年12月29日)
- ^ チャン ヒョンス選手 広州富力(中国)へ完全移籍のお知らせ FC東京 (2014年2月5日)
- ^ 关于张贤秀正式加盟广州富力足球俱乐部的公告 広州富力足球倶楽部 (2014年2月5日)
- ^ a b 김연경·장현수 이구동성“AG 金, 최고의 순간”韓国日報 (2014年10月6日)
- ^ 关于俱乐部与张贤秀续约的公告 広州富力足球倶楽部 (2015年7月21日)
- ^ 장현수, 올림픽 와일드카드 불확실…합류시점이 문제 アジア経済 (2016年6月2日)
- ^ 详解富力阵容巨变:控制力下滑,扎哈维需挺身而出 懂球帝 (2017年4月7日)
- ^ サッカー:中国リーグでも「冷や飯」食わされる韓国 朝鮮日報 (2017年4月15日)
- ^ チャン ヒョンス選手 完全移籍加入のお知らせ FC東京 (2017年7月12日)
- ^ FC東京DFチャン・ヒョンス ルヴァン杯での行為でリーグ戦2試合出場停止デイリースポーツ 2019年5月24日
- ^ チャン ヒョンス選手 アル・ヒラルへ完全移籍のお知らせFC東京 2019年7月13日
- ^ AFC U19 Championship 2010 Final Round 27 準々決勝 日本サッカー協会
- ^ [U-20 대표팀 귀국]장현수-김경중-이기제-김영욱-백성동 인터뷰大韓サッカー協会 (2011年8月13日)
- ^ '이광종호 캡틴'장현수"인천AG 누구보다 절실하다" スポーツ朝鮮 (2014年6月4日)
- ^ MATCH Report Colombia - Korea Republic FIFA
- ^ [올림픽대표팀 오만전]데뷔 장현수, "10점 만점에 7점 정도 주고 싶어"大韓サッカー協会 (2011年9月22日)
- ^ 장현수, “홍정호 빈자리 메우겠다”ダウム 2012.06.04
- ^ “[韓国オリンピック代表]最終メンバー発表!”. 2013年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月12日閲覧。 大韓サッカー協会 (2012年6月30日)
- ^ a b c '생일' 장현수의 '넘사벽' 눈물, 일본은 없었다 スポーツ朝鮮 (2014年9月28日)
- ^ “[五輪代表]チャン・ヒョンス、ケガで最終メンバーから離脱”. 2013年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月12日閲覧。 大韓サッカー協会 (2012年7月13日)
- ^ a b c 장현수 특명 “네쿠남 묶어라” 東亜日報 (2013年6月17日)
- ^ ヒョンスが韓国A代表 東京中日スポーツ (2013年1月22日)
- ^ 이명주-장현수, “기회 주어진다면 최선 다 할 것”大韓サッカー協会 (2013年6月13日)
- ^ '주장 발탁' 장현수 "특별한 부담은 없다" XPORTSNEWS (2014年9月1日)
- ^ 【アジア大会】張賢秀が冷静にPK サッカー男子 産経ニュース (2014年9月28日)
- ^ a b “<アジア大会>イム・チャンウが決勝ゴール「1分の奇跡」…サッカーは南男北女”. 2014年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月4日閲覧。 中央日報 (2014年10月3日)
- ^ 한국영-장현수, 무실점 행진 '언성 히어로' SPORTSQ (2015年1月28日)
- ^ ‘언성히어로’ 장현수·한국영…무실점 전승 이끈 클로저 kr:데일리안 (2015年1月31日)
- ^ EAFF EAST ASIAN CUP 2015 Competition titles and prizes were announced 東アジアサッカー連盟 (2015年8月13日)
- ^ 홍철-장현수 재발견, 요동치는 좌우 풀백 구도 kr:데일리안 (2015年9月4日)
- ^ 장현수 인터뷰② 제‘포지션’찾은 걸까요? MKスポーツ (2015年10月20日)
- ^ a b '준비된 주장' 장현수, 신태용 감독 어떻게 활용할까 スポーツ朝鮮 (2016年7月26日)
- ^ 리우올림픽 신태용호 주장은 장현수スポーツ京郷 (2016年7月26日)
- ^ a b 손흥민-석현준-장현수, 멕시코전 열쇠는 와일드카드 スポーツ朝鮮 (2016年8月9日)
- ^ 흐느낀 '캡틴' 장현수, 희생-헌신에도 웃지 못했다 スポーツ朝鮮 (2016年8月14日)
- ^ FC東京DFチャン・ヒョンス、韓国代表から永久追放…兵役免除の奉仕活動で虚偽報告ゲキサカ 2018年11月1日
- ^ Video by jhsoo15 Instagram
- ^ 土砂災害被災地出身の森重「復旧が進めば」浦和戦で募金箱設置 サンケイスポーツ (2014年8月22日)
- ^ 'AG팀 주장' 장현수, 그가 팔뚝에 새긴 글귀는? ISPLUS (2014年9月3日)
- ^ Tianjin Teda vs. Guangzhou R&F 1 - 1 SOCCERWAY
- ^ Shandong Luneng vs. Guangzhou R&F 3 - 3 SOCCERWAY
関連項目
編集外部リンク
編集- 張賢秀 (@jang_hyunsoo20) - Instagram
- 張賢秀 - Olympedia
- 張賢秀 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 張賢秀 - National-Football-Teams.com
- 張賢秀 - Soccerway.com
- 張賢秀 - FootballDatabase.eu
- 張賢秀 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 張賢秀 - FIFA主催大会成績
- 張賢秀 - J.League Data Siteによる選手データ
- 張賢秀 - TheFinalBall.com
- 張賢秀 - ゲキサカ
- プロフィール - FC東京
- FC東京、チャン・ヒョンス選手インタビュー<前編> - ウェイバックマシン(2013年11月12日アーカイブ分) - 大韓サッカー協会 (2013年7月10日)
- 同上 <中編> - ウェイバックマシン(2013年11月12日アーカイブ分) (2013年7月12日)
- 同上 <後編> - ウェイバックマシン(2013年11月12日アーカイブ分) (2013年7月14日)
- TOKYO PLAYER INTERVIEWS #6 チャン ヒョンス - YouTube - FC東京公式チャンネル
- 張賢秀 - ESPN FC
- プロフィール - 仁川アジア大会
- プロフィール - 広州富力足球倶楽部