メインメニューを開く

御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)は、福岡県行橋市みやこ町にまたがる御所ヶ岳(ホトギ山)[1]に築かれた、日本の古代山城神籠石系山城)である。城跡は1953年(昭和28年)11月14日、「御所ヶ谷神籠石」の名称で国の史跡に指定されている[2]

logo
御所ヶ谷神籠石(城)
福岡県
中門の西側の石塁
中門の西側の石塁
城郭構造 古代山城(神籠石系山城)
築城主 不明
築城年 不明
遺構 土塁・石塁・水門・城門跡・礎石
指定文化財 国の史跡「御所ヶ谷神籠石」
位置 座標: 北緯33度40分28.2秒 東経130度55分52.2秒 / 北緯33.674500度 東経130.931167度 / 33.674500; 130.931167
地図
御所ヶ谷 神籠石の位置(福岡県内)
御所ヶ谷 神籠石
御所ヶ谷
神籠石

地理院地図 Googleマップ 御所ヶ谷神籠石

概要編集

御所ヶ谷神籠石は発掘調査の結果、古代山城であることが確定した[注 1][3]。しかし、日本書紀などの史書に記載が無く、築城主・築城年は不明である。663年の白村江の戦いで、新羅連合軍に大敗したことを契機に、7世紀後半頃に築かれたと考えられている[4][5]

御所ヶ谷の山城は、京都平野(みやこへいや)の南側を東西に連なる馬ヶ岳連山の一角に築かれる[6]周防灘に面した京都平野は、いち早く倭政権の勢力が波及し、4~7世紀にかけて豊前地方を代表する大型首長墓が築かれる。その後、8世紀に国府が置かれ、九州北東部の行政の中心地であった。また、山城の北麓に大宰府豊前国府を結ぶ官道が東西に貫き、南麓に豊前筑前を結ぶ道が通る。そして、北方約7キロメートルに古代の要港の草野津が位置して、陸海交通の要衝であった[4]。御所ヶ谷の山城は、このころの周防灘沿岸地方の最大の遺構である[7]

山城は、標高246.9メートルの御所ヶ岳(ホトギ山)から西側に伸びる尾根の約1キロメートルを底辺とし、北側の谷を頂点とする逆三角形状の北斜面領域に広がる。城壁の外周は、自然地形の崖を含めて約3キロメートルである[7]。外郭線が最も下る西門は標高65メートルで高低差が大きく、地形は起伏があり平坦地は少ない。そして、谷部には石塁が築かれた包谷式の山城である[4]

土塁は2キロメートルで、概ね基底部の幅約7m×高さ約5m、壁面は70度~80度で立ち上がる。大半は内托式[注 2]の土塁で、積土の厚さ3㎝~10㎝の版築土塁[注 3]花崗岩切石列石・工事用の柱穴が検出されている。そして、全ての発掘調査区の列石が、版築土で覆われていた[4]

城門は、中門・東門・第二東門・第二南門・南門・第二西門・西門の7か所が開く。中門と西門は、谷に築かれた大規模な城門で、他は稜線に築かれた小型の城門である。御所ヶ谷の山城を象徴する中門は、石塁の東寄りに幅は6mのを有する。西側の切石の石塁は、高さ7.5mで前面は二段に築かれる。上段は5m・下段は2.5mで、下段に排水溝を設けて水門水口)を突出させる。石塁の長さは18mで、上面はアーチダム状に、ゆるやかに弧を描く[4][8]。この中門の水門は、石工技術を結集した神籠石の白眉とされている[6]

城内の標高121メートルの尾根上に、一棟分の梁行3間×桁行4間の総柱礎石建物跡があり、列石が転用されている。眺望の良い城の中央に位置し、城内の各所との連絡が容易な場所であり、城跡遺構とされている[4][9]

城内の馬立場(うまたてば)は、湿地の外側に石塁状の遺構がある。遺構が渓流を堰き止めているため、山城の貯水施設とされている[4][9]

中門の西側の城内で、長さ300メートルの未完成の土塁遺構が残存する。列石の多くが抜き取られているが、列石背面の版築層が確認されている。そのため、工事途中で計画が変更されたとされている[4]

「御所ヶ谷」の地名は、景行天皇熊襲征伐にあたり、この地に行宮がおかれたとの伝承による。城内に景行神社が鎮座する[6]

2008年、神籠石を有する自治体が行橋市に参集し、「第3回 神籠石サミット」が開催された。2009年、「第4回 神籠石サミット」が久留米市で開催された後、他の古代山城を有する自治体が加わり、2010年より「古代山城サミット」へと展開されている[10]

関連の歴史編集

『日本書紀』に記載された白村江の戦と、防御施設の設置記事は下記の通り。

調査・研究編集

遺構に関する内容は、概要に記述の通り。

  • 考古学的調査は、1908年(明治41年)、伊藤尾四郎が学会に紹介したことを嚆矢とする[4]。1963年~1964年に行われた、「おつぼ山神籠石」と「石城山神籠石」の発掘調査は、山城説を決定させた調査であったとされている[11]。そして、御所ヶ谷神籠石の発掘調査は1993年(平成5年)に開始された。調査成果は、行橋市教育委員会が発行の『史跡 御所ヶ谷神籠石』、1998年。同、『史跡 御所ヶ谷神籠石 Ⅰ 』、2006年。同、『史跡 御所ヶ谷神籠石 Ⅱ 』、2014年で報告されている。
  • 九州管内の城も、瀬戸内海沿岸の城も、その配置・構造から一体的・計画的に築かれたもので、七世紀後半の日本が取り組んだ一大国家事業である[12]
  • 1898年(明治31年)、高良山の列石遺構が学会に紹介され、「神籠石」の名称が定着した[注 4]。そして、その後の発掘調査で城郭遺構とされた。一方、文献に記載のある大野城などは、「古代山城」の名称で分類された。この二分類による論議が長く続いてきた。しかし、近年では、学史的な用語として扱われ[注 5]、全ての山城を共通の事項で検討することが定着してきた。また、日本古代山城の築造目的は、対外的な防備の軍事機能のみで語られてきたが、地方統治の拠点的役割も認識されるようになってきた[13]

現地情報編集

御所ヶ谷神籠石(城)は、史跡自然公園「御所ヶ谷住吉池公園」として、駐車場ほかの便益施設が整備されている。遊歩道に沿って土塁・石塁などを見学することができる[9]

脚注編集

[ヘルプ]

注釈編集

  1. ^ 1963年-1964年、文化財保護委員会(現 文化庁)他により、石城山神籠石の発掘調査が行われた。『月刊 文化財 3/'65』では、列石遺構は神籠石として知られるが、「古代山城説」と「古代霊域説」が対立して論争が行われてきた。そして、「従来なおその性格を考える上に決定的な資料をもたなかった神籠石に対する学術調査であったが、・・・」。「その結果石城山神籠石は、土塁をめぐらした古代山城の遺跡であることは疑いのないものである。」と公表する。
  2. ^ 城壁背面の自然地形を活用し、斜面に持たせ掛けて築かれた城壁構造。
  3. ^ 土質の異なる積土を数センチメートルの単位で硬く締め固めて積み上げた土塁。
  4. ^ 歴史学会・考古学会における大論争があった(宮小路賀宏・亀田修一「神籠石論争」『論争・学説 日本の考古学』 第6巻、雄山閣出版、1987年)。
  5. ^ 1995年(平成7年)の文化財保護法の指定基準の改正にともない、「神籠石」は削除され、「城跡」が追加された。

出典編集

  1. ^ 電子国土基本図(地図情報) Archived 2011年3月24日, at the Wayback Machine.ー国土地理院
  2. ^ 御所ヶ谷神籠石 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ 文化財保護委員会 記念物課 「石城山神籠石の発掘調査」『月刊 文化財』 3/'65、第一法規出版、1965年、9-12頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 小川秀樹 「豊前・御所ヶ谷山城」『古代文化』第62巻第2号、古代学協会、2010年、81-86頁。
  5. ^ 森公章 著 『「白村江」以降 国家危機と東アジア外交』、講談社、1998年、158-173頁。
  6. ^ a b c 定村責二 「御所ヶ谷神籠石」『北九州瀬戸内の古代山城』、名著出版、1983年、205-211頁。
  7. ^ a b 渡辺正気 「御所ヶ谷山城」『日本の古代遺跡 34 福岡県』、保育社、1987年、205頁。
  8. ^ 田中哲雄 著 『城の石垣と堀』日本の美術 第403号、至文堂、1999年、20頁。
  9. ^ a b c 国指定史跡 御所ヶ谷神籠石』(パンフレット)、行橋市教育委員会、2016年。
  10. ^ 「古代山城サミットの歩み」『月刊 文化財』631号、第一法規、2016年、45頁。
  11. ^ 向井一雄 「発掘調査と山城説」『よみがえる古代山城』、吉川弘文館、2017年、36-46頁。
  12. ^ 狩野久 「西日本の古代山城が語るもの」『岩波講座 日本歴史』第21巻 月報21、岩波書店、2015年、1-4頁。
  13. ^ 赤司善彦 「古代山城研究の現状と課題」『月刊 文化財』631号、第一法規、2016年、10-13頁。

参考文献編集

  • 文化庁文化財部 監修 『月刊 文化財』 631号(古代山城の世界)、第一法規、2016年。
  • 小田富士雄 編 『季刊 考古学』 136号(特集 西日本の「天智紀」山城)、雄山閣、2016年。
  • 齋藤慎一・向井一雄 著 『日本城郭史』、吉川弘文館、2016年。ISBN 978-4-642-08303-4
  • 向井一雄 著 『よみがえる古代山城』、吉川弘文館、2017年。ISBN 978-4-642-05840-7
  • 小島憲之 他 校注・訳 『日本書紀 ③』、小学館、1998年。ISBN 4-09-658004-X
  • 西谷正 編 『東アジア考古学辞典』、東京堂出版、2007年。ISBN 978-4-490-10712-8

関連項目編集

外部リンク編集