徳川 鶴松(とくがわ つるまつ、正保4年1月10日1647年2月14日)? - 慶安元年7月4日1648年8月22日))は、江戸時代前期の徳川氏の一族。徳川家光の五男。徳川家綱徳川綱重徳川亀松徳川綱吉らの異母弟。

生年には2説があり、『徳川幕府家譜』は正保4年(1647年)1月10日、『江戸幕府日記』は正保5年(1648年)1月10日(1648年2月3日) を記録している[1]。生母は側室・お里佐(定光院[1]。慶安元年(1648年)7月4日に夭逝した[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c 藤井(1997,231)

参考文献 編集