徳欽県(とくきんけん、デチェン県)は中華人民共和国雲南省デチェン・チベット族自治州の県。チベットではカム地方に分類される。デチェン・チベット族自治州を構成する2行政区(シャングリラ市維西リス族自治県)と共に国家級貧困県に指定されている。

中華人民共和国 雲南省 徳欽県(デチェン県)
飛来寺から望む梅里雪山
飛来寺から望む梅里雪山
飛来寺から望む梅里雪山
雲南省中の徳欽県の位置
雲南省中の徳欽県の位置
雲南省中の徳欽県の位置
中心座標 北緯29度40分 東経91度21分 / 北緯29.667度 東経91.350度 / 29.667; 91.350
簡体字 德钦县
繁体字 德欽縣
拼音 Déqīn Xiàn
カタカナ転写 ドーチンシェン
チベット語 བདེ་ཆེན་རྫོང་
ワイリー方式 bde chen rdzong
蔵文拼音 Dêqên Zong
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
雲南
自治州 デチェン・チベット族自治州
行政級別
建置 1915年
建県 1955年
面積
総面積 7,569 km²
人口
総人口(2006) 6.24 万人
経済
電話番号 887
郵便番号 674500
ナンバープレート 雲R
行政区画代碼 533422
公式ウェブサイト http://www.deqin.gov.cn/

地理 編集

徳欽は雲南省北西部、四川省に隣接した三江併流地域に位置し、郊外に瀾滄江(チベット名ザチュ河、メコン川の上流)が流れている。古くは茶馬古道の要衝であり、現在は明永氷河梅里雪山白茫雪山を観光するときの拠点となっている。

歴史 編集

1372年から1508年にかけて徳欽は招討司の磨几勘(マルカム)と万戸府(パタン)の管轄区とされていた。1509年ナシ族ジャン王木定による統治が開始されたが、1639年にチベット全土の征服を進めていたオイラトホシュート部のグーシ・ハーンが南下して木氏を倒し、その支配下に置かれた。

1648年から1660年にかけ、徳欽はチベットの支配を受けるようになったが、1719年康熙58年)、巴塘は清朝の冊封を受け正、副土司が任命されるようになった。更に雍正のチベット分割1727年雍正5年)には雲南と西蔵の境界を定め、徳欽は雲南省に帰順するようになった。

中華民国が成立すると1915年子行政委員会が設置、1935年にはチベット語の寺院の当て字である徳欽が採用され徳欽政治局に解消された。チベットを「解放」した中華人民共和国1952年5月に徳欽蔵族自治区を設置、1955年に徳欽県に改称され現在に至っている。

行政区画 編集

区分 名称
2 昇平 奔子欄
4 仏山 雲嶺 燕門 羊拉
民族郷 2 拖頂リス族郷 霞若リス族郷

交通 編集

道路 編集

健康・医療・衛生 編集

  • 雲南省德欽県医院
  • 德欽県婦幼保健院
  • 德欽県衛生防疫站
 
徳欽県市街地の眺望

名所・旧跡・観光スポット 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

  • 調査中