志岐城(しきじょう)は、熊本県天草郡苓北町にある日本の城跡。

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志岐城
熊本県
城郭構造 土塁城
築城主 不明
築城年 不明
主な改修者 不明
主な城主 志岐鎮経
廃城年 不明
遺構 土塁
指定文化財 町指定文化財
位置 北緯32度30分9.9102秒 東経130度3分31.11秒 / 北緯32.502752833度 東経130.0586417度 / 32.502752833; 130.0586417座標: 北緯32度30分9.9102秒 東経130度3分31.11秒 / 北緯32.502752833度 東経130.0586417度 / 32.502752833; 130.0586417
地図
志岐城の位置(熊本県内)
志岐城
志岐城
志岐城本丸跡 志岐麟泉社本殿
志岐城本丸跡 志岐麟泉社本殿

歴史編集

1205年、肥後菊池氏の一族といわれる志岐光弘が志岐6ヶ浦の地頭に任じられた後に志岐城は築城されたと推定され、戦国時代末期、志岐鎮経(麟泉)の頃に志岐氏は全盛期を迎えたといわれています。1566年に、志岐麟泉が日本布教長であったトルレス神父に来島を要請し、アルメイダ修道士が派遣され、苓北町志岐は天草で最初のキリスト教の伝来の地となりました。1589年、志岐麟泉は宇土城整備の協力を拒否したため、小西行長加藤清正の連合軍に攻められ、志岐城は落城しました。

遺構編集

中世城址で、中世の豪族天草五人衆の一人である志岐氏の居城。志岐氏は元々菊池の一族と言われ、今の志岐を本拠に長い間、志岐城主としてこの地を治めていた。城下集落の南に広がる山並みの北西端域が城址である。標高90.7mの山頂部分を中心に南東側から北西側の尾根筋に「本丸」 - 「二の丸」 - 「出丸」の跡がしっかりとした形で残っており、大変貴重な城址である。縄張りの範囲は、長さ370m、最大幅200mで境目には天然の谷と人工的な堀切が重複している。志岐城から直線距離で、約4km離れた富岡半島に富岡城址があるが、素掘の堀切り跡や中世の石積みが見られるなど、志岐城の出城だったことが考えられる。

現在の志岐城の写真編集

参考文献編集

  • 苓北町教育委員会『苓北町の史跡と文化遺産(平成22年度)』p32
  • 苓北町教育委員会『わたしたちの町苓北』平成14年、p6
  • 『苓北町史』1985年3月