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志摩町御座(しまちょうござ)は、三重県志摩市地名郵便番号は517-0705。「行政区別人口・世帯数一覧表」による2012年11月1日現在の人口は595人[1]2004年現在の面積は2.39km2[2]

志摩町御座
御座白浜海水浴場
御座白浜海水浴場
志摩町御座の位置
志摩町御座の位置
志摩町御座の位置(三重県内)
志摩町御座
志摩町御座
志摩町御座の位置
北緯34度16分32.2秒 東経136度45分55.3秒 / 北緯34.275611度 東経136.765361度 / 34.275611; 136.765361
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Mie Prefecture.svg 三重県
Flag of Shima, Mie.svg 志摩市
面積
 • 合計 2.39km2
標高
5m
人口
 • 合計 595人
 • 密度 250/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
517-0705
市外局番 0599
ナンバープレート 三重
※座標・標高は志摩市御座コミュニティセンター付近

2003年(平成15年)現在、専業農家はなく、漁業観光業が中心である[3]

目次

地理編集

志摩市の南部、志摩半島最南端の先島半島(前島半島)西端に位置する[4]。北・南・西の三方をに囲まれ、北から西にかけては英虞湾に、西から南にかけては太平洋熊野灘)に面し、太平洋岸は海食崖を形成する[5]岩場のわずかな風化土壌の上などに耐潮風性のハチジョウススキ・キノクニシオギク・アゼトウナ・ヒゲスゲ・ハマカンゾウハマアザミテリハノイバラなどが混生する[6]。北西約2km先には海を挟んで浜島町浜島と向かい合う[5]。東は志摩町越賀と接する。

地形的には隆起海食台地上に展開し、水田はほとんど見られない[5]黒森金比羅山は互いに台地上に孤立した山である[7]。御座は山林面積率が6 - 7割を占め、耕地は少ない[8]集落は御座港付近と小字小浦にある[5]。御座の中心集落は海の荒れる東風を避けるように立地している[9]

産業としては沿岸漁業が盛んで、海女漁業と真珠の養殖が特徴である[5]。志摩町の他の大字と同じく、真珠養殖が主で海女漁業が従となっている一方、海女の操業日数は志摩地方では多い方である[10]。農業面では、二期作や暖地農業の適地として普及研究の対象となったことがある[3]

  • 山:黒森(96m)、金比羅山(99m)
  • 岬:御座岬、岩井崎
  • 島:矢摺島

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黒森編集

黒森(くろもり)は、三重県志摩市志摩町御座にある、標高96mの山。正式な山名は見崎山[11]。熊野灘沿岸に位置し、森が作るによって水面を覆って漁場を守る「魚付き林」の役割を果たす[12]。樹種はツブラジイを主とする常緑広葉樹である[11]

黒森の名は、沖合から見た時に木々が生い茂って黒く見えることに由来する[11]。山頂付近には灯台が設置されている[11]

金比羅山編集

金比羅山(こんぴらやま、こんぴらさん)は、三重県志摩市志摩町御座にある、標高99mの山[13]。英虞湾や熊野灘を望み[14]鳥羽一郎演歌『志摩半島』では「金比羅山は四面皆海(しめんみなうみ)」と歌われている[15]。毎年正月には初日の出を見に多くの人が集まる[13]

山麓に空海ゆかりの不動明王があることから「聖が岳」と呼称されたが、後に金比羅権現を祀るようになったことから、金比羅山に改名したと伝わる[14]

小・中学校の学区編集

 
御座小学校

市立中学校に通学する場合、志摩町御座全域が、和具小学校・志摩中学校学区となる[16]2014年3月31日まで、御座小学校・越賀中学校の学区であった[17]。御座小学校は志摩町御座にあるが休校中である[18]

歴史編集

近世まで編集

縄文時代弥生時代遺跡が各地で発見され、地蔵遺跡からはシカの角でできた小刀刀装が出土している[19]。『神宮雑例集』には、「胡座」として記録が残る。ただし、これ以外に「胡座」に関する記述は残っておらず、詳しいことは分からない[20]文和4年8月(ユリウス暦:1355年9月)の『二見御厨村主末継言上書』には「御坐清厚氏女」の字が見える[3]。「城山」と呼ばれる地域には御座源四郎が居城を構えていたと伝わる[20]

江戸時代には御座村として志摩国英虞郡鵜方組に属し、鳥羽藩の配下にあった[20]。村高は185石余だった[20]初鰹を献上していたほか、代銀を受け取って鰹節エビサザエなども納めていた[19]廻船や御城米積船の破損時の救助の任を負い、鳥羽藩主の内藤忠政参勤交代する際に船を出していた[19]。当時のキリシタン制札が残されている[19]

近代以降編集

ござむら
御座村
廃止日 1954年12月1日
廃止理由 新設合併
御座村和具町布施田村片田村越賀村志摩町
現在の自治体 志摩市
廃止時点のデータ
  日本
地方 東海地方近畿地方
都道府県 三重県
志摩郡
団体コード なし(コード導入前に廃止)
面積 2.75km2
総人口 1,213
(『志摩町史』、1953年)
隣接自治体 志摩郡越賀村
御座村役場
所在地 517-07
三重県志摩郡御座村
 
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町村制が施行されると、御座村は単独で村制を敷き、昭和の大合併・平成の大合併を経て、現在まで大字として存続している[20]1885年(明治18年)、福地復一は御座村を訪れ、そこで見聞した地域の風習について『東京人類學會報告第2巻』に書き留めている。福地は「住民ノ生業風俗ハ頗ル奇異ニシテ人類學研究ノ材料トモナルベキモノ」として、海女がイソオケ(磯桶)と呼ばれるをもって潜水し、石花菜(テングサ)や鹿角菜(フノリ)、和布(ワカメ)、鰒(アワビ)を採取していると記している[21]。更に、赤ちゃんを育てることは、海女として一家を支える女性にとって負担となるので、家族の半数は他の地方から10歳前後の子を養子として迎えている[注 1]ことや、女性が戸主であるため女性の権利が強く、に服従することなく、夫は忙しいに代わって炊事掃除洗濯を行うとも報告している[22]

1935年(昭和10年)の国勢調査によれば男性100人に対する女性の人口は123人で、漁業地理学者の青野壽郎は「海女といふ職業が、女子を郷土に定住せしめる有力な経済的要因となつてゐることに基く結果の人口現象であると解せられる。」と分析した[23]1945年(昭和20年)4月7日に御座村は空襲を受け、被害者は対岸の浜島にあった浜島町立診療所へ運ばれ、多くの人命が救われたという[24]

1950年(昭和25年)の統計では、漁業人口は農業人口をわずかに上回る程度であった[8]。その2年後の1952年(昭和27年)には農業人口が25%の大幅な減少を示した[25]1967年(昭和42年)、御座と浜島を結ぶ奥志摩フェリーが開設され、自動車を利用した英虞湾の周遊ルートが完成した[26][注 2]1968年(昭和43年)2月、近畿日本鉄道海水浴客を誘致することで鉄道旅客の増加を図るべく、伊勢志摩国立公園協会に遊泳可能な海浜を持つ地域に民宿を開設するよう要請、鳥羽市相差町、阿児町国府と並び、御座が候補地として選ばれ、5軒の民宿が開かれた[28]

2010年(平成22年)2月27日に発生したチリ地震では、津波によって潮流が速くなり、水産物に被害が発生した[29]

沿革編集

地名の由来編集

御座とは「爪切不動尊のいらっしゃるところ」の意味であると考えられる[30]。また爪切不動尊の祭事を司る役人が5人であったことから五座→御座となった、爪切不動尊の縁日に出店するの権利が5つあったことから五座→御座となったとの説も提示されている[31]

人口の変遷編集

総数 [戸数または世帯数:   、人口:   ]

1746年延享3年)[20]      80戸
      416人
1908年(明治41年)[20]        191戸
    1,064人
1960年(昭和35年)[32]        285世帯
    1,200人
1980年(昭和55年)[5]        283世帯
          944人
2000年(平成12年)[32]      269世帯
        758人
2012年(平成24年)[33]     254世帯
       599人

御座漁港編集

 
御座漁港

御座漁港(ござぎょこう)は三重県志摩市志摩町志摩町御座にある、第2種漁港。志摩市が管理し、1953年(昭和28年)3月5日に漁港指定を受けた[34]。かつてはかつお釣餌料供給基地として知られ、遠洋漁船が多く来航していた[34]2009年(平成21年)の統計では属地陸揚げ量は122.8t、属地陸揚げ金額は113百万円であった[34]。漁獲高は20世紀に比べ減少しており、旧御座漁業協同組合は漁港整備改良事業の地元負担分の支払いにも苦労していた[35]。漁協の前身である漁業組合は1903年(明治36年)6月に結成された[35]

1956年(昭和31年)の紀行文によると、港には船の到着を待つ子どもたちであふれ、2台の観光バスが客を待っていたという[36]。2012年現在は三重交通による路線バス「60・62系統 御座線」の終点となっている。

御座沖の海水の最低水温は1970年代から1980年代にかけて14℃と安定し、同時期に急速に水温が上昇した尾鷲沖に比べ、藻場の衰退はないと森鐘一らの研究グループは述べている[37]

観光編集

 
潮仏

1980年代前後より観光業が発達し、御座白浜海水浴場ではを中心に海水浴やキャンプに訪れる人が多い[5]。観光業は漁業と並んで重要な産業であるが、2004年(平成16年)発行の『志摩町史』では、「一時はにぎわっていた」と観光業による地域の発展は過去のものとして記述している[38]

  • 御座白浜海水浴場 - 約700mの弧状海岸で、高い透明度の海水が特色[39]。御座の中心集落からは約1kmほど離れ、名古屋方面からの来客が多い[40]
  • 爪切不動尊 - 巡錫中の空海が御座を訪れた際に、爪で石に不動明王を刻んだものとされている[20]寛政年間に美濃国・霊源禅師が本堂と籠り堂を建立、大正時代御木本幸吉が不動尊に至る車道を整備した[20]。海上安全・大漁に御利益があるとされ、漁師の信仰が厚い[4]が咲き乱れる[4]
  • 潮仏 - 御座漁港から海辺に沿って進むと現れる、海中の地蔵[41]から下の病を癒すとされ、海女の信仰を集める[4][41]
  • キャンプ場 - 志摩観光農園、御座岬オート、はまゆうバンガロー、美浜の各キャンプ場がある。

交通編集

陸上編集

鉄道
鉄道は通っていない。最寄り駅は陸路なら阿児町鵜方にある近鉄志摩線鵜方駅、海路なら阿児町神明賢島にある同線賢島駅
バス
御座港バス停(三重交通志摩営業所管内)
道路

海上編集

志摩マリンレジャーにより、以下の定期船が就航する[42]

  • 賢島 - 浜島航路
    • 浜島→御座→賢島
    • 賢島→御座→浜島→御座→賢島
    • 賢島→御座→浜島→御座
    • 御座→浜島
廃止航路
  • 奥志摩フェリー(御座 - 浜島):1967年 - 1989年[27]

施設編集

  • 志摩市立御座小学校
  • 三重外湾漁業協同組合志摩支所御座
  • 志摩市御座コミュニティセンター
  • 志摩市立御座保育所
  • 御座郵便局

史跡編集

 
梵海山潮音寺

郷土の人物編集

勝峯大徹禅師
御座村に生まれ、後に臨済宗南禅寺派の管長となった[20]朝熊山金剛證寺廃仏毀釈の激しい攻撃から守った[20]

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 福地は、海女が自ら子を出産し、養育するときは乳児浜辺に残して潜水し、乳児は波に洗われながら野性的に育ち、海女は海から戻ると子に授乳していると書いている[22]
  2. ^ 奥志摩フェリーは1989年(平成元年)に運行を休止し[27]、2012年現在は自動車の積載ができない渡船が運航されている。

出典編集

  1. ^ 志摩市役所"志摩市の人口について|新しい里海のまち・志摩"(2013年5月14日閲覧。)
  2. ^ 志摩町役場企画課(2004):95ページ
  3. ^ a b c 志摩町史編纂委員会 編(2004):249ページ
  4. ^ a b c d 志摩町役場企画課(2004):68ページ
  5. ^ a b c d e f g 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):1422ページ
  6. ^ 南川(1990):70ページ
  7. ^ 吉川(1949):218ページ
  8. ^ a b 大島(1955):106ページ
  9. ^ 村松(1943):420ページ
  10. ^ 大喜多(1973):350ページ
  11. ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編(1983):455ページ
  12. ^ 西城(2012):16ページ
  13. ^ a b 大口秀和. “2014年1月1日 京路山(きょうろうざん)”. 志摩市. 2014年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月8日閲覧。
  14. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編(1983):511ページ
  15. ^ 歌詞検索j-lyric.net"鳥羽一郎 志摩半島 歌詞"(2014年1月8日閲覧。)
  16. ^ 学校通学区”. 志摩市教育委員会事務局学校人権教育課. 2014年8月6日閲覧。
  17. ^ 学校通学区”. 志摩市教育委員会事務局学校人権教育課. 2014年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月6日閲覧。
  18. ^ 三重県教育委員会(2014):21ページ
  19. ^ a b c d 平凡社(1983):700ページ
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編(1983):490ページ
  21. ^ 服地(1886):16ページ
  22. ^ a b 服地(1886):17ページ
  23. ^ 青野(1936):32ページ
  24. ^ 浜島町史編さん委員会 編(1989):670ページ
  25. ^ 大島(1955):107ページ
  26. ^ 淡野(1986):15ページ
  27. ^ a b 英虞湾自然再生協議会"英虞湾年表"<ウェブ魚拓>志摩市農林水産部里海推進室(2012年11月11日閲覧。)
  28. ^ 淡野(1985):26ページ
  29. ^ 今井ほか(2010):1351, 1355ページ
  30. ^ 中村(1951):50ページ
  31. ^ 中村(1951):51 - 52ページ
  32. ^ a b 志摩町役場企画課(2004):96ページ
  33. ^ 志摩市役所"志摩市の人口について|新しい里海のまち・志摩"(2012年11月9日閲覧。)
  34. ^ a b c 三重県農林水産部水産基盤整備課"御座漁港"(2012年11月11日閲覧。)
  35. ^ a b 志摩町史編纂委員会 編(2004):294ページ
  36. ^ 山田(1956):525ページ
  37. ^ 森ほか(2006):454ページ
  38. ^ 志摩町史編纂委員会 編(2004):249 - 250ページ
  39. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編(1983):491ページ
  40. ^ ワークス 編(1997):101ページ
  41. ^ a b 講談社(2011):61ページ
  42. ^ 志摩マリンレジャー"あご湾定期船"(2012年11月11日閲覧。)

参考文献編集

  • 青野壽郎(1936)"水産統計より観たる紀伊牛島東部沿岸漁村(紀伊半島に於ける漁村の地理學的研究第一報)"地学雑誌(東京地学協会).48(6):258-278.
  • 今井健太郎・行谷佑一・都司嘉宣・藤井雄士郎・安藤亮輔・小松原純子・小松 琢・堀川晴央・宮地良典・松山昌史・吉井匠・石辺岳男・佐竹健治・西山昭仁・原田智也・鴫原良典・鴫原康子・藤間功司(2010)"2010年チリ中部地震による関東・東海地方沿岸の津波痕跡調査"土木学会論文集B2(海岸工学).66(1):1351-1355.
  • 大喜多甫文(1973)"志摩地方における海女漁村の生産形態"人文地理(人文地理学会).25(3):344-359.
  • 大島襄二(1955)"地理的に見た水産養殖業地域―英虞湾の真珠について ―"人文地理(人文地理学会).7(2):102-116.
  • 西城利夫"ふるさと再発見 志摩市歴史民俗資料館と志摩国 自然と人の暮らしを紹介"中日新聞2012年8月18日付朝刊、伊勢志摩版16ページ
  • 志摩町史編纂委員会 編『志摩町史 改訂版』志摩町教育委員会、平成16年9月1日、1164p.
  • 志摩町役場企画課『志摩町町勢要覧 町制50周年記念号 〜磯笛と潮騒のまちを記録する〜』志摩町役場企画課、2004年7月、121p.
  • 淡野明彦(1985)"沿岸域における民宿型観光地域の形成―三重県鳥羽市相差地区の事例―"地理学評論日本地理学会).58A(1):19-38.
  • 淡野明彦(1986)"沿岸域におけるリゾート型観光地域の形成―三重県志摩郡浜島町迫子地区の事例―"人文地理(人文地理学会).38(1):7-25.
  • 中村精貮『志摩の地名の話』伊勢志摩国立公園協会、昭和26年11月3日、167p.
  • 浜島町史編さん委員会 編『浜島町史』浜島町教育委員会、平成元年10月1日、1292pp.
  • 福地復一(1886)"志摩國御坐崎村ノ習俗"東京人類學會報告(日本人類学会).2(9):16-18.
  • 三重県教育委員会『学校名簿 平成26年度』三重県教育委員会、平成26年、52p.
  • 南川幸(1990)"東海地方の故郷文化を支える植生と植物相"芝草研究(日本芝草学会).19(1):65-84.
  • 村松繁樹(1943)"本邦に於ける風と居構との關係に就いて"地学雑誌(東京地学協会).55(11):413-421.
  • 森鐘一・熊谷明生・金澤剛(2006)"熊野灘における藻場の繁茂と衰退海域に関する研究"環境工学研究論文集(土木学会).43:449-457.
  • 山田正一(1956)"酒造経営者短期日酒造講習会"日本釀造協會雜誌(日本醸造協会).51(8):523-526.
  • 『伊勢神宮参宮公式ガイドブック 辛卯版』講談社MOOK、講談社、2011年5月25日、105pp. ISBN 978-4-06-389562-9

外部リンク編集