仏教における(ねん)は、以下のように多義的な意味で用いられる[1]

仏教の瞑想法における念 編集

サンスクリットのスムリティ(smṛti)の訳としての念は、心所(心のはたらき)の名であり、かつて経験したことを明らかに記憶して忘れないことを意味する[2]五根の一つとしての念根、五力の一つとしての念力に数えられる[2][注釈 1]。また、単に「思い」や「想い」の意味として「念」の語を用いることもある[2]

パーリ語の「サティ」(sati)に対応する語であり、これらの語は「意識・記憶していること」全般を広く言い表す語である[要出典]。例えば、上座部仏教圏であるスリランカなどでは、師僧が小僧(沙弥)をしつける際などに、「サティ」(気を付けなさい)という言葉を使ったりする [4]

分類としては、念は、五位七十五法では心所有法の大地法の一つに分類され、五位百法では心所有法の別境の一つである[5]初期仏教における三十七道品においては、四念処の他に、五根のうちの念根、五力のうちの念力、七覚支のうちの念覚支、八正道の第7の正念などが説かれる[5]

安那般那念(アーナパーナ・サティ)は、初期仏教以来の瞑想の導入法として説かれており、自分の呼吸に意識を向ける(あるいは呼吸を数える)という行法である。

十念とは、仏・法・僧・戒・施・天・休息・安般・身・死という10の対象に向かってをとどめ、他の想をやめて心を動乱させないことをいう[2][6]

業処とは、仏教の瞑想において観想する対象であり約40に分類されるが、その内の十随念のひとつの対象として仏(釈迦)がある(念仏#憶念)。

時間の長さ 編集

極めて短い時間を念といい、一刹那、または60刹那、または90刹那などを一念とする[2]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ヒンドゥー教では、『ヴェーダ』のような聖典(天啓、シュルティ)以外の伝承されてきた古代文献のことを「スムリティ」(聖伝文献)と呼んでいる[3]

出典 編集

  1. ^ 念とは - コトバンク/大辞林/大辞泉
  2. ^ a b c d e 総合仏教大辞典編集委員会(編)『総合佛教大辞典』 下巻(第一版)、法蔵館、1988年1月、1135頁。 
  3. ^ スムリティ - コトバンク/世界大百科事典
  4. ^ 中村元 『ブッダ最後の旅』 岩波書店〈岩波文庫〉、p217。
  5. ^ a b 中村元ほか(編)『岩波仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月、807-808頁。 
  6. ^ 『岩波仏教辞典』中村元ほか(編)(第二版)、岩波書店、2002年10月、488頁。