性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律

性同一性障害を持つ人の戸籍上の性別を変更することを認める日本の法律

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(せいどういつせいしょうがいしゃのせいべつのとりあつかいのとくれいにかんするほうりつ、平成15年7月16日法律第111号)とは、2003年(平成15年)7月10日に成立した日本法律

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律
日本国政府国章(準)
日本の法令
通称・略称 性同一性障害特例法、性同一性障害者特例法
法令番号 平成15年7月16日法律第111号
種類 民法
効力 現行法
主な内容 性同一性障害者の性別の取扱いの変更に関する手続
関連法令 民法戸籍法、特別家事審判規則
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性同一性障害者のうち特定の要件を満たす者につき、家庭裁判所審判により、法令上の性別の取扱いと、戸籍上の性別記載を変更できる(家事事件手続法第232条・別表第一)。施行は2004年(平成16年)7月16日

通称として「性同一性障害特例法」や「性同一性障害者特例法」がある。

概要編集

性同一性障害を抱える者における社会生活上のさまざまな問題を解消するため、法令上の性別の取扱いの特例を定めたもの。

法的な性別は、現行では基本的には生物学的性別で決められるが、例外として、本法律の定める「性同一性障害者」で要件の満たす者について、他の性別に変わったものとみなすこととする[1]

第二条の定める定義による「性同一性障害者」が、第三条の定める要件を満たすとき、家庭裁判所に対して性別の取扱いの変更の審判を請求することができ、その許可により、戸籍上の性別の変更が認められる。

趣旨編集

本法律の提案の趣旨は以下のとおり。

 性同一性障害は、生物学的な性と性の自己意識が一致しない疾患であり、性同一性障害を有する者は、諸外国の統計等から推測し、おおよそ男性三万人に一人、女性十万人に一人の割合で存在するとも言われております。

 性同一性障害については、我が国では、日本精神神経学会がまとめたガイドラインに基づき診断と治療が行われており、性別適合手術も医学的かつ法的に適正な治療として実施されるようになっているほか、性同一性障害を理由とする名の変更もその多くが家庭裁判所により許可されているのに対して、戸籍の訂正手続による戸籍の続柄の記載の変更はほとんどが不許可となっております。そのようなことなどから、性同一性障害者は社会生活上様々な問題を抱えている状況にあり、その治療の効果を高め、社会的に不利益を解消するためにも、立法による対応を求める議論が高まっているところであります。

 本法律案は、以上のような性同一性障害者が置かれている状況にかんがみ、性同一性障害者について法令上の性別の取扱いの特例を定めようとするものであります。

— 平成一五年七月二日、参議院本会議

解釈編集

第一条 趣旨編集

この法律は、性同一性障害者に関する法令上の性別の取扱いの特例について定めるものとする。

— 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律、第一条

本法律が定めることを明らかにするもの[2]

第二条 定義編集

生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。

— 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律、第二条

厳格に定義をし、性別の取扱いの変更という重大な効果を認める対象を明確にするもの[3]。何らかの理由で性別の変更を望んでも、生物学的な性別と心理的な性別の不一致のない者は、性同一性障害者に該当しない[4]

「生物学的には性別が明らかである」は、性染色体や内性器、外性器の形状などにより、生物学的に男性または女性であることが明らかであることをいう[5]

「心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信」は、生物学的には女性である者が男性としての意識が、または生物学的には男性である者が女性としての意識が、単に一時的なものでなく、永続的にある状態であり、確固として揺るぎなく有していることをいう[6]

「確信」や「意思」を有することを要求する。統合失調症などの精神障害によって他の性別に属していると考える者は、「性同一性障害者」に当たらない[7]。そのため、日本精神神経学会の「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン (第4版)」では、精神科医に除外診断を行うことが求められており、統合失調症など他の精神障害によって性別の不一致を訴えていないかの精神医学的アセスメントが行われている。ただしこれは、「他の精神障害を罹患している場合には戸籍上の性別が変更できない」という意味にはならない。性同一性障害に関する診断と治療のガイドラインには、「統合失調症など他の精神疾患に罹患していることをもって,画一的に治療から排除するものではない」とも書かれており、精神科医2名により、性同一性障害と診断されており、かつ第三条の条件を満たしていれば、他の精神障害に罹患していたとしても、性別の取扱いの変更の審判を申し立てることができる。

「その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致している」は、適切かつ確実な診断がおこなわれることを確保するもの[8]

「一般に認められている医学的知見」は、世界保健機関が定めた国際疾患分類 ICD-10米国精神医学会が定めた診断基準 DSM-IV-TR日本精神神経学会の「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン (第3版)」がこれに当たると考えられる[9]

「医師」は、日本の医師法に基づき医師免許を持つ者を指す[10]

第三条 性別の取扱いの変更の審判編集

一  十八歳以上であること。
二  現に婚姻をしていないこと。
三  現に未成年の子がいないこと。
四  生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五  その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
— 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律、第三条
一  十八歳以上であること。
民法では、満18歳が成年年齢とされている。また、法的性別の変更という重大な決定において、本人による慎重な判断を要すること等が考慮されたもの[11]。未成年の場合にも、法定代理人の同意による補完は、個人の人格の基礎である性別における法的な変更には馴染まず、あくまで本人自身の判断が必要であることが考えられたもの[12]
二  現に婚姻をしていないこと。
婚姻をしている性同一性障害者が性別を変更した場合、同性婚となり、現行法の秩序においては問題が生じてしまうためのもの[13]。いわゆる事実婚、内縁はこの「婚姻」に当たらない[13]。「現に」は、性別の取扱いの変更の審判の際、婚姻をしていないことをいう[13]。 過去に婚姻をしていても、離婚等で解消されていれば、審判を請求することができる[13]
三  現に未成年の子がいないこと。
性別の取扱いの変更の審判の際、未成年の子がいないことをいう。
審判を受けた者が後に養子縁組により子を持つことは可能[14]
四  生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
性別の取扱いの変更を認める以上、性ホルモンの作用による影響や、生物学的性別での生殖機能が残存し子が生まれた場合にさまざまな混乱や問題が生じるための要件[15]
「生殖腺がないこと」とは、生殖腺の除去、または何らかの原因で生殖腺がないことをいう[16]。「生殖腺の機能」とは、生殖機能以外にも、ホルモン分泌機能を含めた生殖腺の働き全般をいう[16]
五  その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
公衆の場とくに公衆浴場などで社会的な混乱を生じないために考慮されたもの[16]

第四条 性別の取扱いの変更の審判を受けた者に関する法令上の取扱い編集

性別の取扱いの変更の審判を受けた者は、民法 (明治二十九年法律第八十九号)その他の法令の規定の適用については、法律に別段の定めがある場合を除き、その性別につき他の性別に変わったものとみなす。

2  前項の規定は、法律に別段の定めがある場合を除き、性別の取扱いの変更の審判前に生じた身分関係及び権利義務に影響を及ぼすものではない。

— 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律、第四条

民法その他の法令の適用について、他の性別に変わったものとみなされる。変更後の性別として、婚姻養子縁組などをすることも可能となる[17]

強姦罪の適用については、性別の取扱いの変更をし、女子と見なされた者は、強姦罪の客体たり得る[18]。また、男子と見なされた者は強姦罪の主体たり得る[18]。なお、2017年7月13日施行の改正刑法により強姦罪は強制性交等罪へと改正され、男女問わず本罪の主体・客体となりえるようになったため、性別変更に伴う主体・客体の変更はなくなった。

第2項は、性別の取扱いの変更の審判の効果は、不遡及であることを規定している。例えば過去に妻であった、夫であったなど、審判を受ける前に生じていた身分には影響を及ぼさない[19]

「法律に別段の定めがある場合」は、性別が変わったとみなすことが難しい可能性を否定できない、または審判の効果を遡及させるべき可能性を否定できないことから規定している[20]

性別の取扱いの変更編集

本法で定義する性同一性障害者で、以下すべての要件のいずれにも該当する者は、自身が申立人となり、住所地の家庭裁判所で性別の取扱いの変更の審判を受けることができる[21]

  1. 二人以上の医師により、性同一性障害であることが診断されていること
  2. 18歳以上であること
  3. 現に婚姻をしていないこと
  4. 現に未成年の子がいないこと
  5. 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
  6. 他の性別の性器の部分に近似する外観を備えていること

必要なものは、申立書、標準的な申立添付書類(出生時から現在までのすべての戸籍謄本(全部事項証明書)、所定の事項の記載のある2人以上の医師による診断書)、収入印紙800円分、連絡用の郵便切手。

歴史編集

成立編集

医療技術の進歩により、性同一性障害に対して、ホルモン投与や性別適合手術を用いて当事者の精神的苦痛を軽減し、ジェンダー・アイデンティティに合わせて社会適応させることが可能となってきた。しかしながら、戸籍上の性別が出生時の身体的性別のままでは、公的な証明書を必要とする社会的局面において不都合を生じる。例えば、外見と性別記載が食い違っているために本人確認に問題を生じ選挙権を行使できなかったり、また差別を受けることもあった。

国内で公式な性別適合手術を終えた性同一性障害の当事者を含む6人が2001年5月、戸籍中の続柄の記載に錯誤があり戸籍法113条の要件を満たすものとして、家庭裁判所に戸籍の訂正を申し立てる。しかし、裁判所は戸籍の記載に錯誤があるとは言えない点や、現行制度がかかる理由(事後的に生じた錯誤)による戸籍訂正を認めておらずこれを認めると各種の不都合が生じるといった点を指摘した上で、「立法により解決されるべきである」とし、申立てを却下してきた。

自由民主党は2000年(平成12年)9月に性同一性障害に関する勉強会を発足し、本法案を含む性同一性障害の法律的扱いについて検討してきたが、議員の中には、「おかまだか何だかわからないものを・・・」といった趣旨のことを言い立て、聞く耳をもたない人も少なからずいたという。結局、ほとんどの自由民主党の議員は、党内に議員立法の動きがあることを知らないばかりか、そもそも「性同一性障害」とは何かさえも理解していない、法的な性別変更など聞いたことも想像したこともない、という状態だった[22]南野知惠子参議院議員が中心となって本法案をまとめ、2003年7月1日、参議院法務委員会に法案を提出、以降両院本会議でいずれも全会一致で可決、7月10日に成立する。

初の適用事例は、2004年7月28日に那覇家裁がした沖縄県在住の20代の戸籍上男性を女性に変更する審判で、女性から男性への初の認容事例は、同年8月27日に東京家裁がした東京都在住の30代の戸籍上女性を男性に変更する審判とみられる。

議論編集

「性別の変更を認めると、社会的に混乱するのではないか」という意見には、法的性別を変更する当事者は、すでに社会生活上も外見もその性別として移行しているので、戸籍上の性別がそのままでは、かえって社会的な不都合が生じる[23] とする反論がある。

また、犯罪者が捜査の手を逃れるために使用する可能性については、性同一性障害の診察と診断、性別適合手術を受ける等、法的性別の変更が認められるまでには相当の長期間にわたって医療機関や裁判所と関わることが必要であり、身を隠す手段としては適当ではなく、当事者における法的な性別の変更は、外見や生活実態に適合させることになるので、むしろ追跡を容易にする[23] として否定する意見がある。

2019年(平成31年)1月23日付けで、同法をめぐり、生殖機能を失わせる手術を必要とする要件の違憲性が問われた家事審判で、最高裁第二小法廷(三浦守裁判長)は、「現時点では合憲」とする初判断を示した。ただし、社会状況の変化に応じて判断は変わりうるとし、「不断の検討」を求めた。また、2人の裁判官は「憲法違反の疑いが生じていることは否定できない」という補足意見を述べた。「生殖腺や生殖機能がないこと」の要件で、卵巣や精巣を摘出する性別適合手術が必要となるため、審判では憲法13条(個人の尊重幸福追求権)や14条(法の下の平等)との整合性が争点となり、「現時点では」という条件付きで合憲と結論づけた。4人の裁判官全員一致の意見である[24]

課題編集

性別変更に伴い発生する法律問題が残されているという指摘[誰?]がある(判タ1204号 47頁等)。

  • 婚姻した一方または双方が当事者の夫婦が第三者の子である未成年者を養子に取れるのか。(家庭裁判所の許可が必要なため)
  • 養子縁組をしたパートナーの一方または双方が性別変更をし、離縁した後に婚姻できるか。(現行民法では禁止)
  • 所得税法の寡婦控除、生活保護制度における特別加算金などのように、単に女性であるという理由のみをもって有利な取り扱いを認めている諸法令については、調整が必要であるにもかかわらず、そのための法改正が提案すらされていない。(特に所得税の条文は、納税者本人自身の性別を問うことなく「婚姻当時に夫がいた者」を優遇する文言である)

各国において編集

先進国の多くは、性同一性障害者の法的性別を訂正・変更する法律または判例がある。

ヨーロッパ
イギリスでは2004年に法律 “Gender Recognition Act 2004” を制定[25]、スペインでは2007年に法律 “Ley de identidad de género” を制定[26]、ドイツでは1980年に法律 “Gesetz über die Änderung der Vornamen und die Feststellung der Geschlechtszugehörigkeit in besonderen Fällen” (Transsexuellengesetz - TSG) を制定[27]、イタリアでは1982年に法律 “Legge 14 aprile 1982, n. 164 – Norme in materia di rettificazione di attribuzione di sesso” を制定[27]>、スウェーデンでは1972年に法律 “Lag (1972:119) om fastställande av könstillhörighet i vissa fall” を制定[27]、オランダでは1985年に民法典に規定[27]、トルコでは1988年に民法典に規定[27]
北米
アメリカでは多くの州で[28]、カナダではほとんどの州で[27]、州法によって法的性別の訂正を認めている。
オセアニア
南オーストラリア州では1988年に法律を制定[29]、ニュージーランドでは1995年に登録法を改正[29]

関連項目編集

脚注編集

注釈編集

出典編集

  1. ^ 南野知惠子 2004, p. 122.
  2. ^ 南野知惠子 2004, p. 81.
  3. ^ 南野知惠子 2004, p. 82.
  4. ^ 南野知惠子 2004, p. 84.
  5. ^ (南野知惠子 2004, p. 84)(南野知惠子 2004, p. 124)
  6. ^ (南野知惠子 2004, p. 84)(南野知惠子 2004, p. 125)
  7. ^ (南野知惠子 2004, p. 85)(南野知惠子 2004, p. 125)
  8. ^ (南野知惠子 2004, p. 85)(南野知惠子 2004, p. 126)
  9. ^ (南野知惠子 2004, p. 86)(南野知惠子 2004, p. 128)
  10. ^ (南野知惠子 2004, p. 86)(南野知惠子 2004, p. 127)
  11. ^ 南野知惠子 2004, pp. 129–130.
  12. ^ 南野知惠子 2004, p. 130.
  13. ^ a b c d (南野知惠子 2004, p. 88)(南野知惠子 2004, p. 130)
  14. ^ 南野知惠子 2004, pp. 131–132.
  15. ^ (南野知惠子 2004, p. 93)(南野知惠子 2004, p. 134)
  16. ^ a b c (南野知惠子 2004, p. 93)(南野知惠子 2004, p. 135)
  17. ^ (南野知惠子 2004, p. 99)(南野知惠子 2004, p. 142)
  18. ^ a b 南野知惠子 2004, p. 99.
  19. ^ (南野知惠子 2004, p. 101)(南野知惠子 2004, p. 142)
  20. ^ (南野知惠子 2004, p. 102)(南野知惠子 2004, p. 143)
  21. ^ 性別の取扱いの変更 裁判所
  22. ^ 変えてゆく勇気 110頁
  23. ^ a b (野宮、針間、大島、原科、虎井、内島 2011, pp. 237–238)
  24. ^ 「性別の取扱いの変更申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件」判決文”. 最高裁判所 (2019年1月23日). 2019年2月20日閲覧。
  25. ^ 野宮、針間、大島、原科、虎井、内島 2011, pp. 200–203.
  26. ^ 野宮、針間、大島、原科、虎井、内島 2011, pp. 203–205.
  27. ^ a b c d e f 野宮、針間、大島、原科、虎井、内島 2011, p. 199.
  28. ^ 野宮、針間、大島、原科、虎井、内島 2011, pp. 199–200.
  29. ^ a b 野宮、針間、大島、原科、虎井、内島 2011, p. 200.

参考文献編集

  • 日本精神神経学会 性同一性障害に関する委員会 「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン(第三版)」 2011年(2011年5月改訂)。
  • 南野知惠子 『解説 性同一性障害者性別取扱特例法』日本加除出版、2004年。ISBN 9784817812902 
  • 野宮亜紀針間克己大島俊之原科孝雄虎井まさ衛内島豊 『性同一性障害って何?—一人一人の性のありようを大切にするために』(増補改訂版)緑風出版、2011年。ISBN 9784846111014 
  • 平成15年7月16日、官報 号外第162号

外部リンク編集

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