恐怖のミイラ』(きょうふのミイラ)は、日本テレビ系列で1961年7月4日から同年10月3日まで毎週火曜日の19:30 - 20:00に放送されていた連続テレビ映画。

恐怖のミイラ
ジャンル テレビドラマ
原作 高垣眸
脚本 御手俊治
監督 田村正蔵
船床定男
出演者 松原緑郎
三条魔子
バブ・ストリックランド
製作
制作 日本テレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1961年7月4日 - 10月3日
放送時間火曜19:30 - 20:00
放送分30分
回数14
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森下仁丹一社提供[1]

概要 編集

日本のテレビホラーの先駆け的作品[2]。夏期の納涼番組を意図しており[注釈 1][2][3][4][5][6]、大人の視聴者にも恐怖を与えたとされる[2]

原作は宣弘社が映像化した『豹の眼』と同じく高垣眸の小説である[5][注釈 2]。しかし同作品は数ページの短編であったため、本作品では大幅に脚色されほぼオリジナルの内容となっている[5]。脚本を担当した御手俊治はプロデューサー西村俊一の筆名であるが、監督の田村正蔵は実際には伊上勝が執筆しており、伊上の名では資金が出せないための措置であったことを証言している[7]

制作時期が新東宝の倒産と重なるため、同社に所属していた俳優が多く出演している[注釈 3][5]

ミイラ役のバブ・ストリックランドは京都でクラブのバーテンダーをしていたところ、体躯の良さを見込まれてスカウトされた[4][5]。しかし、スケジュールの都合がつかずに前半で降板した後、スタッフが代役を務めていたとされる[4][5]。ミイラの目玉はピンポン球を加工して作られている[4]

視聴率が好調であったため継続を望む声もあったが、宣弘社社長の小林利雄は「秋冬にホラーをやっても寒いだけだ」としてこれを断った[3]

あらすじ 編集

大学で法医学を学んでいる野々宮雄作は、姉の家へ同居することになる。義兄である姉の夫・板野博士は考古学の権威で、家族にも内緒で助手の牧村と共に研究室に閉じこもって毎晩遅くまで秘密の研究をしていた。その研究とは、エジプトで発掘して持ち帰った古代4000年前のミイラを生き返らせるというものであった。ある夜、ついに2人の研究が完成してミイラは蘇生するが、ミイラは博士を殺害して研究所から姿を消す。

放映リスト 編集

参照岩佐陽一 2001, p. 126, 「恐怖のミイラ ON AIR LIST」、石橋春海 2014, p. 41

  1. 闇に光る眼(1961年7月4日)
  2. 幽鬼の眼(7月11日)
  3. ミイラの秘密(7月18日)
  4. 墓地の怪人(7月25日)
  5. 恐怖の定期便(8月1日)
  6. 間違えられた男(8月8日)
  7. 恐怖のビル街(8月15日)
  8. 雷雨に消えた女(8月22日)
  9. 実験台のミイラ(8月29日)
  10. 瀕死の逃亡者(9月5日)
  11. 迫り来る足音(9月12日)
  12. 姿なき恐怖(9月19日)
  13. 秘薬の調合(9月26日)
  14. ミイラの最後(10月3日)

スタッフ 編集

出演 編集

放送局 編集

特筆なしは、火曜 19:30 - 20:00に同時ネット。

第1話放送当日の『読売新聞』に掲載された本作広告では25局ネットと明記されている[1]

漫画版 編集

楠高治によるコミカライズ版が『少年クラブ』1961年9月号から12月号に連載された[12]

ライターの猫目ユウは、ウェブサイト「おたくま経済新聞」に寄せたレビューの中で、「単に蘇ったミイラが超人的な力で街を恐怖に陥れるというだけではない、哀愁を帯びた展開があるのもこの作品のミソ」と評価しており、原作者が戦前から人気のあった高垣眸であることでストーリーに深みが出たのではないかと推測している[12]

また、猫目は楠がかつて桑田次郎のアシスタントを務めていた点についても触れ、作画が初期の桑田と酷似しているとしつつも、「人物の描写(特にポーズや表情)などに漫画的な画一的なものがあって二次元的。ただコマ割りやテンポなどはよく、中だるみなく一気に読める」と述べている。その一方、猫目はミイラから汀を守る板野博士の妻の弟・雄作との関係が説明不足であると指摘している[12]

映像ソフト 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 第1話当日の『読売新聞』に掲載された本作品広告では、「仁丹がお送りする「真夏のスリラー」のキャッチコピーとともに「電気を消して、ごらんください」のフレーズが明記されている[1]
  2. ^ 両作品で企画を担当した西村俊一は、父親が講談社の雑誌『少年倶楽部』の編集者であったことから、同誌に掲載されていた高垣の作品に幼少期から親しんでいたとされる[5][6]
  3. ^ 松原緑郎三条魔子若杉嘉津子舟橋元三原葉子川部修詩泉田洋志高松政雄
  4. ^ 『シルバー仮面 アイアンキング レッドバロン大全』では第6話から第9話は田村と船床の両名が監督であったとしているが[8]、『伝説の昭和特撮ヒーロー』では田村が全話の監督を担当したとしている[5]

出典 編集

  1. ^ a b c 読売新聞』1961年7月4日付朝刊5面、本作広告より。
  2. ^ a b c 全怪獣怪人』 上巻、勁文社、1990年3月24日、pp.66 - 67頁。ISBN 4-7669-0962-3。C0676。 
  3. ^ a b 岩佐陽一 2001, pp. 124126, 「恐怖のミイラの世界」
  4. ^ a b c d 石橋春海『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2013年12月5日、70-71頁。ISBN 978-4-7747-5853-4 
  5. ^ a b c d e f g h 石橋春海 2014, pp. 41–43, 「1961 恐怖のミイラ」
  6. ^ a b 宣弘社フォトニクル 2015, p. 15, 「恐怖のミイラ」
  7. ^ 宣弘社フォトニクル 2015, p. 19.
  8. ^ 岩佐陽一 2001, p. 126, 「恐怖のミイラ ON AIR LIST」.
  9. ^ (Bob Strickland)[1]
  10. ^ a b 福島民報』1961年7月4日付朝刊テレビ欄。
  11. ^ a b 北國新聞』1961年7月4日付朝刊、テレビ欄。
  12. ^ a b c 【うちの本棚】182回 恐怖のミイラ/楠 高治(原作・高垣 眸)”. おたくま経済新聞. シー・エス・ティー・エンターテインメント (2013年9月18日). 2021年9月23日閲覧。
  13. ^ 「'99TV・映画 特撮DVD・LD・ビデオ&CD」『宇宙船YEAR BOOK 2000』朝日ソノラマ宇宙船別冊〉、2000年4月20日、62頁。雑誌コード:01844-04。 
  14. ^ 「2000TV・映画 特撮DVD・LD・ビデオ&CD」『宇宙船YEAR BOOK 2001』朝日ソノラマ〈宇宙船別冊〉、2001年4月30日、66頁。雑誌コード:01844-04。 

参考文献 編集

日本テレビ 火曜19時台後半 森下仁丹一社提供
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