愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - 2000年5月5日)は、愛媛県八幡浜市幸町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は大澤 慶吉(おおさわ よしきち)。最高位は西前頭3枚目(1959年11月場所)。身長177cm、体重117kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り[1]

愛宕山 武司
愛宕山(1959年)
基礎情報
四股名 大澤 → 愛宕山 武司 → 大沢
本名 大澤 慶吉
生年月日 1936年1月11日
没年月日 (2000-05-05) 2000年5月5日(64歳没)
出身 愛媛県八幡浜市幸町
身長 177cm
体重 117kg
BMI 37.35
所属部屋 高砂部屋
得意技 突っ張り、左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭3枚目
生涯戦歴 263勝256敗62休(50場所)
幕内戦歴 104勝120敗31休(17場所)
優勝 十両優勝1回
幕下優勝2回
データ
初土俵 1951年5月場所
入幕 1957年3月場所
引退 1962年1月場所
備考
2019年7月15日現在

来歴・人物 編集

愛宕中学校を卒業後、前ノ山の口利きで高砂部屋へ入門し、1951年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の前頭・起雲山らがいる[1]

初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を収めたため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。

なお、当初の四股名は、本名でもある「大澤」。その後、1952年5月場所より、故郷・八幡浜市にある山に因んだ「愛宕山」へ改名した。

出世は順調で、満20歳で迎えた1956年1月場所で新十両に昇進(前場所での地位は東幕下26枚目で、8戦全勝という好成績を評価されての抜擢であった。当時の内規では、幕下20枚目以内に於いての全勝でないと、無条件で十両に昇進できなかった)。1957年3月場所で新入幕を果た[1]し、一時十両に陥落するも、同年11月場所からは幕内に定着した。西前頭15枚目に在った1959年9月場所では優勝争いに加わる健闘を見せたが、終盤に連敗して、優勝も三賞受賞も逸している。

左四つからの寄りや突っ張りを得意としたが、連相撲も少なくなかった[1]

左足の怪我を克服して前頭3枚目まで進出するも、腎臓病糖尿病に罹った事などもあって、1960年以降は低迷[1]。同年5月場所を最後に、幕内の座から遠ざかった。

現役晩年は幕下64枚目まで番付を落とし、1962年1月場所終了後、26歳で引退(なお、引退時の四股名は「大沢」である)[1]

引退後は角界から離れ、東京都内にて不動産業に従事した。

2000年5月5日に死去。64歳没。

エピソード 編集

  • 優勝争いに加わった1959年9月場所では、千秋楽の若ノ海との一番で勝ち12勝目を挙げた場合のみ、柏戸(当時、東前頭3枚目)と共に敢闘賞を受賞する可能性があった(結局、負けたため、同賞は柏戸が単独で受賞している)。

主な成績 編集

  • 通算成績:263勝256敗62休 勝率.507
  • 幕内成績:104勝120敗31休 勝率.464
  • 現役在位:50場所
  • 幕内在位:17場所[1]
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1957年9月場所)
    • 幕下優勝:2回(1954年5月場所・1955年9月場所)

場所別成績 編集

愛宕山 武司
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1951年
(昭和26年)
x x 新序
2–1 
x 西序二段21枚目
7–8 
x
1952年
(昭和27年)
東序二段17枚目
4–4 
x 東序二段4枚目
3–5 
x 西序二段6枚目
4–4 
x
1953年
(昭和28年)
西三段目52枚目
2–6 
西三段目56枚目
4–4 
東三段目49枚目
7–1 
x 西三段目27枚目
3–5 
x
1954年
(昭和29年)
西三段目31枚目
6–2 
西三段目8枚目
5–3 
西幕下42枚目
優勝
8–0
x 東幕下7枚目
3–5 
x
1955年
(昭和30年)
西幕下10枚目
3–5 
西幕下16枚目
休場
0–0–8
東幕下28枚目
4–4 
x 東幕下26枚目
優勝
8–0
x
1956年
(昭和31年)
西十両21枚目
10–5 
東十両14枚目
8–7 
西十両11枚目
10–5 
x 東十両5枚目
9–6 
x
1957年
(昭和32年)
西十両筆頭
11–4 
西前頭17枚目
4–11 
西十両筆頭
8–7 
x 東十両筆頭
優勝
13–2
西前頭15枚目
8–7 
1958年
(昭和33年)
東前頭13枚目
5–10 
西前頭20枚目
8–7 
東前頭16枚目
9–6 
西前頭10枚目
3–12 
西前頭17枚目
7–8 
東前頭18枚目
8–7 
1959年
(昭和34年)
西前頭16枚目
9–6 
西前頭10枚目
9–6 
東前頭6枚目
4–11 
西前頭12枚目
4–1–10[2] 
西前頭15枚目
11–4 
西前頭3枚目
5–10 
1960年
(昭和35年)
西前頭8枚目
2–4–9[3] 
西前頭16枚目
8–7 
東前頭13枚目
0–3–12[4] 
西十両5枚目
休場
0–0–15
西十両18枚目
2–13 
西幕下7枚目
0–7 
1961年
(昭和36年)
西幕下23枚目
6–1 
東幕下9枚目
3–4 
東幕下14枚目
4–3 
東幕下9枚目
2–5 
西幕下17枚目
2–5 
東幕下30枚目
0–3–4 
1962年
(昭和37年)
西幕下64枚目
引退
0–3–4
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績 編集

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青ノ里 1 3 天津灘 1 1 安念山 1 1 泉洋 6 2
宇田川 1 1(1) 大内山 1 1 大瀬川 1 4 大起 2 1
大ノ浦 1 1 大晃 1 3 小城ノ花 6 4 小野錦 1 2
大蛇潟 1 0 海山 3 2 柏戸 1 6 金ノ花 1 2 
神生山 0 1 神錦 1(1) 1 北の洋 0 2 北葉山 1 3
清恵波 4 0 清ノ森 1 0 鬼竜川 4 1 鯉の勢 2 3
琴ヶ濱 0 2 潮錦 3 5(1) 信夫山 2 3 玉乃海 0 3
玉響 2 0 常錦 3 1 鶴ヶ嶺 2 2 出羽錦 3 1
出羽湊 2 1 時津山 2 2 時錦 4 1 栃錦 0 1
栃光 0 1 豊ノ海 1 1 鳴門海 4 4 成山 1 2
白龍山 1 0 羽嶋山 1 3 花田 0 1 羽子錦 4(1) 2
広瀬川 2 0 福田山 1 0 福乃海 1 3 福乃里 1 2
双ツ龍 3 4 星甲 4 3 三根山 1 1  明歩谷 1 0
八染 1 3 吉井山 1 0 芳野嶺 4 2 若瀬川 0 1
若秩父 1 3 若ノ海 0 2 若乃國 0 1 若乃花(初代) 0 2
若羽黒 0 3 若葉山 2 4
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴 編集

  • 大澤(おおさわ、1951年9月場所-1952年1月場所)
  • 愛宕山 武司(あたごやま たけし、1952年5月場所-1960年11月場所)
  • 大沢(おおさわ、1961年1月場所-1962年1月場所)

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p22
  2. ^ 左足首関節捻挫により初日から休場、11日目から出場
  3. ^ 右膝関節捻挫により6日目から途中休場
  4. ^ 糖尿病・腎臓病により3日目から途中休場

参考文献 編集

関連項目 編集