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愛知山 春雄(あいちやま はるお、1922年3月10日-1986年10月22日)は、愛知県幡豆郡一色町(現・西尾市)出身で、立浪部屋にかつて所属した大相撲力士。本名は高橋 春長(たかはし はるなが)。最高位は東前頭4枚目(1947年6月場所)。現役時代の体格は172cm、105kg。得意手は右四つ、寄り、下手捻り、頭捻りなど[1]

目次

来歴編集

16歳の時に上京し、元小結・緑嶋が率いる立浪部屋へ入門。1938年5月場所で初土俵を踏んだ[1]

当初から故郷の愛知県に因んだ「愛知山」の四股名で相撲を取り、廃業まで1度も改名する事は無かった。

序ノ口に付いて以来、順調に出世し、1944年5月場所で新十両に昇進。

翌年6月場所では新入幕を果たし、以降は人並み外れた腕力と強靭な足腰を利した捻り技や寄り、おっつけを武器に、長く幕内中堅で活躍した[1]

現役晩年は十両中位まで陥落し、1955年3月場所後、33歳で廃業。

その後は帰郷して自営業に従事し、地元の企業の守衛も務めたという。

1986年10月22日、逝去。享年64。

エピソード編集

  • 現役時代は、立浪部屋随一の酒豪として知られた。

主な戦績編集

  • 通算成績:234勝252敗15休 勝率.481
  • 幕内成績:126勝155敗 勝率.448
  • 現役在位:41場所
  • 幕内在位:21場所
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1954年3月場所)

場所別成績編集

愛知山 春雄
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1938年
(昭和13年)
x x (前相撲) x
1939年
(昭和14年)
(前相撲) x 東序ノ口10枚目
6–2 
x
1940年
(昭和15年)
東序二段31枚目
5–3 
x 東三段目57枚目
5–3 
x
1941年
(昭和16年)
東三段目30枚目
6–2 
x 西幕下46枚目
5–3 
x
1942年
(昭和17年)
東幕下30枚目
4–4 
x 東幕下20枚目
4–4 
x
1943年
(昭和18年)
東幕下15枚目
3–5 
x 東幕下23枚目
6–2 
x
1944年
(昭和19年)
東幕下8枚目
5–3 
x 西十両14枚目
7–3 
西十両4枚目
6–4 
1945年
(昭和20年)
x x 西前頭18枚目
5–2 
西前頭14枚目
5–5 
1946年
(昭和21年)
x x x 西前頭11枚目
8–5 
1947年
(昭和22年)
x x 東前頭4枚目
2–8 
東前頭10枚目
5–6 
1948年
(昭和23年)
x x 西前頭12枚目
5–6 
西前頭15枚目
6–5 
1949年
(昭和24年)
東前頭14枚目
6–7 
x 西前頭15枚目
7–8 
東前頭17枚目
8–7 
1950年
(昭和25年)
西前頭11枚目
9–6 
x 東前頭8枚目
9–6 
西前頭4枚目
5–10 
1951年
(昭和26年)
東前頭6枚目
8–7 
x 西前頭4枚目
5–10 
東前頭8枚目
5–10 
1952年
(昭和27年)
東前頭14枚目
6–9 
x 東前頭18枚目
8–7 
西前頭15枚目
8–7 
1953年
(昭和28年)
東前頭12枚目
3–12 
東前頭18枚目
3–12 
西十両3枚目
2–13 
西十両11枚目
7–8 
1954年
(昭和29年)
西十両13枚目
4–11 
西十両20枚目
優勝
13–2
東十両6枚目
9–6 
西十両3枚目
7–8 
1955年
(昭和30年)
東十両4枚目
4–11 
東十両13枚目
引退
0–0–15
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

参考文献編集

  • 『全幕内力士個人別大相撲星取大鑑』第2巻(1986年、医聖社)

脚注編集

  1. ^ a b c d ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p26

関連項目編集

外部リンク編集