愛知県立常滑高等学校

愛知県常滑市にある高等学校

愛知県立常滑高等学校(あいちけんりつ とこなめこうとうがっこう)は、愛知県常滑市に所在する公立高等学校。通称は常高(とここう)

愛知県立常滑高等学校
地図北緯34度54分51秒 東経136度50分22.4秒 / 北緯34.91417度 東経136.839556度 / 34.91417; 136.839556座標: 北緯34度54分51秒 東経136度50分22.4秒 / 北緯34.91417度 東経136.839556度 / 34.91417; 136.839556
過去の名称 常滑工業補習学校
常滑陶器学校
常滑町立常滑陶器学校
愛知県常滑工業学校
常滑町立常滑実業女学校
愛知県立常滑高等学校
愛知県立常滑北高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 愛知県の旗 愛知県
学区 尾張学区 共通群 Aグループ
(普通科以外)専門学科 Aグループ
併合学校 (旧)愛知県立常滑高等学校
校訓
設立年月日 1896年明治29年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
普通科国際理解コース
セラミックアーツ科
クリエイティブデザイン科
学科内専門コース (普通科)
国際理解コース
学期 3学期制
学校コード D123210000884 ウィキデータを編集
高校コード 23283B
所在地 479-0003
愛知県常滑市金山字四井池10
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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愛知県立常滑高等学校の位置(愛知県内)
愛知県立常滑高等学校

歴史は県内で4番目に古い。セラミックアーツ科を有するが、愛知県内の公立高校では愛知県立瀬戸窯業高等学校とともに全国的にもユニークなセラミック関連の学科である。

沿革 編集

常滑高校と常滑北高校の統合 編集

2006年平成18年)4月、1976年昭和51年)に分離した愛知県立常滑北高等学校と再統合し、常滑北高校の地(常滑市金山)に普通科他2学科の高校としてスタートした。もともと常滑北高等学校が常滑高等学校の普通科の分離独立によって設立されたことから再びひとつに統合されたことになる。ただし、校舎は常滑北高等学校として利用していた敷地を利用し、常滑高等学校にあった専門科は改組されている。

2008年(平成20年)3月まで常滑北高等学校が併存したため、統合後の新高校は、(新設)常滑高校と通称された。

旧・常滑高の奥栄町1-168の校舎には2005年(平成17年)までの入学生が在籍したが、2008年(平成20年)3月に校舎を閉鎖。それと共に、常滑北高等学校の校名も消滅した。

閉校後の旧常滑高等学校の校舎は、焼き物をはじめとする様々な造形創作活動の支援施設「やきもの・ものづくりセンター(仮称)」となる計画が発表された。

年譜 編集

  • 1896年明治29年)9月21日 - 実業補習学校規程に基づく常滑工業補習学校として開校[1]
  • 1900年(明治33年) - 徒弟学校規程に基づく学校に改組し、常滑陶器学校と改称[1]
  • 1902年(明治35年) - 常滑町立常滑陶器学校と改称[1]
  • 1925年大正14年)2月21日 - 愛知県に移管し、愛知県常滑陶器学校と改称[2][3]
  • 1935年昭和10年)4月1日 - 愛知県常滑工業学校に改称[4][5]
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により愛知県立常滑工業高等学校に、常滑町立常滑実業女学校は愛知県常滑高等学校に転換[6]
  • 1948年(昭和23年)10月1日 - 愛知県立常滑工業高等学校と愛知県常滑高等学校が統合し、愛知県立常滑高等学校となる[6]
  • 1975年(昭和50年) - 普通科を愛知県立常滑北高等学校として分離[7]
  • 2006年平成18年) - 常滑北高等学校を再統合して新設・愛知県立常滑高等学校発足(常滑市金山、普通科・セラミックアーツ科・クリエイティブデザイン科)。
  • 2008年(平成20年)
    • 2月29日 - 常滑北高等学校(普通科)で卒業式。同時に校名も消滅。
    • 3月1日 - 旧・常滑高等学校(常滑市奥栄町、セラミック科・デザイン科・生活文化科・服飾デザイン科)が閉校舎。
    • 4月 - 常滑市金山の校地に三学年が揃い、統合が完了した。

校地の変遷 編集

常滑町立常滑陶器学校 奥条校舎
常滑町字前田東割8番地(現:奥条2丁目8番地)
1896年明治29年)に開校[8]
常滑町立常滑陶器学校 瀬木校舎、愛知県常滑実科高等女学校 仮校舎
常滑町字北屋敷8番地(現:栄町6丁目224番地)
1910年(明治43年)に移転。1936年(昭和11年)に愛知県常滑実科高等女学校が同所の仮校舎に開校[8]
愛知県立常滑高等学校
常滑町字徳磯46番地の3(現:奥栄町1丁目168番地)
1924年大正13年)に移転、1948年(昭和23年)の統合以降も利用[8]2008年(平成20年)に高等学校としての利用を終了。
愛知県常滑高等女学校
常滑町字北屋敷3番地(現:本町3丁目136番地)
1937年(昭和12年)に移転。現在の常滑西小学校の北東部[8]
愛知県立常滑北高等学校、愛知県立常滑高等学校
常滑市金山字四井池10番地
1976年(昭和51年)に愛知県立常滑北高等学校が開校。2006年(平成18年)の統合以降も利用。

設置学科 編集

  • 普通科
    • 国際理解コース
  • セラミックアーツ科
  • クリエイティブデザイン科

校訓 編集

    • 「徹」の精神でやりぬこうという意味が込められている。旧常滑北高校の校訓を引継いだ。
    • かつての旧常滑高校の校訓は「責任遂行」・「相互敬愛」・「環境調整」。

校歌 編集

愛知県立常滑高等学校校歌
作詞:谷川俊太郎・作曲:谷川賢作(俊太郎の長男)[9]
常滑高校と常滑北高校が統合した2006年(平成18年)に完成[9]。俊太郎の父である谷川徹三が常滑市出身で、俊太郎自身も常滑市で開催される朗読会に毎年参加するなど常滑市に縁があったため、学校が俊太郎に製作を依頼した[10]2012年(平成24年)に同窓会によって歌碑が寄贈された[9]
愛知県立常滑高等学校校歌
作詞:山崎敏夫・作曲:下総皖一[11]
2006年(平成18年)の統合以前の常滑高校の校歌。
愛知県常滑陶器学校校歌
作詞:井手蕉雨・作曲:早川弥左衛門[12]
1930年(昭和5年)10月10日に創定[12]。常滑工業学校の頃まで歌われた[11]
常滑高等女学校生徒歌[13]

教育目標 編集

「ものを創る」ことを通して、豊かな知性と情操、創造性を身に付けた人間。

部活動・学校行事を通して、たくましい身体と強靭な精神や、社会性を身につけた心豊かな人間。

次代の担い手として、生命と健康を守り、良識とモラル向上の推進者としての自覚を持った人間。

正しい勤労観・職業観のもとに、将来の職業人としての誇りが持てる人間。

特色のある行事 編集

遠泳訓練 編集

常滑北高校で1975年(昭和50年)の開校以来行われ、2006年(平成18年)の統合以降も実施されていた[14]2012年(平成24年)を最後とし、2013年(平成25年)は遠泳に代えて愛知県美浜少年自然の家での「スタディキャンプ」を初の試みとして行った[15]

7月中旬に知多郡美浜町の小野浦海水浴場で1年生が実施していた[14]。常滑市内のプールでの練習、愛知県美浜少年自然の家での合宿を経て、初級(500 m)、中級(1.5 km)、上級(3 km)に分かれて行われた[14]

闊歩 編集

常滑北高校で1975年(昭和50年)の開校以来行われ、2006年(平成18年)の統合以降も実施されている[16]

10月下旬もしくは11月はじめに、1年生が常滑高校と数十キロメートル離れた施設との往復を歩き切るものである[16]2011年(平成23年)度は知多郡武豊町の名古屋市武豊野外活動センターとの往復約30 kmを歩いた[16]

進路 編集

進学・長命社会に対応する進路・中部国際空港で働く進路の三本柱。

普通科は主に大学などへの進学等。

工業科は主に就職等。 

常滑市にあるLIXILなどへの就職者も多い。

出身者 編集

最寄り駅 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c 河村桂道 1933, p. 1.
  2. ^ 文部省告示第五十五號」『官報』第3741号、内閣印刷局、273頁、1925年2月13日https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955889/1 
  3. ^ 河村桂道 1933, p. 6.
  4. ^ 文部省告示第五十號」『官報』第2452号、内閣印刷局、241頁、1935年3月8日https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958931/13 
  5. ^ 「告示第三百二號」『愛知県公報』第843号、愛知県、290頁、1935年3月26日。 
  6. ^ a b 愛知県立常滑高等学校百周年記念誌委員会 1997, p. 310.
  7. ^ 「県立常滑北高校あす晴れの開校式 六学級でスタート 常滑校から普通科が分離独立」『中日新聞』、1975年4月4日。
  8. ^ a b c d 愛知県立常滑高等学校定時制夜間課程創立30周年記念事業実行委員会 1981, p. 64.
  9. ^ a b c 出口有紀「常滑高に校歌の歌碑 同窓会「発展の一助に」と寄贈」『中日新聞 朝刊 知多総合』、2012年10月4日、15面。
  10. ^ 中山敬三「谷川俊太郎さんが校歌 常滑高校に提供 作曲は長男の賢作さんが担当」『中日新聞 朝刊 知多版』、2006年7月7日、20面。
  11. ^ a b 愛知県立常滑高等学校百周年記念誌委員会 1997, 巻頭.
  12. ^ a b 河村桂道 1933, 巻頭.
  13. ^ 愛知県立常滑高等学校百周年記念誌委員会 1997, p. 293.
  14. ^ a b c 字井章人「雨にも負けず遠泳訓練 美浜で常滑高の320人 声上げ鼓舞 『自信になる』」『中日新聞 朝刊 知多総合』、2008年7月19日、21面。
  15. ^ 安田功「進路見つめる3日間 常滑高1年生 美浜で「キャンプ」」『中日新聞 朝刊 知多版』、2013年7月17日、14面。
  16. ^ a b c 福本雅則「励まし合い30キロ踏破 常滑高1年生が闊歩訓練」『中日新聞 朝刊 知多版』、2011年10月22日、18面。

参考文献 編集

  • 河村桂道 編『沿革誌の概要 卒業生名簿』愛知県常滑陶器学校、1933年3月20日。doi:10.11501/1093654 
  • 愛知県立常滑高等学校定時制夜間課程創立30周年記念事業実行委員会 編『三十年のあゆみ』愛知県立常滑高等学校、1981年10月25日。 
  • 愛知県立常滑高等学校百周年記念誌委員会 編『百年のあゆみ』愛知県立常滑高等学校、1997年10月22日。 

関連項目 編集

外部リンク 編集