慕容 忠(ぼよう ちゅう、648年 - 698年)は、吐谷渾首長の青海国王。烏地野抜勤豆可汗。墓誌の記述から『新唐書』の蘇度摸末と同一人物とみられる。

生涯編集

諾曷鉢と弘化公主のあいだの長男として生まれた。18歳で唐に入朝して、左威衛将軍となった。後に左領軍衛大将軍を加えられ、唐の会稽郡王李道恩の三女である金城県主李季英を妻に迎えた。左豹韜衛大将軍を代行した。688年、諾曷鉢が死去すると、慕容忠は青海国王の封を嗣ぎ、烏地野抜勤豆可汗を号した。

698年5月3日、慕容忠は霊州城南の渾牙の私邸で死去した。享年は51。は成王。子の慕容宣超が後を嗣いだ。

子女編集

  • 慕容宣超
  • 慕容宣昌(字は煞鬼、政楽王)
  • 慕容宣徹(河東陰山郡安楽王・左領軍大将軍)
  • 慕容承福(銀青光禄大夫・将作大匠・上柱国)

参考資料編集

  • 旧唐書』西戎伝
  • 新唐書』西域伝上
  • 大周故青海王墓誌銘
  • 大唐金城県主墓誌銘
先代:
諾曷鉢
吐谷渾の首長
第20代?:688年 - 698年
次代:
慕容宣超
先代:
諾曷鉢
青海国王
第2代:688年 - 698年
次代:
慕容宣超