慰安婦

将兵の性の相手をした公娼

慰安婦(いあんふ、Military Prostitutes)とは、かつて主に戦地の施設で将兵の性の相手をした女性のこと。一般に慰安婦というと日本軍慰安婦を指すことが多いが、「慰安婦」という呼称は第二次世界大戦後日本軍が消滅した後の韓国軍でも使用されていた。また、同義の女性はドイツ軍やフランス軍にも存在した。

概説編集

慰安婦は軍隊が配置された場所の慰安所で働き、利用者は前述の国の将兵に限らず、同盟国や国連軍の将兵もいた。

慰安所で働く女性たちは日中戦争太平洋戦争朝鮮戦争[1][2][3][4]ベトナム戦争[5] 及び韓米軍事合同訓練[6] 並びにアメリカ軍[6][7][8][9][10]連合国軍[11] 及び国連軍[8] の駐留時など、当時の戦地、訓練地、駐留アメリカ軍基地周辺の基地村[6][12] などでも存在が報告されており、日本軍韓国軍[1][2][5][6][10]、アメリカ軍[6][8][10] および国連軍[8]軍人軍属に対して売春業を行っていた[13][14]

一般的に『慰安』とは「心をなぐさめ、労をねぎらうこと。また、そのような事柄」「日頃の労をねぎらって楽しませること」[15][16]

1966年大韓民国大法院の判決文では「慰安婦」を「一般的に日常用語において、売春行為をしている女性」と定義された[17]

軍隊と娼婦編集

16世紀にはスペイン軍がオランダ侵攻した際に売春婦が1200人随行したとされ、またドイツで1598年に刊行された軍事教科書では随行売春婦の役割について論じられている[18]

十字軍の遠征にも売春婦が同行していた[19][20]。売春婦部隊が存在したとする者もいる[21]

朝鮮の妓生は国境守備将兵の慰安婦としても活用され、国境の六ヶ所の「鎮」や、女真族が出没する白頭山付近の「邑」に派遣された[22]

日本にも古くから御陣女郎がいた[23]:91

ジョージ・ヒックスは、ローマ帝国は捕虜女性を性奴隷とし「日本軍と同様の慰安制度」を採用していたと主張している[24]

軍隊の利用を目的に設置された売春宿については、「軍用売春宿」参照。

近代公娼制と軍隊編集

藤目ゆきは、近代型の公娼制[注釈 1]と軍隊が密接に関連していたと述べている。

国家による管理売春公娼制度といい、慰安婦・慰安所も公娼制の一種として研究されている[25][26][28]

前近代の公娼については、「公娼」を参照。

戦時の性政策編集

19世紀の戦時の性政策編集

兵士の性病防止の為の売春の国家統制は、19世紀初頭のフランスで始まり、ヨーロッパ大陸とイギリスに広がった。この当時、ナポレオン戦争の副産物として性病がヨーロッパ中に広まっていた。その後プロイセンは一時公娼制度を中断したが、軍当局の圧力で1851年に再開した。イギリスもクリミア戦争による性病の蔓延を受けて公娼制度を導入した。イギリスは、1886年に本国で公娼制度を撤廃した後も軍の利益の為に植民地ではこの制度を温存した[29]

北アメリカでは法制化にこそ至らなかったが、南北戦争中に北軍が南部の都市を占領すると北軍の指導者が売春の統制に乗り出し、1870年にセントルイスでヨーロッパ型の公娼制度が正式に採用された[30]

近代型の公娼制度は、その後、日本でも導入された。

藤目ゆきは、近代型公娼制度は「軍隊慰安と性病管理を機軸とした国家管理売春の体系」であるとしている[31]

第一次世界大戦時の性政策編集

第一次世界大戦の際にはフェミニストのジェーン・トラートンはエジプトのニュージーランド軍を看護するための従軍女性ボランティア団体を組織し、病気に悩む兵士に対して「女が必要なら、病気のないきれいな女を与えなさい」と語っている[32]

米軍では、兵営5マイル以内ではどんな女性でも逮捕でき、その女性の市民権を停止することができる、アメリカン・プランが推進された[33][34]

第二次世界大戦時の性政策編集

 
ドイツ兵と戯れるフランス・ブレストの売春婦
 
連合軍によって制圧されたパリではドイツ人と親密であった女性たちは頭を刈られ服を引き裂かれて引き回された

秦郁彦は、第二次世界大戦当時の戦地での性政策を「自由恋愛型(イギリス軍、米軍)」「慰安所型(日本、ドイツ、フランス軍)」「レイプ型(ソ連軍)」の3つの型に大別している[35]

自由恋愛型

自由恋愛型とは英米軍が該当し、私娼中心で公娼制度を公認しないもので、その理由は世論とくに女性からの批判によって公娼制を公認できなかったためとされる[35]。その代わり、現地の娼婦の利用を黙認したが、性病が蔓延したともいわれる[36]。(バトラーらのフェミニズムによる批判や廃娼運動については前述#近代公娼制の確立を参照)。植民地においては慰安所が存在し、また英米軍が占領後に日本軍慰安所を居抜きで使用した場合もある[37]。アメリカ軍もフィリピンなどの植民地慰安所をのぞくと慰安所を設置しなかったが、ノルマンディーに上陸したアメリカ軍が多数のフランス女性をレイプし、性行を行っている姿を見ないで街を歩くことが出来ないほどの状態になったためル・アーヴルでは市長が郊外に慰安所の設置をアメリカ軍指揮官に懇願したがアメリカ軍はこれを拒否している[38][39]

慰安所型

ドイツ軍は国家管理型の慰安婦・慰安所制を導入し500箇所あったといわれ、ドイツと同様の制度を導入した日本軍慰安所は400箇所あったとされる[40]。フランス軍、インド駐留イギリス軍、イタリア軍にも慰安所があったが、慰安婦を現地で募集する場合とそうでない場合とがある(詳細は下記節で述べる)。

日本軍慰安所設置にあたっては性病対策のほか強姦対策もあった[41] が、強姦罪は跡を絶たなかったともいわれる[42][43][44]

レイプ型

アメリカ軍の慰安婦編集

アメリカ本国は全国レベルでは公娼制を持たなかったが、植民地で公娼制度を導入した[45]

南北戦争編集

テネシー州ナッシュビルを占領した北軍が、娼婦の性病検査を行い、これを登録制とした。このシステムは、1863年から終戦まで続いた[46]

米西戦争・米比戦争編集

米西戦争でスペインに勝利したアメリカが1898年にフィリピンを占領してからは雨後の筍のように酒場が現れ、売春が蔓延した。また米軍は、現地の娼婦の検診を施したため、宣教師がこれらを訴えた[47]。1902年4月、キリスト教婦人矯風会(WCTU、en:Woman's Christian Temperance Union)のマーガレット・エリスがマニラ管理売春や児童買春の実態を報告するなどフェミニズムからの抗議を受け、米国政府は性病検査と検査料金徴収を中止し、軍の為の健全な娯楽施設、読書室、体育館をかわりに建設するとした[47]。ルーズベルト大統領は現地娼婦と軍との関係を不明瞭にしたが、フィリピン軍政責任者のルート陸軍長官は診断料や診断証明書の料金がなくなっただけと語ったような実情であった[45]。のちにマーガレット・エリスと政府とのあいだで裏取引が発覚しており、その後も米軍慰安所は実質的に存続し、フィリピンで売春街を紅灯街に限定するようにし、性病検査を継続しながらもアメリカ政府が公式に関与していないように努力した[48]

米軍目当ての売春宿と性病検査はその後も第二次世界大戦、ベトナム戦争、1990年代の米軍の一時撤退まで継続し、廃止されることはなかった[45][49]

メキシコ(パンチョ・ビリャ)遠征編集

ジョン・パーシング指揮下のアメリカ軍は、フィリピンでの経験に基づき、メキシコとの国境地帯でも娼婦と性病の管理を行った[50]。(パンチョ・ビリャ遠征英語版1916-1917)

第一次世界大戦編集

米軍は、兵士と娼婦の接触を断つことで性病を防止しようとした。その為にアメリカン・プランが採用された。アメリカン・プランとは、米軍の兵営5マイル以内では、どんな女性でも逮捕でき、その女性の市民権を停止することができる法律であった[51][34]。性病感染が発見されると、女性は強制的に収容された。終戦までに1万5520人の女性が逮捕収監された[34]。この法律は性病から米軍を守る為の法律であったので、逮捕収監されるのは女性だけで、兵士は処罰の対象にならなかった[34]

シベリア出兵編集

当時シベリアには、日本人の「からゆき」がおり、ある日本兵は、日記に「市内の支那町(ハバロフスク)に売春婦がいるが、その大部分は日本人であると言う。・・・それへ米兵が盛んに遊びに行くさうな。米兵は金を持っているからこんなものはとても見逃しはしない」と書いた。米兵が「誘惑されている」との抗議の手紙がアメリカから日本の矯風会に寄せられ、矯風会が現地に調査に赴いている[52]:83-87。(シベリア出兵1918-1922)

第二次世界大戦編集

アメリカ軍は1941年米陸軍サーキュラー170号規定において、「兵士と売春婦との接触はいかなる場合でも禁止」されたが、実際には買春は黙認されていた[53]。1942年に昆明では、フライング・タイガースが性病感染で有名な売春宿のせいで「空軍の半数が飛べなかった」とのセオドア・ホワイトの証言がある[54][55]

ハワイ編集

米海軍の根拠地であるハワイでは「組織的売春 (organized prostitution)」が設置され、登録売春宿(慰安所)が設置されていたとされる[56]大東亜戦争が始まると、ホノルル港の近くにはホテルストリートが設けられ、その通り沿いにあるホテルでは、兵士が服を脱ぎ、消毒液で自分たちの下半身を洗い、コンドームを付けた後、女性が一人につき3分でセックスを済ますというサーヴィスが工場の流れ作業の様に行われていた。その事から、この兵士は3分の男と呼ばれるようになった。それから、この通りは「lubed[注釈 2], screwed[注釈 3] and tattooed[注釈 4]」と呼ばれるようになり、そのホテルの売春婦は1日に100人もの相手をした[57]

日本編集

 
横須賀市安浦に設置した慰安所に群がる連合国軍将兵

各地に進駐軍向けの慰安所が設置され、米兵が利用した。その中でも、東京を中心に営業した「特殊慰安施設協会(RAA)」が良く知られている。藤目ゆきによれば、RAAだけでも、最盛時には7万人、閉鎖時には55,000人の女性が働いていた[58]。同様の施設は日本各地に存在し[注釈 5]、日本人女性が米兵の相手をした。

朝鮮戦争編集

 
アメリカ軍(美軍)慰安婦2名が韓国釜山で悲観のあまり自殺したことを報じる1957年7月21日東亜日報

1980年代までに100万人超の韓国女性が米軍の相手をした[14]1962年の韓国の相場では、ショートタイムで2ドル、ロングタイムで5ドルであった[10]。固定的な性的関係を持つことによって月給をもらう女性もいた[10]大韓民国大法院判決文によれば、1964年当時に慰安婦が月5,000大韓民国ウォンの収入を得ていた[17]

1955年のソウル市警察局によると米軍相手の性売買女性は61,833名であり[11]1962年の韓国ではアメリカ兵相手の慰安婦として2万名以上が登録されていた[10][14]

朝鮮戦争では韓国人女性が慰安婦として集められる(#大韓民国軍慰安婦)とともに、日本人慰安婦も在日米軍基地周辺、また朝鮮半島へも日本人慰安婦が連れて行かれたこともあった[61][62]

ベトナム戦争編集

ベトナム戦争時には、米軍がベトナム人女性がいる軍公認の慰安所を利用していたと米人女性ジャーナリストスーザン・ブラウンミラーが“Against Our Will”(1975年)でルポを書いている。

ベトナム戦争末期にはベトナムでは30万から50万人の慰安婦がいた(Cynthia Enloeによる[63][64])[65]アメリカ陸軍第1師団第3旅団(将兵4000名)ではベトナム女性60人が住み込みで相手した[65]

ベトナム戦争時のベトナムでは、料金は500ピアストル(2ドル)で、女性の手取りは200ピアストル(0.8ドル)で、残りは業者のものとなった。

在韓米軍の慰安婦問題編集

近年、韓国でアメリカ軍を相手とするジューシーバーで働くフィリピン女性たちが人身売買の状況下に置かれている問題がある[66]

米兵との性的行為を1960年代から1980年代にわたり強制されたとして、当時の韓国政府指導者・韓国政府・米軍を、韓国の元慰安婦のグループが、アメリカの裁判所に告発、損害賠償を求める訴訟を起こした。在韓米軍慰安婦問題参照。

アメリカ軍の慰安所編集

イギリス軍の慰安婦編集

1893年のインド駐留イギリス軍の売春制度の調査では、利用料金は労働者の日当より高く、また女性の年齢は14 - 18歳だった[67]。当時インドのイギリス軍は、バザールが付属する宿営地に置かれ、バザールには売春婦区画が存在した[67]。主に売春婦カーストの出身で、なかにはヨーロッパから渡印した娼婦もいた[67]。売春婦登録簿は1888年まで記録されている[67]

19世紀編集

19世紀のイギリス海軍では、船が入港すると、売春婦を船内に呼び入れるのが一般的な慣習だった。イギリスの港町では、ランチが女性を軍艦に運び、ランチの船長が代金を受け取る光景が見られた。そんな中で性病に対する懸念が高まり、1864年制定の法律により、指定された11の港町の売春婦が陸軍省と海軍省の管理下に置かれた。やがて医師による定期的な検診が義務付けられるようになり、売春婦は登録制となる。その後、陸海軍が常駐する町以外にも法律を適用させようという動きもあったが、実現しなかった[68]:307

インド編集

1891-92年の調査によれば、(イギリス女王が皇帝を兼ねる)インド帝国政府が、娼婦の為の施設を作り、イギリス軍が娼婦に支払いをし、政府の監視員が兵営への娼婦の出入りを監督していた[69]

1893年のインド駐留イギリス軍の売春制度の調査では、利用料金は労働者の日当より高く、また女性の年齢は14〜18歳だった[70]。当時インドのイギリス軍は、バザールが付属する宿営地に置かれ、バザールには売春婦区画が存在した[70]。主に売春婦カーストの出身で、なかにはヨーロッパから渡印した娼婦もいた[70]。売春婦登録簿は1888年まで記録されている[70]

藤目ゆきは「植民地においてこそ、帝国主義軍隊の維持がより重大であり、だからこそ公娼制の温存は植民地において本国より重視された」と指摘したうえで、娼家の供給は「貧しい親に売られるのも、だまされて売春を強要されるのも、前借金に縛られ逃げられない状態に置かれたのも、日本人の娼婦に限ったことではない」と指摘している[71]

イギリスは1921年の婦人及児童ノ売春禁止ニ関スル国際条約に調印しながらも植民地での公娼制は維持された[72]

第一次世界大戦編集

フランス戦線に派兵されたロバート・グレーヴズによれば、フランスのベテューヌには「慰安所」があり、3人の慰安婦がいた。料金は10フラン(当時の8シリング)で、彼が目撃した時には、150名からの兵士が順番待ちの列を作っていた。女性たちは、毎週一個大隊にのぼる兵士の相手をした。こうした生活は3カ月が限界だったと言う[73]:213

第二次世界大戦編集

第二次世界大戦では、イギリス軍は公認の慰安所は設置せず、現地の売春婦や売春宿を積極的に黙認した[74]。1944年3月の米軍の日系2世のカール・ヨネダ軍曹のカルカッタでの目撃証言では、6の英兵が10歳のインド人少女に乗っている姿が丸見えで、「強姦」のようだったとして、またそうしたことが至るところで見られたという[74]。性病感染率の記録からは、ビルマ戦戦では6人に1人が性病に罹っていた[75]。また、日本軍の慰安所を居抜きで使用したともいわれる[74]

イギリス軍の捕虜になった会田雄次は、英軍中尉がビルマ人売春婦を何人も部屋に集めて、「全裸にしてながめたり、さすったり、ちょっとここでは書きにくいいろいろの動作をさせて」楽しんでいたという[75]

イギリス軍の慰安所編集

韓国軍の慰安婦編集

朝鮮戦争編集

朝鮮戦争中、韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置した[76][77]。こうした慰安婦を米兵も利用した[77]

特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、これは日本軍慰安婦と同様のものであった[76]。金貴玉は当時設置を行った陸軍関係者がかつて日本軍として従軍していたことなどから、「韓国軍慰安所制度は日本軍慰安所制度の延長」としている[76]

ベトナム戦争編集

ベトナム派遣軍の最高司令官だった蔡命新は、韓国軍がベトナムでも慰安婦(慰安所)の運用を計画したものの米軍の反対で断念したと語っているが[78]、「トルコ風呂」と呼ばれる韓国軍用の売春宿がサイゴンに存在したことを示す米軍の資料も発見されている[79]

韓国軍の慰安所編集

韓国陸軍本部編『後方戦史(人事編)』(1956年)では「固定式慰安所-特殊慰安隊」とある。朝鮮戦争の休戦にともない各慰安所は1954年3月に閉鎖された[76] が、その後も存続した[80]

台湾(中華民国軍)の慰安婦編集

台湾には、1952年から1992年まで「軍中特約茶店」または「軍中楽園」と呼ばれる〝慰安所〟があった。こうした施設で働く女性を「軍妓」と呼んだ[81]

中華民国軍の慰安所編集

金門島の跡地は「特約茶室展示館」[82] となっている。

ドイツ軍の慰安婦編集

 
1941年、ワルシャワポーランド人が連れ去られている様子。後に若い女性は強制的にドイツ軍慰安所へ入れられた。
 
フランスのブレストで慰安所に入るドイツ軍兵士(1940年)。建物は以前のユダヤ教施設(シナゴーグ)。

2005年1月、ドイツで放映されたドキュメンタリー番組「戦利品としての女性・ドイツ国防軍と売春 (Frauen als Beute -Wehrmacht und Prostitution)」では、ドイツ軍が1904年、フランス人の売春婦を使い官製の慰安所を始め、後にはポーランドウクライナの女学校の生徒を連行し、慰安婦にしたことを報じた。

ドイツ軍の慰安所編集

ドイツ軍の慰安所に関しては、「ドイツ軍将兵用売春宿」も参照。

ドイツの慰安婦問題編集

ドイツ政府は「人道に対する罪時効はない」と宣言し、様々な戦後補償を行なっているが、当時のドイツ軍による管理売春・慰安所・慰安婦問題はそうした補償の対象とはされてこなかった[83]。しかし、日本軍慰安婦問題がきっかけとなり、検討されるようになった[84]。また秦郁彦が1992年に日本の雑誌『諸君![85] で紹介したフランツ・ザイトラー『売春・同性愛・自己毀損 ドイツ衛生指導の諸問題1939-1945』[86] はドイツでも知られていなかったため、当時来日していたドイツ人の運動家モニカ・ビンゲンはドイツに帰国してこの問題に取り組むと語った[87][88]。しかし、2015年2月現在ドイツ政府は国防軍の元慰安婦に対する謝罪を行っていない[89][90]

日本軍の慰安婦編集

日中戦争以前編集

西洋式の公娼制度を取り入れつつ、陸軍の衛戍地や海軍の軍港の近くに多くの遊郭が作られた[91]:16。日本統治下の朝鮮や台湾でも同様に公娼制度が導入された[91]:1-27。こうした遊郭や売春婦は、厳密には「慰安所」や「慰安婦」とは別物だが、軍都として建設された朝鮮半島の一部の都市の遊郭は、慰安所的な性格を帯びていたと見る研究者もいる[92]

日中戦争・太平洋戦争編集

狭義には、「慰安婦」とは日本の陸海軍が戦地で公認した「慰安所」で働く売春婦を指す。日中戦争において、日本軍は初めて戦地で売春宿(慰安所)を公認した[93]日本軍の慰安婦には、当時の邦人(内地人・朝鮮人・台湾人)の他、日本軍が進出した先の住民もいた。この中には、現地に植民していた西洋人もいた[注釈 6]

日本軍の慰安所編集

日本軍が戦地に設置した軍用売春宿を「慰安所」と言う。

日本の慰安婦問題編集

日本政府が朝鮮半島から慰安婦にする目的で多数の女性を徴用したという疑惑[94]を巡り、日韓の間で外交問題になっている[95]

フランス軍の慰安婦編集

十字軍編集

フランス王フィリップ2世は、十字軍の遠征中、フランク人(兵士)による強姦を見て衝撃を受け、フランスから売春婦(filles de joie)を呼び寄せた。フランス軍のこの慣習は20世紀まで受け継がれた [96]

ナポレオン戦争編集

ナポレオン戦争の結果、ヨーロッパに性病が蔓延した。軍隊と兵士を性病から守ることを目的にフランスで公娼制度が始まり、売春婦は登録制となり、定期的な健康診断を義務付けられた。近代型公娼制度は、やがて他のヨーロッパ諸国に広まった[97][98]

第一次世界大戦編集

フランスには軍用売春宿の伝統があり、第一次大戦では、連合国側の(軍用)売春宿の殆どはフランスが運用していたとも言われる。こうした売春宿は同盟国の兵士にも利用された。フランス北部のカイユー=シュル=メールでは、15名の〝慰安婦〟が一日に推定360人の兵士の相手をした[99]

パリの売春宿では、売春婦の労働は更に過酷で、一日18時間労働で50人から60人を相手にしたとも言われる[99]

後のイギリス王エドワード8世は、皇太子時代にカレーにあるフランス軍の将校用の売春宿を訪れている。この時は見学だけに終わったが、その後、侍従らの計らいで熟練したフランス人の売春婦をあてがわれ、皇太子は童貞を喪失した[99]

植民地軍編集

フランス軍当局は、北アフリカ出身の兵士をヨーロッパ戦線に投入するにあたり、彼らに売春婦を伴わせる必要があると考えた。フランス政府が、有色人種の兵士とフランス女性が交わるのを嫌がったのも一因ではないかと言われる。フランスはアルジェリア北部の山脈地帯に住むOuled Naïl族の女性を10人のグループに分け、兵士たちの相手をさせた[注釈 7]。兵士が性病に感染すると、軍医が売春婦を特定し、治療した[100]

第一次大戦後、フランス軍はこの野戦用慰安所とも言うべきシステムを正式にBMC(Bordelles Militaires de Campagne)と命名し、このシステムは、フランスの植民地軍を中心に広まった[100]

第二次世界大戦編集

第二次大戦中も、BMCで女性が兵士たちの相手をした (BMCについての詳細は「フランス軍の慰安所」参照)。

インドシナ戦争編集

ベトナムにもBMCが配置され、ベトナム人女性の他Ouled Naïl族の女性も送り込まれていた。ある従軍看護婦は、一日に50人、60人の兵士を相手にしてヒステリックになっているBMCのベトナム人売春婦を目撃した[100]

フランス軍の慰安所編集

ロシア軍の慰安婦編集

第一次世界大戦編集

ロシアでは、ドイツ軍を模倣して慰安所(公式の売春宿)の導入が計画されたが、内戦などの事情で実現しなかった。(詳細は、「軍用売春宿#ロシア(軍)の慰安所導入計画」参照)

第二次世界大戦(ソ連)編集

ソ連軍は慰安所を持たず、ベルリン満州で大規模な強姦事件を起した[101][102]。秦郁彦は、伝聞と断った上で、日本の慰安婦問題についてソ連軍の元将軍が地元のテレビで「日本軍のように兵士の面倒見をよくしていたら、対独戦は一年早く終わっていたろう」とコメントした話を伝えている[103]

大古洞開拓団三江省通河県)ではソ連軍による慰安婦提供の要請を受けて、2名の志願慰安婦を提供した事例もある[104]。満州開拓団にソ連軍が進駐した際には兵士の妻でなく単身女性が慰安婦として提供された黒川開拓団や郡上村開拓団の例がある[105]

国連軍の慰安婦編集

 
国連軍を相手とする慰安婦の登録が1961年9月13日に実施されたことを報ずる東亜日報1961年9月14日付
 
韓国・アメリカ軍に捕えられた北朝鮮軍看護婦。捕えられた北朝鮮女性はレイプされたり強制的に慰安婦にさせられることもあった[4]
 
韓国坡州における慰安婦殺害事件(東亜日報1957年5月1日付)

国連とその前身である連合国の軍隊は、第二次大戦後の日本と朝鮮戦争時の韓国において、それぞれ日本政府と韓国政府から文字通り慰安婦の提供を受けていた[注釈 8]。いずれの場合も、国連軍の主体はアメリカ軍だった(「アメリカ軍の慰安婦」も参照)。1960年代の韓国の新聞には、「UN(国連)軍相對慰安婦」といった見出しが見られる(東亜日報1961年9月14日付)。

現在では、紛争地で関係者が性売買に関わることについて国連は厳しい姿勢で臨んでいるが、PKO隊員による未成年者の買春や、支援物資を引き換えにした買春・レイプなどのスキャンダルが度々問題になっている[106]

朝鮮戦争編集

アメリカ軍を主体とする国連軍は、韓国軍から慰安婦の提供を受けていた。韓国軍の慰安婦は、陸軍本部恤兵監室が計画し、最終的な承認は国連軍が行ったとされる[76]

朝鮮半島が日本統治期より連合軍軍政期に移ると、旧日本軍の基地周辺の公娼地区も引き継がれ、娼婦は「洋パン(ヤン・セクシ)」[10]「洋公主(ko:양공주、ヤンコンジュ、ヤンカルボ)」などと呼ばれた[10][11][80]

カンボジア(1992-1993)編集

国連のPKO隊員の頻繁な売春宿の利用の為に、現地の売春婦の数が、6000人から25000人に増加した。国連の関係者が「男子は常に男子(boys will be boys)」と発言し顰蹙を買った[106]

ボスニア・コソボ(2000年代)編集

ボスニア・ヘルツェゴビナ平和維持活動中のPKO隊員と警察が[注釈 9]、売春宿を運営し、東ヨーロッパから女性を輸入する手助けをしていると人権団体から批判された[106]

その他編集

アラブの「性の聖戦」編集

2013年、シリア内戦反政府軍を支えるために数百人のチュニジアの女性が「性のジハード(聖戦)」の名目でシリアへ向けて出国していると報じられた。チュニジアの内務大臣は、女性たちが、一人あたり数十人から100人の兵士を相手にすると述べている。アラブ社会で「性の聖戦(jihad al-nikah)」として知られるこの事象は、ジハードの参加者の一部からはイスラム法上正当なものと見なされている[107]

慰安婦を描いた作品編集

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 国家による管理売春公娼制度という[25][26]。公娼制は古代ギリシアローマ帝国にもすでに存在した[20]。日本の近世以前にも公娼制度は存在したが(例えば、吉原遊郭)、明治以降の近代型公娼制度はヨーロッパから輸入されたもの[27]
  2. ^ ここでは、酒を飲む という意味
  3. ^ セックスをする という意味
  4. ^ 入れ墨をする の意味
  5. ^ 奈良のRRセンターなど[59]。日本側が設置した物も多いが、米軍も日本側に「女性の提供」を要求している[60]:39
  6. ^ 満州のロシア人、東南アジアのオランダ人など。
  7. ^ 他のイスラム系の民族と違い、男性との接触等について厳格に禁じられていなかったOuled Naïlの女性は、〝慰安婦〟として採用される以前からフランスの植民地政府に売春婦と見なされていた[100]
  8. ^ 日本占領軍の慰安所利用については「特殊慰安施設協会」等、韓国における国連軍の慰安婦については「韓国軍慰安婦」を参照。
  9. ^ 国際連合ボスニア・ヘルツェゴヴィナ・ミッション

出典編集

  1. ^ a b “朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表”. 朝日新聞. (2002年2月24日). オリジナルの2002年2月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20020223225519/http://www.asahi.com/national/update/0223/028.html 2010年3月9日閲覧。 
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参考文献編集

政府資料

※以下参考文献、発行年代順.

関連項目編集

外部リンク編集

  ウィキニュースに関連記事があります。朝日新聞が慰安婦問題で誤報認める