懐公(かいこう、? - 紀元前636年)は、中国春秋時代の君主(在位:紀元前637年 - 紀元前636年)。

懐公 姫圉
公(爵位は侯)
王朝
在位期間 前637年 - 前636年
都城
姓・諱 姫圉
諡号 懐公
没年 紀元前636年
恵公
梁嬴
后妃 懐嬴

晋の恵公と梁嬴のあいだの子として生まれ、太子に立てられた。紀元前645年、恵公が韓原の戦い軍に敗れて捕らえられると、太子圉を人質とする条件で解放された[1]。太子圉は秦の穆公懐嬴を妻としてめあわされた[2]

紀元前638年、太子圉は秦から逃げ出して晋に帰国した[3]。翌年に恵公が死去すると、晋侯として即位した。懐公が勝手に逃げ出した事に怒った秦の穆公は、当時成王のもとにいた晋の公子重耳(のちの文公で懐公の伯父)を迎えて、晋に入れようとした[4]

懐公は盛名の高い重耳の帰還を大いに恐れ、重耳の側近の狐毛狐偃兄弟の召還命令を拒否した父の狐突を処刑したり[5]と、晋国内で重耳に味方しそうな大夫を弾圧する恐怖政治を行い、そのために大夫たちの支持を失った。紀元前636年1月、秦軍は重耳の帰国を送った。重耳が曲沃に入ると、懐公は高梁で殺害された[6]

脚注 編集

  1. ^ 春秋左氏伝』僖公15年
  2. ^ 『春秋左氏伝』僖公17年
  3. ^ 『春秋左氏伝』僖公22年
  4. ^ 『春秋左氏伝』僖公23年
  5. ^ 史記』晋世家
  6. ^ 『春秋左氏伝』僖公24年