成渾

李氏朝鮮の文臣、政治家、学者

成渾(ソン ホン、 성혼、せい こん、1535年6月25日1598年6月6日)は高麗李氏朝鮮の文臣、儒者。字は浩原、号は牛溪、默庵、諡号は文簡。 本貫は昌寧。

成渾
各種表記
ハングル 성혼
漢字 成渾
発音: ソン ホン
ローマ字 Seong Hon
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人物 編集

趙光祖の弟子である白仁傑に入門し、同門の李珥と道義の交わりを結び、また李退渓に私淑した。1568年、司憲府持平に進む。1575年以後の士林派の東西分裂では西人派に属した。1583年兵曹判書の李珥を輔弼すべく、兵曹参知を拝命し、敵対する東人派の許篈(許筠の実兄)らを糾弾した。吏曹参議を経て参判に昇進した。1589年鄭汝立の反乱(「己丑獄事」)が勃発すると、その師である成渾は、東人派から元凶として追及された。

1592年文禄・慶長の役において、光海君の召命に応じて挙兵したが、1594年には和議を主張したため、宣祖の逆鱗に触れ、退帰した。著書に「牛溪集」などがある。

参考文献 編集

  • 「アジア人物史 第7巻」集英社 2022年