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三河成瀬氏編集

南北朝時代関白二条良基三河足助氏の当主・足助重範の娘(滝野)の間に生まれた子(成瀬基久)がはじまりと伝わる[要出典]その子孫は松平親氏の代から松平氏に仕えたとされている[要出典]成瀬正成諸侯に列し、江戸時代を通して尾張藩御附家老を勤める。その一方で『華族類別録』では第42類の藤原朝臣藤原忠通裔)とされているが、足助氏の分流として清和源氏満政流を称することもある。

三河成瀬氏編集

徳川家康の時代には成瀬正頼の子の正義正一兄弟が武功をあげ、大いに活躍した。

三河成瀬氏歴代当主編集

  1. 成瀬基久(二条良基 庶子)
  2. 成瀬基直
  3. 成瀬政直
  4. 成瀬直庸
  5. 成瀬国平
  6. 成瀬国重
  7. 成瀬正頼
  8. 成瀬正義
  9. 成瀬正一

犬山成瀬氏(尾張藩)編集

正一の長男正成は家康の元で武功を上げ、栗原藩主に封ぜられ諸侯に列した。後に正成は犬山城を与えられ、尾張藩の御附家老となり、子孫は代々隼人正に叙せられるが、明治維新まで、犬山成瀬氏は陪臣の扱いを受け続けることになる。このために紀州や水戸の附家老と連携して大名への昇格を画策し、明治維新後、9代当主成瀬正肥は悲願の立藩を果たし、犬山藩藩知事となるが、すぐに廃藩置県が実施される。維新後は男爵、1891年4月23日には子爵陞爵しょうしゃくした。

11代当主に東京大学教授で国文学者の成瀬正勝。また成瀬氏は2004年まで国宝犬山城を代々私有していた。

犬山成瀬氏歴代当主編集

  1. 成瀬正成(初代藩主)
  2. 成瀬正虎
  3. 成瀬正親
  4. 成瀬正幸
  5. 成瀬正泰
  6. 成瀬正典
  7. 成瀬正壽
  8. 成瀬正住
  9. 成瀬正肥 - (最期の藩主)
  10. 成瀬正雄
  11. 成瀬正勝 - (国文学者
  12. 成瀬正俊
  13. 成瀬正浩


栗原成瀬家(栗原藩)編集

正成が犬山城へ転封となった後に、栗原藩は正成の次男、之成が相続する。之虎が夭折したために、無継断絶となった。

栗原成瀬氏歴代当主編集

  1. 成瀬正成(初代藩主)
  2. 成瀬之成
  3. 成瀬之虎(無継断絶)

成瀬掃部家(加賀藩)編集

正一の次男、吉正は、はじめ家康の小姓として仕えるが出奔。浅野幸長小早川秀秋前田利常に仕え、最終的に加賀藩家老となり1万1千石を領する。子孫は、人持組の成瀬掃部家。

成瀬吉右衛門家(旗本)編集

正一の家督は四男、正勝が相続する。

成瀬(伊東)家(飫肥藩・尾張藩)編集

正一の三男、正武の子孫。正武切腹後は妻於仙の実家に戻り、飫肥藩の一門三家の内、伊東主水家、伊東図書家の祖となる。正武の嫡系子孫は尾張藩士となる。明治維新の際に、青松葉事件連座して処刑された正順はこの家の人。

系譜編集

脚注編集

参考文献編集

関連人物編集

外部リンク編集