我が家は楽し』(わがやはたのし)は、1951年日本映画。本来のタイトル表記は『我が家は樂し』。

我が家は楽し
左から右へ
笠智衆、山田五十鈴、高峰秀子、
岡本克政、岸恵子、福井和子
監督 中村登
脚本 柳井隆雄
田中澄江
原作 田中澄江
製作 小出孝
出演者 笠智衆
山田五十鈴
高峰秀子
岸恵子
佐田啓二
音楽 黛敏郎
撮影 厚田雄春
編集 濱村義康
製作会社 松竹大船撮影所
配給 松竹
公開 日本の旗 1951年3月21日
上映時間 91分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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当時のスターを揃えた豪華キャストによる家族ドラマ。岸恵子のデビュー作、中村登監督の出世作である。

ストーリー 編集

植村孝作にはしっかり者の妻なみ子がついていて、4人の子どもを抱え、乏しいながらも家庭は明るい。朋子は好きな絵を学び、胸を病む恋人・内田三郎の全快の日を待っている。孝作は勤続25年を迎えて会社から表彰され、特別賞与として金一封をもらうことになる。なみ子はこれで、子供たちの不足の品も買え、次女の修学旅行の費用も出ると、人知れず安堵。ところが、表彰式の帰途、夫婦でわずかな買い物をした賞与3万円の残金をすっかりすられてしまった。しかしなみ子はこの災難を子どもたちに知らせず、またなけなしの衣類を売り払って不足を補う。

意気込んでいた朋子の絵が落選し、三郎が亡くなったとき、なみ子は絵が自分の昔の夢であったと打ち明け、くじける朋子を励ます。住みなれた家が家主のために隣家へ売渡され、立ち退きを迫られる。ところが、朋子の描いた隣家の庭の絵が、偶然隣家の主人の眼にとまり、買いとられる。これが縁となって立ち退きも取り消された。さらに、朋子が必死になって描いた母の肖像画はついに展覧会に入選した。家は、こうして、相変わらず、つつましやかで、心暖まる団欒に続けていくことができるのだった。

登場人物 編集

 
山田五十鈴と笠智衆

製作・エピソード 編集

スタッフ 編集

作品の評価 編集

評価は高い。川本三郎(川本三郎・筒井清忠『日本映画 隠れた名作 昭和30年代前後』中公選書 2014年)によれば、2カ所の「パクリ」があるという。1つ目はアグネス・ザッパーという女流作家の『愛の一家』(1941年春原政久(すのはら〜)監督、小杉勇主演で映画化)で、貧しいが仲のいい家族が家主に追い出されそうになる部分。2つ目はアメリカ映画ジョージ・スティーヴンス監督の『ママの思い出』(1948年)で娘に小説の才能があるか有名な女性作家のところに見せにいく場面(この映画では売り込みに成功する)である。

受賞歴 編集

タイアップ 編集

京都市内の松竹系映画館(西陣昭和館、新京極松竹座、七条大宮宝座)で、森永ミルクキャラメルの空き箱に住所氏名を記入して館内の投票箱に投函すると、抽選で一等現金3万円、二等は千代田銀行の1000円の定期預金が当たるキャンペーンが行われた。主人公は森永製菓の社員であり、作中で3万円をすられたが、森永がその3万円を出して松竹映画ファンにラッキープレゼント、という触れ込みであった[1][2]

DVDリリース・派生作品 編集

1993年2月19日に松竹ホームビデオよりVHSビデオが発売されたが、2011年8月25日現在、DVD化はされていない。 尚、WOWOWハイビジョン放映されている。

脚注 編集

  1. ^ 加藤幹郎『映画館と観客の文化史』中央公論新社、2006年7月25日、271頁。ISBN 978-4-12-101854-0 
  2. ^ 1951年3月20日付京都新聞

関連項目 編集

外部リンク 編集