戸川 安梯(とがわ やすちか、明和7年(1770年) - 文政7年11月6日1824年12月25日)は、江戸時代中期から後期の幕臣旗本)。官位は隠岐守通称は隼人、のち内蔵助。

先代・安昶の子として生まれ、天明6年(1786年)父の死により家督を相続した。

天明7年(1788年)天明の大飢饉の影響のため、小前百姓層(役目を持たない有力百姓)に対し2月に銀1500目を貸出。さらに普請銀の枠で1貫目を貸出(このため、普請に対して1貫目分無償労働となる)した。

同年8月、時を知らせる(時太鼓)制度を始めた。

寛政7年(1795年義倉を設け、自身も150を供出した。

享和年間に豪農片山新左衛門を士分(武士に準じる立場)に取立て用人格とし、財政再建に尽力させた。

江戸では、小納戸役小姓・御使番などを務めた。

文政6年(1823年)7月に隠居し、跡目は子の安民が継いだ。

1824年11月6日没。

系譜 編集

先代
戸川安昶
早島戸川家当主
9代:1786年 - 1823年
次代
戸川安民