扈 輒(こ ちょう、生年不明 - 紀元前234年)は、中国戦国時代将軍[1]

紀元前234年幽繆王2年)、の将軍の桓齮が趙の平陽[2]武城[3]を攻撃した(平陽の戦い)。扈輒は敗死し、10万人が斬首された[2]。なお、『史記』廉頗藺相如列伝では、扈輒が敗れて戦死したのは武遂と記されている[4]

脚注編集

  1. ^ 史記正義』秦始皇本紀
  2. ^ a b 史記』秦始皇本紀および六国年表
  3. ^ 『史記』趙世家
  4. ^ 『史記』廉頗藺相如列伝