田仲 敦子(たなか あつこ、1984年10月21日 - )は、熊本市出身の元女子競輪選手日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生。現役時代は日本競輪選手会熊本支部所属、ホームバンクは熊本競輪場。旧姓、手柴(てしば)。

田仲 敦子
Atsuko Tanaka
個人情報
本名 田仲 敦子
たなか あつこ
生年月日 (1984-10-21) 1984年10月21日(39歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 158.0cm
体重 52.0kg
チーム情報
所属 日本競輪学校
期別 104期
分野 トラックレース
役割 元選手
プロ所属チーム
2013年 - 2024年
日本競輪選手熊本支部
グランツール最高成績
最終更新日
2024年1月21日

来歴 編集

中学2年のときにショートトラックスピードスケートをはじめ、熊本市立千原台高等学校時代に国民体育大会に出場。その後、熊本県立保育大学校に進んだが、保健体育の教員を目指すべく、名桜大学に編入学。同校の自転車競技部に入部し、大学4年のとき、全日本大学対抗選手権自転車競技大会(インカレ)のポイントレースで3位に入った。

大学卒業後、臨時採用ではあるが、沖縄県立北中城高等学校保健体育教諭として教鞭を執ることになった。そして同校の自転車競技部の顧問に就任。その後、女子競輪が復活するという話を聞いて興味を持つ事となり、競輪学校第102回試験を受験するも不合格。この結果を受けて教諭職を辞して西島聡一(56期)に師事し、同校104回試験に挑んだ。2011年12月16日、競輪学校第104回(女子第2回、技能)試験に合格[1]

競輪学校入学後はヘルニアの罹患や内視鏡手術を受けた[2]こともあり、満足な在校競走成績は挙げられず、18人中16位(1勝)の成績で卒業[3]

2013年5月11日手柴 敦子として松戸競輪場でデビューし7着。初勝利は同年9月9日豊橋競輪場で挙げた。そして同年12月8日いわき平競輪場で初優勝を果たした[4]

2015年末に結婚。2016年4月25日、現姓に合わせた田仲 敦子(たなか あつこ)に登録名を変更[5]

2022年7月13日高松FII(モーニング)最終日第7レース(決勝)で落車。担架で病院に搬送されたが、骨折はなかったものの頭の中が軽く出血していたため、以降のレースは欠場し療養することとなった[6][7]。ただ、一時的に日常生活にも影響を及ぼすほどの障害が残ってしまい(その後は回復)、その後遺症によりレース復帰が叶わず、代謝制度の対象となったこともあり、そのまま現役引退。

2024年1月19日、選手登録消除。通算戦績は672戦21勝、優勝1回。引退後は選手会熊本支部の手伝いをしている[8]

参考文献 編集

  • <女子競輪>28歳手柴さん 高校教師から転身(毎日新聞2013年7月19日付)[9]

脚注 編集

  1. ^ 日本競輪学校第103回(男子)及び第104回(女子)生徒一般入学試験合格者の発表について - JKA 2011年12月16日付
  2. ^ ガールズ2期生 九州勢2人に迫る - 西日本新聞 2013年5月1日付
  3. ^ 競走成績戦法別一覧表 (PDF)
  4. ^ 【競輪】競輪界のあっちゃんが初優勝 - デイリースポーツオンライン 2013年12月9日付
  5. ^ 広報KEIRIN、第98号 - 2ページ目参照
  6. ^ 7月13日(3日目) 第7R ガールズ決勝 天気:晴 風速:1.5m”. 日刊プロスポーツ新聞社 (2022年7月13日). 2024年1月21日閲覧。
  7. ^ 田仲敦子 新しい熊本競輪場で躍動することを目標に”. けいりんマルシェ(JKA) (2022年8月4日). 2024年1月21日閲覧。
  8. ^ 【田仲敦子】落車負傷から復帰できず引退「再開する熊本競輪で走る夢は叶わなかった…」多発する落車、ルールの整備を”. netkeirin (2024年2月25日). 2024年2月26日閲覧。※アプリ限定記事のため、全文はnetkeirinアプリで閲覧のこと。
  9. ^ [1]

外部リンク 編集