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手稲山口

北海道札幌市手稲区の地名

地理編集

札幌市西北部、手稲区北部にあり小樽市銭函地区)に隣接する。小樽市との地区北東の境界は新川、北西の境界は清川である。南は星置、南東は及び明日風と接する。

地区南部の一部を除く地区の大半が市街化調整区域であり[3]、畑地として利用されている他、ごみ処理場(山口処理場)等が立地している。

河川編集

新川星置川、清川、濁川、山口運河(手稲山口川)

歴史編集

その名の通り山口県出身者によって開拓された一帯である。1881年明治14年)に最初の入植者が移住し、その開拓地を故郷の地名にちなんで山口村と名づけた。1882年(明治15年)12月21日に正式に山口村となった。山口村の範囲は、現在の手稲山口の他、の北部、明日風星置を含む範囲にあたる。

山口地区は元来砂地であり、開拓には相当な苦労があった。しかも不運なことに同時期にバッタが大量発生し、数少ない作物を食い荒らされた。それでも開拓を進めた結果、いくつかの作物が取れるようになり、さらに明治末期にはが取れるようになった。 1916年以降はスイカの栽培を試みたところ成功を収め、これはのちに「山口スイカ」という呼称で知られるようになる。2006年現在では社会情勢の変化により水田は見られなくなったが、それでも山口地区は農業地帯であり山口スイカ改め「サッポロスイカ」は、昭和50年代から栽培されたカボチャ「大浜みやこ」とともに特産品として知られている[4]

年表編集

  • 1881年(明治14年):山口県人宮崎源次右エ門らが入植[5][6]
  • 1882年(明治15年):山口村開村。上手稲、下手稲、山口三村戸長役場を置く。バッタの大量発生により農作物に大きな被害が出る[5]
  • 1885年(明治18年):山口村戸長役場派出所を設置[5]
  • 1888年(明治21年):山口村戸長役場派出所を廃止[5]
  • 1892年(明治25年):山口村立山口尋常小学校(現:札幌市立手稲北小学校)が開校[5]
  • 1897年(明治30年):山口運河(花畔の石狩川(現:茨戸川)から銭函に至る「花畔・銭函間運河」の一部)が完成[5][7]
  • 1902年(明治35年):北海道二級町村制施行に伴い、山口村、上手稲村、下手稲村が合併し手稲村となる[5]。山口村は大字として残る。
  • 1942年(昭和17年):大字山口村が廃止され、字山口・星置の2つに再編される。
  • 1951年(昭和26年):手稲村が町制施行し手稲町となる[5]
  • 1967年(昭和42年):手稲町が札幌市に編入合併。町名が手稲山口となる。
  • 1972年(昭和47年):札幌市が政令指定都市となり、西区の一部となる。
  • 1975年(昭和50年):山口本通が国道337号に指定される[5]
  • 1983年(昭和58年):北海道札幌稲西高等学校と北海道札幌稲北高等学校(現:北海道札幌あすかぜ高等学校)が開校[5]
  • 1989年(平成元年):西区から手稲区が分区[5]
  • 2006年(平成18年):南西部の一部がに編入される[8]
  • 2007年(平成19年):南西部の一部が新規町名整備に伴い明日風2、3、6丁目となる[8]
  • 2012年(平成24年)12月17日:南部の一部が新規町名整備に伴い星置3条1丁目となる[8]

交通編集

路線バス編集

道路編集

  • 国道337号(山口村時代から村の中心となってきた道路であり「山口本通」と呼ばれていた)
  • 下手稲通

施設編集

史跡編集

脚注編集

  1. ^ 札幌市 (2017年3月15日). “人口統計” (日本語). 札幌市. 2017年3月20日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年3月30日閲覧。
  3. ^ 都市計画情報提供サービス 札幌市
  4. ^ 手稲でみつけた手稲のはなし 3.市場をにぎわすサッポロスイカ・大浜みやこ 札幌市手稲区役所
  5. ^ a b c d e f g h i j k 年表で見る手稲区”. 札幌市. 2016年1月23日閲覧。
  6. ^ 手稲のまちの案内板 山口”. 札幌市. 2016年1月23日閲覧。
  7. ^ コメットひろば 山口運河”. 札幌市星置まちづくりセンター. 2009年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月23日閲覧。
  8. ^ a b c 新規町名整備・住居表示地区一覧 札幌市

関連項目編集

外部リンク編集