手紙

特定の相手に対して情報を伝達するための文書

手紙(てがみ、: letter)とは、用事などを書いて、人に送る文書[1]信書(しんしょ)、書簡・書翰(しょかん)、書状(しょじょう)などとも呼ばれる。古くは消息(しょうそく、しょうそこ)、尺牘(せきとく)とも呼ばれた。

手紙、手紙を届ける配達人、受け取る人を描いたフィンランド 切手
恋文を読む女性(油彩、ドイツ、1849年
手紙の一例。フランスのある無名の兵士が、恋人に宛てて書いた手紙(1916年
手紙をうまく書けない人のために代わりに書く代書屋インド、2007年)。インドでは今も識字率が低く、「人口のおよそ半数が文字の読み書きができない」という。

狭義には封書(封筒で包んで届けるもの)のみを指して用いる[注釈 1][注釈 2]が、広義には封書に加えて、はがき(封筒に入れずに送る書状)も含む。

概要 編集

用事などを記してひとに届ける文書が手紙である。

届ける方法はさまざまであり、郵便で送ってもよいし、人づてでも、つまり誰かに託して渡してもらってもよいし、さらに言うなら(いくらか特殊ではあるが[注釈 3])直接手渡ししてもよい。

狭義には封書つまり封筒に入れた文書だけを指し、それが代表格であるが、広義には葉書類も含める。また1990年代なかば〜2000年代前半以降は電子メールで要件を書いて送ることも一般化したのでこれも手紙の一種だと感じている人もいるが、その一方で「手紙(letter)」という用語はあくまでをつかったものだけを指す用語として使いたい、と感じている人々もいる[2]

特定の相手に届けるのが手紙である。不特定多数に見せたり渡したりするためのものはチラシと呼ぶことで区別され、別物である。

各言語での呼びかた 編集

英語圏
英語では「letter」が封書つまり封筒に入れられて届けられる文書つまり手紙を意味する。手書きであろうが、タイプライターで打たれようが、プリントであろうがかまわない。また郵便で届けられようが、メッセンジャーによって届けられようがかまわない[3]
「mail」のほうは、郵便制度を使って送られるものを指し、手紙に加えて小包も含めて指す。ただし、電子メールの普及により、文脈から誤解を生じないときは"mail"が電子メールを意味することがあり、従来の郵便はややユーモラスに"snailmail"と表現されることがある[4]
中国
中国語で手紙のことは「」という。現代の中国語で「手紙」はトイレットペーパーティッシュペーパーの意味である。

歴史 編集

手紙はメソポタミア文明古代エジプトから存在した[5]。つまり紀元前数千年の時代から手紙のやりとりは行われていた。メソポタミアでは粘土版楔形文字で手紙が書かれていた。ここ数十年、粘土版の発掘が進み、数十万点の粘土版が出土しており、私的な手紙も大量に発見された。

古代エジプトの手紙は、パピルスに、の茎(や鳥の羽根)で作ったペンで書かれた。

手紙というのは、小さな都市国家の中ではあまり用いられず、大きな帝国内で頻繁に用いられるようになる傾向があった[5]。古代ギリシアは文明度は高かったが、小さな都市で自足してしまっていたので手紙のやりとりは少なく、それに対して古代ローマ帝国では植民地と植民地の間の連絡が複雑で、行政制度と軍事制度のかなめとして郵便配達制度(クルスス・プブリクス)が発達し、手紙が頻繁にやりとりされるようになった[5]。古代ローマのクルスス・プブリクスはとても優れていて、272km/日 の速度で郵便を急送することができ、19世紀になるまでこれをしのぐ郵便配達制度はヨーロッパでは現れなかった[5]

古代ローマの手紙が、文章の文体を育む役割を果たした[5]。たとえば、ローマ皇帝勅命など、ローマ公用手紙の文体は、個々の事例を挙げ、一般原則を引き出し、断を下すという文体であった。その文体は、使徒パウロの書簡でも用いられ、その文体が、ローマ教皇の司教通達などにも受け継がれていくことになった[5]。またキケロセネカ小プリニウスなどの書簡の文体や、オウィディウスホラティウスなどの書簡詩の文体は、その後のヨーロッパの文人たちの手本になっていった[5]。古代ローマ人たちは、パピルスのほかに、羊皮紙に書く方法も、また木板にを塗ってそれに「stylus スティルス」という鉄筆で手紙を書く方法も使った。この鉄筆が、のちの「style スタイル」(文体)という語の起源となった[5]

ちなみに、文人の書簡はしばしば内容がきわめて文学的なものがありそれ自体がすでに文学作品と見なされることもある。また書簡の形式で、つまり誰かに宛てて語りかけるような形式で意図的に自らの思想などを後世に書き遺す、ということが行われることもある。これらのものを書簡文学と言う[6]

ヨーロッパの中世では、ギルドが発達したことで商用郵便が急増し各ギルドがメッセンジャー制度をつくった[5]

著名な人物の書簡は後世に残りやすいが、普通の人々の書簡は後世には残りにくい[5]。その点で貴重なのは「en:Paston Letters パストン家書簡」と呼ばれている書簡群(1422年〜1509年)である。これは中世後期のイギリス中産階級の普通の一族が家族間でやりとりした手紙群であり、ありきたりの俗事が内容になっていて、当時の普通の人々の日常を詳しく知ることができる[5]。ヨーロッパ中世では、概して商用の書簡が多く、文学的書簡の数は少なかったが、とは言っても当時もやはり人々は感情豊かであり、12世紀のアベラールとエロイーズという悲恋のカップルが、仲を裂かれたあとでも僧院と尼僧院の間でやりとりしたラテン語の書簡集はつとに有名である[5](詳細はアルジャントゥイユのエロイーズの記事を参照)。

上述のアベラールとエロイーズは実在の人々であり本物の書簡のやりとりであるが、ちなみにヨーロッパでは18世紀ころから書簡体小説という、登場人物たちが手紙のやりとりをすることで物語が展開してゆくという方式の文学が流行した。

中国 編集

中国ではの時代、1ほどの方形の木札に手紙を書いた[注釈 4]。この方形の木札を「牘」というため、手紙のことを「尺牘」と呼んだ[7]

平安時代の日本では「尺牘」とは、漢文の書状を指した。女手によるものは「消息」といわれた。

尺牘の名筆として、王羲之の『喪乱帖』や空海の『風信帖』などが挙げられる。

日本と手紙 編集

日本の手紙の歴史 編集

日本では古くは木簡を文字による通信伝達の手段として用いた。薄い細長い木の板に、墨をつけた筆で文字を記したものを離れたところに届けさせたものである。紙の製法はおそらく6 - 7世紀ごろ(曇徴以前)、紙自体はそれ以前より早く日本に入ってきていたが、木簡は依然として使われ続けた。

平安時代になると、紙漉きが各地で行われるようになり、都の平安貴族の間では木の板に代わって和紙に文字を書いて送ることが盛んに行われるようになった。こうして木簡から書簡へと通信伝達手段が移り変わっていくのであるが、屋外で用いる荷札や高札には耐久性などの理由もあって江戸時代になっても木の板が文字のキャンバスとして依然として用いられた。

 
くさかべきんべいによる写真。演出で女性にポーズをとらせている。

江戸時代には経済取引の活性化と広範化や飛脚の普及により書簡のやりとりも多くなり、当事者の在所の遠近、初対面や既知などの間柄、内容などにより多様な書式書札礼が存在し、それらの手本となる文例集も出現した。飛脚は近代以降の郵便制度と比較して費用も高額であったため、一般に書簡内容は案件をまとめて記されることが多い。

簡素な内容の場合は切紙などを用い封書を行わないウハ書や奥ウハ書の形態で送付され、長大な内容の書簡は継紙が用いられ、機密性の高いものは封書により送付される。書簡は飛脚などの配達運送業者を用いて送付されるが、経済的や儀礼上の理由で私的な使用人を用いて伝達されることもあった。

 
巻紙で手紙を書く(昭和)

明治期には欧米に倣った郵便制度が導入され、はがきの普及などにより手紙がさらにさかんに使われるようになった。同時に電報も普及した。電話も普及したので、電話で済ませてしまうことも増えた。

昭和時代はさかんに手紙のやりとりがされた。親と子の間で、兄弟の間で、学生と恩師の間で、先輩と後輩の間で、男性と女性の間でなどと、人々はさかんに手紙のやりとりをしていた。

日本ではそれまで電電公社の指定の電話機しか使用できなかったが、1985年になってはじめて、電話機を始めとする端末設備の接続が自由化され(端末の自由化)、まずは中小企業や商店などで急速にファクス(ファクシミリ)が普及し始め、その後1990年代あたりに一般家庭にFAXと電話機が一体化したものが普及した。 これにより、郵便を使わず、紙に手紙を書いてそれをファクシミリ装置に差し込んで電話番号を指定して電送するということが行われるようになった。

携帯電話1980年代まで大きな弁当箱のようなサイズで全然普及していなかったが、1990年代半ばごろから小型化が進み、一般に普及するようになり、電話で済ませられることは済ませてしまうようになった。1995年ころにマイクロソフトからWindows 95が発表されてパソコンでインターネットに簡単に接続できる環境が得られるようになると、ようやく一般の人々の間で徐々に電子メールが普及するようになり、それにより紙の手紙が使われる頻度が少しづつ減ってゆくことになった。商社などそれまでテレックスやFAXでやりとりしていた企業間でも、電子メールで済ませるようになっていった。1990年代後半から2000年代前半にかけて、一般企業や中小企業でも、手紙を避けて電子メールのやりとりで済ませる傾向が生じた。

特に2010年代に世界各地でスマートフォンを個人が所有することが普及するにつれ、家族・友人間のほとんどの要件はSNSなどのメッセージで済ませてしまう、ということまで行われるようになり、手紙の削減にますます拍車がかかっている。とはいえ、(多くの国で)役所からの文書類は今でも旧態然と紙の文書が送られてきており、デジタル化が遅れがちであるし、契約関連の文書は今も封筒に入れてやりとりされることは多い。特に重要な手紙・文書などは内容証明郵便などの送達手段が用いられる。

手紙の構成 編集

戦国時代の構成 編集

  • 袖(手紙冒頭)
  • 本文
    • 行間(追伸のようなもので本文と本文の間に書かれているため見た目は本文・行間・本文・行間…と書かれている)
  • 花押

読む順番は「本文→袖→行間」となる。

郵便料金の移り変わり 編集

施行日[注釈 5] 料金 備考
1871年4月20日
<明治4年3月1日>
100文(5匁まで。以降、5匁ごとに48文加算)
1872年1月14日
<明治4年12月5日>
25里以内
100文
50里以内
200文
100里以内
300文
200里以内
400文
200里超え
500文
4匁までの料金
1873年 (明治06年) 04月01日 基本料金 市内 1銭 市外 2銭 2匁ごとの料金
1883年 (明治16年) 01月01日 02銭(2匁ごと) 「郵便条例」制定[8]
1899年 (明治32年) 04月01日 03銭(4匁ごと)  
1931年 (昭和06年) 08月01日 03銭(15gごと)
1937年 (昭和12年) 04月01日 04銭(20gごと)
1942年 (昭和17年) 04月01日 05銭(20gごと)
1944年 (昭和19年) 04月01日 07銭(20gごと)
1945年 (昭和20年) 04月01日 10銭(20gごと)
1946年 (昭和21年) 07月25日 30銭(20gごと)
1947年 (昭和22年) 04月01日 01円20銭(20gごと)
1948年 (昭和23年) 07月10日 05円(20gごと)
1949年 (昭和24年) 05月01日 08円(20gごと)
1951年 (昭和26年) 11月01日 10円(20gごと)
施行日 定型 定型外 備考
25g以内 50g以内 50g以内 75g以内 100g以内
1966年 (昭和41年) 07月01日 15円 20円 025円 035円 郵便法改正
1972年 (昭和47年) 02月01日 20円 25円 040円 055円  
1976年 (昭和51年) 01月25日 50円 60円 100円 140円
1981年 (昭和56年) 01月20日 60円 70円 120円 170円
1989年 (平成元年)
04月01日
62円 72円 175円 消費税導入(税率3%)
1994年 (平成06年) 01月24日 80円 90円 130円 190円  
1997年 (平成09年) 12月01日 120円 140円 160円
2003年 (平成15年) 10月01日 140円
2014年 (平成26年) 04月01日 82円 92円 消費税増税(税率8%)
2019年 (令和元年)
10月01日
84円 94円 消費税増税(税率10%)[9]

郵便法における信書 編集

日本において、郵便法における信書は、第4条2項で『特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、又は事実を通知する文書』[10]と定められている。また、総務省[いつ?]「信書のガイドライン」を定め、区分を行なうための基準を示している[11]

信書の送達 編集

日本では信書の送達は、郵便法により日本郵便株式会社が、あまねく全国に郵送する「ユニバーサルサービス」として指定されている。また、日本郵便会社のほか、民間事業者による信書の送達に関する法律により、一般信書便事業への参入が免許された民間事業者も、信書便を送達できる(なお、2018年現在、新規参入した一般信書便事業者は存在しない)。

よって、それ以外の総務大臣の免許を受けていない宅配便メール便業者が、信書を配達することはできない。一般の宅配便、ゆうパックメール便ゆうメールは、貨物自動車運送事業法の「宅配便貨物」となり、郵便事業・信書便事業には該当しない

また、日本郵便のサービスであっても、「第一種郵便物」および「第二種郵便物」扱いではない方法(「第三種郵便物」および「第四種郵便物」に信書を同封しての送付、「エクスパック500」[注釈 6]や「ゆうパック」「ゆうメール」等の荷物扱いによる送付)にて信書を送達することはできない。なお、「第三種郵便物」、「第四種郵便物」、「ゆうパック」、「ゆうメール」等の日本郵便が扱う荷物と共に信書を送りたい時は「同時配達」(詳細は「内国郵便約款」第81条『同時配達の扱い』を参照)の制度を利用する事もできる。

ただし以上の例外として、「貨物の送付と密接に関連し、その貨物を送付するために従として添付される無封の添え状・送り状」は、荷物(貨物)に添付して送ることができる。例として次のような文書であって封をしておらず、荷物に従として添えられる簡単な通信文は添付することができる[12]

「添え状」
貨物の送付、授受やその代金につき、その処理や送付の目的、送付に関して添えられる挨拶、その他貨物に密接に関連し従として添えられる簡単な通信文
「送り状」
一般の宅配便の宛名ラベルのような、種類、重量、容積、荷造りの種類、個数、記号、代価、受取人並びに差出人の住所及び氏名など、運送に関する各種情報が記載されたもの

以上の事項に違反する行為は、郵便法で禁止されている。違反した場合には、郵便法第4条4項により、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金(同法第76条)に処される。

参考

信書の秘密 編集

大日本帝国憲法26条では法律に定められた場合を除いて信書の秘密が保障されていたが、日露戦争の後、内務省逓信省に通牒して極秘の内に検閲を始めた[13]

更に1941年10月4日には、緊急勅令として臨時郵便取締令(昭和16年勅令第891号)が制定されて法令上の根拠に基づくものとなった。また連合国軍占領下の日本では、GHQが郵送された信書の検閲を秘密裏に且つ大規模に行った。

手紙のバリエーション 編集

  • 絵手紙 - はがきなどに季節の事物などの絵を描き、メッセージを添えたもの。日本では明治時代にブームがあった[14]
  • 字手紙 - などの文字で絵画のような表現をしたもの[14]

備考 編集

出典・参考文献 編集

  • 二玄社編集部編 『書道辞典 増補版』(二玄社、初版2010年)ISBN 978-4-544-12008-0
  • 昔の手紙の書き方

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 英語のletterも同じ。封筒に入れて届けるもの。封筒に入れないものは「card カード(日本語で葉書)」と呼び分ける。
  2. ^ 日本における郵便ポストの2つの差し入れ口は、左「手紙・はがき」 /右「その他の郵便」などと表記されているものが大半である。この場合、「手紙」は「はがき」以外の封書を意味して用いられている。
  3. ^ 直接会える場合は、口頭で伝えてしまうことが一般的である。直接会えるのに、便利な会話で伝えず、わざわざ手間をかけて文字にして渡すのは、一般論として言えば、特殊な事情がある場合である。
  4. ^ 20世紀初頭、オーレル・スタインによる中央アジア探検によってその実物が発掘されている(二玄社編(書道辞典) p.150)。
  5. ^ 1872年以前は旧暦(天保暦)併記。
  6. ^ エクスパックと異なり、レターパック(500/350/プラス/ライト)は第一種郵便物扱いであり信書送達できる。

出典 編集

  1. ^ 『大辞泉』、手紙
  2. ^ [1]
  3. ^ [2]
  4. ^ 『ルミナス和英辞典第2版』研究社、2005年、146頁。 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本大百科全書』(ニッポニカ)、手紙。
  6. ^ 書簡文学
  7. ^ 二玄社編(書道辞典) p.150
  8. ^ NDLJP:787962/57
  9. ^ 2019年10月1日(火)から郵便料金などが変わりました。
  10. ^ 郵便法第4条、2020年1月20日閲覧
  11. ^ 信書のガイドライン、2017年10月19日閲覧
  12. ^ 郵便法第4条第3項、「信書に該当する文書に関する指針」
  13. ^ 郵政省『続逓信事業史』1961年、ほか。
  14. ^ a b 特別展「ニッポンノテガミ」の開催”. 日本郵政株式会社 郵政資料館. 2020年8月18日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集