打馬(だば)は、中国のころに流行した、サイコロを3個とすごろく風の競技盤を使うダイスゲームであり、賭博として行われた。宋以降も江南地方では長く遊ばれたらしい。李清照が説明を残したために現在もおおまかなルールが知られている。

夷門広牘本による打馬の盤。中央左の赤岸駅からはじめて時計回りに動かす

歴史 編集

打馬の起源はよくわからない。李清照の賦には「打馬が興って樗蒲が廃れた」とあり、『直斎書録解題』でも樗蒲に近いゲームと認識している。

李清照によると、当時の打馬には、将がいて馬が10頭の「関西馬」、将がおらず馬が20頭の「依経馬」、両者を折衷して新しく作られた「宣和馬」の3種類があった。また『直斎書録解題』によると、南宋の鄭寅に『打馬図式』という書物があり、50頭の馬を使うルールを記述していた。このうち、李清照が説明しているのは馬が20頭のルールであり、それ以外のルールは現存しない。

代には江南でのみ行われていた。17世紀はじめの『五雑組』には、合肥の人がルールを知らなかったので、教えたところ大いに喜んだと記されている[1]初でもまだ南方では行われていたが、北方には伝わらなかった[2]。『聊斎志異』にも打馬が登場する[3]

ルール 編集

李清照「打馬図」(1134年序)によってルールを述べる。打馬は基本的にはすごろくだが、かなり複雑なルールが加えられている。また「打馬図」は版本による違いがかなり大きいため、正確なルールを知るのは難しい。

道具 編集

打馬の競技者数は2人から5人で、通常の立方体のサイコロを3個使う。目の組み合わせは56通りあり、それぞれに特別な名称がついているが、省略する。56通りのうち、11通りが賞采(賞色)、2通りが罰采(罰色)、それ以外の43通りは散采と呼ぶ。

  • 賞采:111 222 333 444 555 666 566 456 236 145 136
  • 罰采:112 123

賞采・罰采以外の最初の一投を「本采」といい、自分の本采と同じ目のことを「真本采」という。本采と異なるが、目の合計数が同じものを「傍本采」という。ひとつ前の人と同じ目を出すのを「真撞」といい、前の人と同じ数の目(同じ目ではない)が出ると、それを「傍撞」という。

駒は「馬」と呼ばれ、実際に馬の絵と名前が書いてあった。ひとり20枚で、象牙・犀角・あるいは銅で銅銭の形に作った。銅銭そのものを使うこともあった。

盤は特徴的な形をしており、マスがシャンチーの盤のまわりに描かれている(ただし夷門広牘本ではシャンチー盤は描かれていない。シャンチー盤そのものはこのゲームでは意味を持たない)。始点(赤岸駅)と終点(尚乗局)はいずれもシャンチー盤の中央の河の部分に置かれている。

盤は91のマス目からなり、各マスには名前がついているが、省略する。9つおきに「窩」と呼ばれるマスがある(全部で11個)。

動かし方 編集

競技者は交互にサイコロを振る。

最初に馬は手で持っていて、それをサイコロの目に従ってボード上に置く(これを「下馬」という)必要がある。たとえば3の目が出たら3マス目に馬を置く。全部の馬をボードに置き終わるまで、置いた駒を先に進めることはできない。一度にボードに置ける馬の数は通常は1頭であるが、真本采は3頭、傍本采は2頭置ける。他の競技者が自分の真本采を出した場合(散采のみ[4])、その競技者のかわりに自分が3頭置ける(傍本采は2頭)。真撞・傍撞を出した場合も、その競技者のひとつ前の人が馬を置ける(真撞は3頭、傍撞は2頭)。3回連続で撞を起こしたら罰が倍になる(これは後の行馬のときも同様)。

賞采では、4のゾロ目が8頭、6のゾロ目は6頭、5のゾロ目は5頭、それ以外のゾロ目は4頭、ゾロ目以外は2頭置ける。賞采と傍本采は複合できる。罰采が出たらひとつ次の人が2頭置ける。

全部の馬をボード上に置いたら、サイコロの目によってボード上で馬を動かす(「行馬」という)ことができるようになる。

馬を動かした先に味方の馬がいる場合、馬を重ねる。重ねた馬はまとめて動かすことができる[5]

通常は出た目の数だけ動かすが、罰采が出たら次の番の人がその目だけ動かす。真撞・傍撞は前の番の人がその目だけ動かす。他人の本采を出したら、その本采の所属する競技者がその目だけ動かす。

馬を動かした先に敵の馬がいる場合、味方の枚数が敵以上であれば、「打馬」といって敵の馬は盤上から除かれ、その馬は最初からやりなおしになる。敵の馬の方が多い場合はそのマスに行けない。

窩に1頭でも敵の馬がはいっていると、他の馬はそこにはいったり飛びこしたりすることができない。

函谷関(6番目の窩、46マス目)を最初に越えるには馬を10枚以上重ねなければならない。一度函谷関を越えたら、残りの馬にはこの枚数制約はない。函谷関から先では、敵の馬の数が味方より多いマス目を越えることができない[6]

あがる前に、飛龍院(10番目の窩、82マス目)に20枚すべての馬を揃える必要がある。飛龍院から出るには、

  • 真本采またはゾロ目(3枚全部が同じ目)を出す
  • 別な人が自分の真本采・傍本采を出す
  • ひとつ前の人が罰采を出す

のいずれかの条件を満たす必要がある。

飛龍院の3つ先からの5マス(85マス目から89マス目)は「夾」と呼ばれ、夾采(3つのサイコロのうち少なくとも2つの目が同じ)が出ないと動かせない。夾采が出た場合、同じ目の2つのサイコロ以外のもう一つの目のぶんだけ進む。たとえば115なら5マス進む。

終点のひとつ前のマス(90マス目)を「塹」という。塹に落ちた場合、以下のいずれかの条件がないと出られない。

  • 真本采・傍本采・ゾロ目のいずれかを出す
  • 別の人が自分の真本采または傍本采を出す
  • ひとつ前の人が罰采を出す
  • 次の人が真撞または傍撞を出す

一度に塹から出られる馬の数は、ゲームの最初に下馬した枚数と同じである。

塹では打馬の規則がきかない。敵がすでにいても塹に落ち、味方と敵がひとつの塹に混在する。

賞采・真本采・傍本采が出たとき、打馬したとき、馬が重なったとき、塹から出られたときはもう一度ダイスを振ることができる。別な人が自分の本采を出したときや、前の人が罰采を出したときも、もう一度振ることができる。

ほかに馬を逆に走らせることができるルールなどがあるが、省略する。

得点 編集

得点の単位を「帖」という。実際の賭博では1帖がいくらになるかを決めておく。通常は賞罰は盆(プール)を介して行われる。競技前に各競技者は盆を満たしておく。

窩にはいると1帖を得る[7]。真本采は3帖、傍本采は2帖を盆から得る。他人が自分の真本采を出したら3帖(傍本采は2帖)を直接受けとる。真撞は3帖、傍撞は2帖を盆に払う。賞采は444が8帖、666が6帖、555が5帖、333・222・111が4帖、それ以外が2帖、いずれも盆から受けとる。罰采は2帖を盆に払う。

打馬は打たれた人が打った人に直接1馬あたり1帖を払う。20頭の馬全部を打ったら盆の半分を得る。

函谷関を最初に越えた人は盆の半分を得る(その後、盆は競技者がまた満たす)。

最初にあがった人は盆全部を得る。20枚いっぺんにあがった場合、盆の2倍を得る。

塹から1頭出られるごとに1帖を得る。すべての馬を塹から出せると盆全部を得る。

脚注 編集

  1. ^ 『五雑組』巻6「此戯較諸芸為雅、有賦文亦甚佳、但聚而費銭稍多耳。江北人無知之者。余在東郡、一司農、合肥人也、懇余。為授之、甚喜。」
  2. ^ 周亮工因樹屋書影』 巻4https://archive.org/stream/02095886.cn#page/n54/mode/2up。"徐君義謂打馬之戯今不伝。予友虎林陸驤武、近刻易安之譜於閩、以犀象蜜蝋為馬、盛行其中。近淮上人頗好此戯。但未伝之北地耳。"。 
  3. ^ 『聊斎志異』巻7・梅女
  4. ^ 夷門広牘本による
  5. ^ 「打馬経」に明文がないが、そうでないと後の打馬が理解できなくなる
  6. ^ 夷門広牘本では「函谷関より手前では」に改めている
  7. ^ 夷門広牘本によると、始点・終点・飛龍院は除く

外部リンク 編集

打馬図は版本によって説明が相当異なる。ほかに沈津『欣賞編』にも「打馬図」を収める。