折口 雅博(おりぐち まさひろ、1961年6月11日- )は、日本実業家起業家インキュベーター。総合人材サービス会社グッドウィル・グループ (GWG) 前会長、現ブロードキャピタル・パートナーズ株式会社のCEO

おりぐち まさひろ
折口 雅博
生誕 (1961-06-11) 1961年6月11日(62歳)
日本の旗 日本東京都大田区
住居 日本の旗 日本
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク市
出身校 陸上自衛隊少年工科学校
防衛大学校本科理工学専攻卒業
職業 実業家
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概要 編集

人材派遣会社大手の「グッドウィル」などが属する企業集団グッドウィル・グループの持株会社グッドウィル・グループ株式会社」で、2007年12月30日まで代表取締役会長兼CEOを務め、2007年6月11日まで社団法人日本経済団体連合会理事を務める。東京都大田区出身。

陸上自衛隊少年工科学校陸上自衛隊生徒)第23期生を経て防衛大学校本科理工学専攻を第28期生で卒業するも任官は拒否する。紺綬褒章、厚生労働大臣賞を2回、日本赤十字社社長表彰、経済界大賞、青年経営者賞をそれぞれ受ける。

略歴 編集

1961年6月11日に大田区で生まれ、陸上自衛隊少年工科学校防衛大学校で学ぶ。同期に関潤日本電産社長や村井嘉浩宮城県知事不動産投資家の倉石灯。

1984年に防衛大学校卒業時に任官辞退し、日本ユニバックを経て、1985年日商岩井に入社して東欧向け電子機器の輸出および現地生産を担当する。大手倉庫会社のオーナーから有効利用の相談をされ、東京都芝浦の倉庫を巨大ディスコとするプロジェクトを計画して「ジュリアナ東京」が話題となるが、2年目に利権争いで経営から離脱して4,000万円の借金を負い1992年に日商岩井から退職する。

1994年に、ジュリアナの経験を生かして六本木にディスコ「ヴェルファーレ」を開店し、大半の借金を返済するも社長から副社長へ降格されてヴェルファーレから退職する。1995年に株式会社グッドウィルを創業し、介護会社コムスンを含む総合人材サービスのグッドウィル・グループ株式会社(以下、GWG)に成長させてCEOに就き、1999年に店頭公開して創業9年目に年商1400億円、12年目に拠点数2500、従業員10万人、年商7700億円、時価総額7800億円となる。

1990年代中盤以降の経済誌などで、ベンチャービジネスの旗手としてソフトバンク孫正義ワタミ渡邉美樹パソナ南部靖之エイチ・アイ・エス澤田秀雄らと共に取り上げられる。

2004年経団連理事に就任する。2005年に徳間書店で著した『「プロ経営者」の条件』は10万部を販売した。2007年6月に、GWG子会社のコムスン厚生労働省から、事業初期、約1200事業所のうち8事業所において人員配置の更新書類未提出があったことを理由に、介護サービス事業所の新規及び更新指定不許可処分を受けた。このため、介護サービス事業継続は不可能となった。コムスンは全国都道府県に分けて譲渡された。

2008年3月に、GWGの取締役会長を辞任する。GWGとの関係は子会社グッドウィル・プレミア系米国法人の顧問のみとなり、米国へ移住して永住権を取得し、親族名義で購入したトランプ・タワーに居住[1]する。マンハッタンの和食レストラン「MEGU」でチェアマン[2]を務めて事業モデルの転換を図り、モスクワ、ドーハ、スイス、インドなどのリゾートで事業し、「MEGU」はサービスビジネスの格付け機関AAHS(アメリカン・アカデミー・オブ・ホスピタリティー・サイエンス)からシックススター認定を受けた。のちに「MEGU」を他社に譲渡した。2009年には自己破産した[3]

2017年12月26日テレビ東京で放送された番組『日経スペシャル ガイアの夜明け』では、不動産バブルなど過去の立役者らにスポットを当てる中、「折口雅博がアメリカで復活・・・」という切り口で取材を行っている[4]

2018年9月20日首都高速中央環状線ベンツを法定速度87キロオーバーの時速147キロで運転したとして道路交通法違反の罪で在宅起訴された[5]。その後、東京地方裁判所から懲役3月、執行猶予2年の判決を言い渡された[6]

現在はブロードキャピタル・パートナーズ株式会社のCEOである。起業家インキュベーター・起業家コーチとして、経営者に対して事業展開のアドバイスを行なっている。

2020年には自伝本『アイアンハート』を出版した[3]

政界との繋がり 編集

経団連理事で政界人に交友がある。安倍晋三内閣官房副長官時に折口と対談[7]して「コムスンは一生懸命やっておられる」と賞賛している[8]。この対談は「経済界」主幹の佐藤正忠が取り持った。

著書 編集

脚注 編集

関連項目 編集