拓跋 天賜(たくばつ てんし、生没年不詳)は、北魏皇族。汝陰霊王。

経歴 編集

拓跋晃と陽椒房のあいだの子として生まれた。461年和平2年)7月、汝陰王に封じられ、征南大将軍・虎牢鎮都大将に任じられた。後に内都大官となった。471年皇興5年)、勅勒諸部が北魏に叛くと、拓跋天賜は給事中の羅雲とともに北魏軍を率いて勅勒を討った。羅雲が勅勒の偽降を信じて襲撃を受け殺害されると、拓跋天賜はようやく自分の身を守るのみで逃げ帰った。476年承明元年)、征西大将軍・儀同三司の位を受けた。後に征北大将軍・護匈奴中郎将に任じられた。懐朔鎮大将に転じた。489年太和13年)、収賄の罪で官爵を削られ、庶人とされた。死去すると、もとの爵位を追贈され、王礼で葬られた。は霊王といった。

子女 編集

  • 元逞(は万安、斉州刺史)
  • 元思誉
  • 元汎略(字は普安。営州刺史、横暴な統治のため州人により平州に追放された、後に光禄大夫・宗正卿、東燕県男、河陰の変で殺害された)
  • 元修義
  • 元固
  • 元興
  • 元周安

伝記資料 編集

  • 魏書』巻19上 列伝第7上
  • 北史』巻17 列伝第5