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樺太・敷香郡の位置(1.泊岸村 2.内路村 3.敷香町 4.散江村 水色:後に他郡から編入された区域)

敷香郡(しすかぐん)は、日本の領有下において樺太に存在した

以下の1町3村を含んだ。

当該地域の領有権に関しては樺太の項目を参照。

1935年昭和10年)時点での当郡の面積は9,586.86平方km、人口は40,132人(男25,381人・女14,751人)[1]
明治以降に日本が領有した地域に存在した郡としては最大の面積を有した。
散江郡編入後はさらに郡域が拡大し、12,416.36平方kmにも及んだ[2]。これは新潟県の面積に匹敵する。

歴史編集

  • 1915年大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により、内路村、敷香村、多来可村、遠岸村の4村をもって発足。敷香支庁が管轄。(3村)
  • 1923年(大正12年)4月1日(1村)
    • 内路村が新問郡新問村と合併して新問郡新路村となる。
    • 多来可村・遠岸村が敷香村に合併。
  • 1929年昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により、以下の変更が行われる。(3村)
    • 敷香村(二級町村)が発足。
    • 新問郡新路村の一部に内路村(二級町村)、残部に泊岸村(二級町村)がそれぞれ発足し、本郡の所属となる。
  • 1930年(昭和5年)7月1日 - 敷香村が町制施行して敷香町(二級町村)となる。(1町2村)
  • 1933年(昭和8年)7月1日 - 敷香町が一級町村となる。
  • 1942年(昭和17年)11月 - 散江郡を合併。散江村(二級町村)が本郡の所属となる。(1町3村)
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
  • 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
  • 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日敷香郡消滅。

脚注編集

  1. ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
  2. ^ 昭和10年国勢調査による敷香郡・散江郡の面積を合算。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
先代:
敷香郡・散江郡
行政区の変遷
1942年 - 1949年
次代:
(消滅)