文公(ぶんこう、? - 紀元前804年)は(姜斉)の第10代君主。厲公の子。

文公 姜赤
第10代公
王朝
在位期間 前815年 - 前804年
都城 臨淄
姓・諱 姜赤
諡号 文公
生年 不詳
没年 前804年
厲公

生涯 編集

厲公9年(前816年)、厲公が暴虐だったため、斉の国人たちは胡公の子を立てようと、厲公を攻め殺した。しかしその際、胡公の子も戦死したので、斉の国人たちは厲公の子である赤(せき)を立てて斉君とした[1](以降は「文公」と表記する)。

文公は即位すると、父を殺した者70人を誅殺した[1]

文公12年(前804年)、文公が薨去し、子の脱が立って斉君(成公)となった[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c 『史記』「斉太公世家」

史料 編集