斎藤 三郎(さいとう さぶろう、1882年明治15年)6月16日[1] - 没年不詳)は、日本裁判官

斎藤三郎

経歴 編集

熊本県飽託郡画図村(現在の熊本市東区)出身[1]1906年明治39年)、京都帝国大学法科大学 を卒業し、司法官試補となる[1]広島地方裁判所判事大阪地方裁判所判事・大阪区裁判所判事、京都地方裁判所判事、大阪控訴院判事、大津地方裁判所判事、大阪地方裁判所判事・大阪区裁判所判事、大阪区裁判所監督判事を歴任した[2]

大審院判事を務めた後、台湾総督府法院判官に転じ、高等法院長を務めた[2]

1938年(昭和13年)に退官した後は公証人となったが、1940年(昭和15年)に大審院判事に復職した[2]

脚注 編集

参考文献 編集

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。