新しいエルサレム(あたらしいエルサレム、New Jerusalem、the tabernacle of God、holy city, city of God、celestial city、heavenly Jerusalem、ヘブライ語יְהוָה שָׁמָּה, YHWH-shammah[1] 直訳で「YHWHのおわす」)とは、聖書の語句。『旧約聖書』の「エゼキエル書」で言及されるほか、「ヨハネの黙示録」3:12、21:2に、イエス・キリストからヨハネが受けた啓示として語られる。

ヨハネが見た幻に出てくる都市、新しいエルサレム。フランシスコ・デ・スルバラン画。
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新しいエルサレムは、現在のイスラエル共和国の首都のエルサレムではなく、キリストの体である教会を象徴している。黙示録の記述を字義通り解釈する前千年王国説によれば、千年王国ゴグとマゴグの襲来、最後の審判新天新地の次に登場する。

聖書 編集

「勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。わたしはその者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう。」

— ヨハネの黙示録3:12、新共同訳聖書

「更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。」

— ヨハネの黙示録21:2、新共同訳聖書

「都は神の栄光に輝いていた。その輝きは最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。都の城壁には十二の土台があって、それには子羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。」

— ヨハネの黙示録21:11-14、新共同訳聖書

「この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオン(※注:1スタディオン=185 m。12000スタディオン=2220 km)あった。長さも幅も高さも同じである。 また、城壁を測ると、百四十四ペキス(※注:1ペキス=0.45 m。144ペキス=64.8 m)であった。これは人間の物差しによって測ったもので、天使が用いたものもこれである。都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。」

— ヨハネの黙示録21:16-21、新共同訳聖書

「わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。」

— ヨハネの黙示録21:22-22:5、新共同訳聖書

「この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。」

ユダヤ教の伝統では至聖所は立方体であるし、キリスト教の伝統では教会は「山」と呼ばれる。記述からすると、聖なる都=新しいエルサレムは、縦横高さが等しい立方体とも、底面の縦横と高さが等しい四角錐とも、解釈できる。

讃美歌 編集

まもなくかなたのは、ヨハネの黙示録で預言された神の都である、新しいエルサレムでの再会を期待する讃美歌であり、葬儀で歌われることがある。

脚注 編集

参考 編集

関連項目 編集