新井昌則

日本のプロ野球選手 (1948-)

新井 昌則(あらい まさのり、1948年6月23日 - )は、埼玉県大里郡岡部町(現・深谷市[1]出身の元プロ野球選手内野手)・コーチ

新井 昌則
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県大里郡岡部町(現・深谷市
生年月日 (1948-06-23) 1948年6月23日(75歳)
身長
体重
174 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1966年 第1次ドラフト3位
初出場 1970年10月22日
最終出場 1981年9月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ロッテオリオンズ
    千葉ロッテマリーンズ (1982 - 1993, 1995)
  • 上武大学

経歴 編集

深谷商では3年次の1966年夏の甲子園西関東大会県予選準々決勝へ進出するが、川越工に敗退、甲子園には届かなかった。同年のドラフト3位で大洋ホエールズに入団し、俊足好打の内野手と期待されるが、5年間で僅か2試合にしか出場できずほとんど二軍暮らしで終わった。

1972年佐藤元彦との交換トレードで、ロッテオリオンズへ移籍。1973年に初安打を放つと、1974年には一軍に定着し、内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーとして起用され91試合に出場。6月1日近鉄戦(川崎)で神部年男から初本塁打を記録。新井は「ダイヤモンドを一周する気持ちってどんなもんかな、と思っていたんだが、やっと味わえました。でもボーッとして、何が何だが分からなかったな」と語っている。同年のリーグ優勝に貢献し、日本シリーズも5試合に出場して日本一に寄与した。1975年ジム・ラフィーバーラファエル・バチスタ一塁手の定位置を争い、48試合先発を含む86試合に出場し打率.258の好成績を記録する。その後も準レギュラーとして活躍し、1979年シーズン後半には二塁手に定着し打率.309を残す。1000試合出場を記録したが、1981年限りで現役を引退。

引退後はロッテで二軍打撃コーチ(1982年1983年)、二軍守備・走塁コーチ(1984年1985年, 1987年1989年)、一軍守備・走塁コーチ(1986年, 1990年 - 1992年)、一軍チーフ兼外野守備走塁コーチ(1993年)、寮長(1994年)、三軍担当(1995年[1]を務めた。2009年から上武大学コーチに就任したが、現在は退任している。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1970 大洋 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1972 ロッテ 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1973 13 33 29 7 8 1 0 0 9 1 4 0 1 0 2 0 1 4 0 .276 .344 .310 .654
1974 91 179 157 26 38 5 2 1 50 6 6 4 9 1 10 0 2 27 3 .242 .294 .318 .613
1975 86 218 198 22 51 7 1 1 63 17 2 5 8 1 7 0 4 19 1 .258 .295 .318 .613
1976 73 132 122 14 23 3 1 1 31 8 0 3 2 1 4 0 3 11 1 .189 .231 .254 .485
1977 100 197 181 15 33 4 0 4 49 18 2 3 8 1 4 0 3 22 7 .182 .212 .271 .482
1978 47 49 48 5 10 1 0 0 11 2 0 0 1 0 0 0 0 4 0 .208 .208 .229 .437
1979 62 144 139 9 43 6 0 0 49 8 0 1 2 1 2 0 0 12 0 .309 .317 .353 .669
1980 49 91 84 1 18 2 0 0 20 4 1 0 2 0 4 1 1 14 3 .214 .258 .238 .497
1981 45 32 30 3 5 0 0 0 5 0 0 0 0 0 2 0 0 5 1 .167 .219 .167 .385
通算:11年 571 1080 993 102 229 29 4 7 287 64 15 16 33 5 35 1 14 120 16 .231 .266 .289 .555

背番号 編集

  • 57 (1967年 - 1971年)
  • 32 (1972年 - 1981年)
  • 83 (1982年 - 1986年、1992年 - 1993年)
  • 72 (1987年 - 1991年)
  • 79 (1995年)

脚注 編集

  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、20ページ

関連項目 編集

外部リンク 編集