新内外綿株式会社(しんないがいめん、: Shinnaigai Textile Ltd.)は大阪府大阪市にある繊維会社。シキボウの100%子会社。

新内外綿株式会社
Shinnaigai Textile Ltd.
敷島ビル(本社事務所)
種類 株式会社
市場情報
東証2部 3125
1950年1月4日 - 2021年7月20日
略称 新内外・内外綿
本社所在地 日本の旗 日本
541-0051
大阪府大阪市中央区備後町三丁目2番6号
設立 1948年昭和23年)12月6日
業種 繊維製品
法人番号 3120001082007 ウィキデータを編集
事業内容 アパレル製品・紡績
代表者 長門 秀高(代表取締役社長)
資本金 7億3140万4千円
発行済株式総数 195万9800株
売上高 連結:40億7,728万6千円
単独:30億4,533万1千円
営業利益 連結:△8,594万0千円
単独:△8,067万6千円
純利益 連結:△2億1,378万6千円
単独:△1億5,448万7千円
純資産 連結:25億4,042万8千円
単独:26億587万2千円
総資産 連結:41億5,798万6千円
単独:42億6,663万9千円
従業員数 連結:86人 単独:36人
決算期 3月25日
主要株主 シキボウ(株) 100%
主要子会社 (株)ナイガイテキスタイル 100%
外部リンク http://www.shinnaigai-tex.co.jp/
特記事項:各種指標は2020年3月期のデータ
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沿革 編集

会社概要 編集

在華紡・「内外綿」 編集

1887年8月27日、大阪の繰綿問屋4社の共同出資で内外綿(ないがいめん[2])創立(資本金50万円)、当初は日本国産および中国産綿の安定確保を目的とする商社であったが、後にインド産やアメリカ産をも取り扱うようになる。1903年以降は紡績業にも進出し、いち早く作業工程に機械化を推進し国内での繊維部門の中核企業へ早期に成長するとともに、同業他社との競争で苦戦を強いられていた商社から紡績業への転換が図られた。明治40年代には商社時代のつながりを生かす形で生産拠点を中国本土に拡大し、1911年に上海に工場を建設する。以降、青島金州などにも工場を建設、国策企業としての一翼を担い昭和10年代には日本を代表する紡績会社へと躍進していったが、一方で有力在華紡の1つとして五・三〇事件などの反日運動の舞台ともなった。日中戦争によって青島工場が破壊されるものの、日本軍が占領した繊維工場の経営委任や重化学工業への進出などの勢力拡大の展開も見られた。

「新内外綿」への再生 編集

日本の太平洋戦争敗戦に伴い内外綿は中国本土の対外資産を失いかつ戦後の財閥解体対象企業に指定され、1948年に第二会社として新内外綿を設立(旧・内外綿は1949年に解散)、往時の規模を大幅に縮小しての再出発となった。1950年からは朝鮮戦争の特需により米軍用制服等の原料となる綿糸の生産はフル稼働となった。その後は紡績技術を応用しての繊維新素材の開発・研究に注力している。また、親会社シキボウ・子会社ナイガイテキスタイルとの共同事業も行なっている。

工場 編集

かつては滋賀県に彦根工場(彦根市小泉町)があったが、1998年6月に閉鎖、2002年3月に工場跡地売却。 ナイガイテキスタイル(海津)は2019年内部構造改装中。効率のいい生産スタイルを構築中。

関連会社 編集

脚注 編集

  1. ^ シキボウ株式会社による新内外綿株式会社の完全子会社化に関する株式交換契約締結(簡易株式交換)のお知らせ新内外綿 2021年4月28日
  2. ^ 以前は「ないがいわた」とも呼称されており、その影響のためか、『国史大辞典』(吉川弘文館)及び『日本史大事典』(平凡社)は「ないがいわた」、『日本歴史大事典』(小学館)は「ないがいめん」で立項されている。

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集