新右翼
日本の新右翼(しんうよく)とは、戦後の既成右翼が掲げた「親米反共」「日米安全保障条約堅持」に反発し、「反米反共」を主張した少数派右翼。民族派とだけ呼ばれたが[1]、1955年に暴力革命唯一論を日本共産党までも転換した中で継続を主張した学生・運動家が新左翼と呼ばれたことで、1970年代に生まれた用語[2]。
概要 編集
既成右翼の形成
戦前の主流右翼はアメリカが日本国・日本人に敵対心を示した1924年(大正13年)排日移民法の制定以前は反米感情は抱いておらず、これ以前は日本人右翼目線ではアメリカは共産国家でもないため、無感情の者が多くて比較的友好期であった。逆に排日移民法の制定は日本人へのアメリカによる蔑視・敵視の権化であり、近代化以降日本で反米感情が右翼以外の日本人にも広がった原因になった。戦後の冷戦下はソ連と米国のどちらか選ぶ必要があり、アメリカの日本統治とシベリア抑留や北方領土占領よる反共意識が強まるようなソ連の悪行の影響で親米が世論の多数派を占めて親米政党の自民党が選挙で連勝を続けた。逆に大学生のうち左派的な者は共産主義・東側諸国を支持したが、彼らも就職すると総評系労働組合に熱心な者以外は中道右派・右派に転向した[3]。
新右翼の形成
新右翼は民族主義と国家主義のどちらの要素も持っている。第二次世界大戦後日本の右翼が「反共」を主要な運動テーマとして掲げ、「体制変革」の視点、「民族」の視点が稀薄になっていることを批判して登場した勢力である。
第二次世界大戦以後における日本の右翼の大多数を占めた反共主義・親米・国家主義を支持する既製右翼と異なり、反親米体制・反共主義・民族主義を主張をしている[3]。
日本社会党や1955年の「六全協決議」で暴力革命唯一論を放棄以後の日本共産党などのいわゆる既成左翼・既成左翼政党を否定して、暴力革命唯一論を支持した共産主義者同盟(ブント)などが新左翼と呼ばれたことに倣い、既成右翼・既成右翼政党を批判したため、そう呼ばれた[3]。
民族派と新右翼編集
「民族派」と「新右翼」では、その意味する内容はかなり似通っているが、どちらかと言えば、「新右翼」の方が後で使われ出した[1]。例えば、「民族派」という言葉は、1970年代前半の日本学生会議(JASCO)、全国学生自治体連絡協議会(全国学協)や日本学生同盟(日学同)などを指すことが多いが、「新右翼」というと、1970年代後半に結成された阿部勉らの一水会や針谷大輔の統一戦線義勇軍、野村秋介、三浦重周らを指して使用されることの方が多い。
また、「民族派」という言葉は、反共右翼(戦後右翼)に対して反共よりも「民族の自主独立」を強調する右派学生運動に対して主に使用されてきた呼称であるが、現在はほとんどの右翼団体が自らを「右翼民族派」と自称している。
行動する保守と新右翼編集
2000年代に登場した行動する保守については新右翼同様に反米反共の勢力もあるものの、親米反米を重視せず意思表明を曖昧にするか親米である勢力も多い。反共は共通であるが、それ以上に親台独派反韓を重視する(従来の右翼のような中国国民党・韓国反共勢力との交流が希薄)。
批判編集
評論家の松本健一は、マスコミから「新右翼」自体、そう呼ばれる一水会、所属する鈴木邦男を厳しく批判している。鈴木邦男も著書で松本の主張に触れている[4]。
脚注編集
関連項目編集
関連書籍編集
- 鈴木邦男『これが新しい日本の右翼だ: 「恐い右翼」から「理解される右翼」へ』日新報道 1993年7月 ISBN 9784817403049
- 鈴木邦男『新右翼 改訂増補版』彩流社 2005年4月 ISBN 9784882029892
- 猪野 健治『右翼・行動の論理』筑摩書房 2006年4月 ISBN 9784480421807
参考文献編集
- 松本健一 『思想としての右翼』 論創社、2007年8月 ISBN 9784846003203