新城島

沖縄県八重山郡竹富町にある島群

新城島(あらぐすくじま)は、沖縄県八重山郡竹富町に属する八重山諸島で、上地島(かみじじま[3]、かみぢじま[1][4])及び下地島(しもじじま[3]、しもぢじま[1][4])の2つの島の総称である。

上地島
Kamiji island 01.jpg
座標 北緯24度14分02秒 東経123度56分40秒 / 北緯24.23389度 東経123.94444度 / 24.23389; 123.94444 (上地島)座標: 北緯24度14分02秒 東経123度56分40秒 / 北緯24.23389度 東経123.94444度 / 24.23389; 123.94444 (上地島)
面積 1.76[1] km²
海岸線長 6.2[2] km
最高標高 13.1 m
所在海域 太平洋
所属諸島 八重山列島
所属国・地域 日本の旗 日本沖縄県八重山郡竹富町
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下地島
Shimoji island 01.jpg
座標 北緯24度12分56秒
東経123度55分46秒
面積 1.58 km²
海岸線長 4.8 km
最高標高 20.4 m
所在海域 太平洋
所属諸島 八重山列島
所属国・地域 日本の旗 日本(沖縄県八重山郡竹富町)
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新城島の航空写真
沖縄本島と八重山列島の位置図

離れた2つの島からなることから、八重山方言で「離れ」を意味するパナリまたはパナリ島とも呼ばれる[4][5][6]。なお、下地島については、宮古列島(沖縄県宮古島市)にも同名の下地島が存在する。

目次

地理編集

新城島は、西表島の南東約7km、石垣島の南西約23kmの石西礁湖に位置する[7]。上地島と下地島からなり、その間は約420mある[7]が、東側はリーフで繋がっており、大潮の干潮時にはリーフの一部が水面上に表れて、歩いて渡ることができる[8]

上地島は、東北から南西方向に細長く延びた島で、同方向の長さが約2.5km、最大幅が約0.7km[8]。大部分はで覆われている。集落は西海岸中部にあり、2001年時点で26戸の家屋が残っていた[6]が、常時住んでいる人口は10人未満である[9]。周辺にはヤマハリゾート跡の廃墟がある。

下地島は、南北方向約1.3km、東西方向約1.5kmの半円形の島である[8]。集落は現存しない[3]。かつての集落は北部に位置していた。現在は牧畜業が営まれ、外周部の森と海岸以外は全体がパナリ牧場と呼ばれる肉用牛の牧場になっている。下地島に滞在しているのは牧場の管理人のみである。

自然編集

全域が西表石垣国立公園に含まれる。

島周辺は、かつての南西諸島におけるジュゴンの最大の生息地の一つであったとされる。新城島ではジュゴンの捕獲が許可され、その干し肉を人頭税の一部として琉球王府に献納していた[10]。現在では沖縄本島近海以外ではジュゴンは絶滅したと考えられているが、新城島近海での目撃例もある{{refnest|group="注"|2010年度(平成22年度)の調査で、西表島との間の海峡で目撃情報が報告されている[11]

八重山列島の他の島と同様に、野生化したインドクジャクが繁殖していたが、2006年から2009年にかけて集中的に駆除された[12][13]

人口編集

住民基本台帳による(いずれも3月31日現在)。

  • 2005年(平成17年) - 上地島5人、下地島2人
  • 2006年(平成18年) - 上地島6人、下地島2人
  • 2007年(平成19年) - 上地島9人、下地島2人
  • 2008年(平成20年) - 上地島8人、下地島2人
  • 2009年(平成21年) - 上地島10人、下地島3人
  • 2010年(平成22年) - 上地島10人、下地島3人
  • 2011年(平成23年) - 上地島11人、下地島2人
  • 2012年(平成24年) - 上地島14人、下地島3人
  • 2013年(平成25年) - 上地島13人、下地島2人
  • 2014年(平成26年) - 上地島13人、下地島2人
  • 2015年(平成27年) - 上地島12人、下地島2人
  • 2016年(平成28年) - 上地島13人、下地島2人

なお、住民登録(住民基本台帳の基礎となる)上では住所を新城島に置いていても、実際には石垣島や西表島にも家があり、新城島との間を行き来している人が多い[14]

新城島出身者の郷友会が石垣島等にあり、の時期には島の出身者が戻り賑わいをみせる[15]

歴史編集

成宗8年(1477年)に朝鮮済州島の漂流民3人が与那国島の島民に救助された際、波照間島の次に「勃乃伊島」に護送されたとあり、これが新城島の事とみられる。漂流民らによると波照間島からは一昼夜で着き、島は平坦で2日ほどで一周できた。民家は40戸余で、男女ともに青い玉を腕輪や足輪としていた。また、キビアワが栽培されていたが、米は西表島で入手していたという[16]

近世初頭には、琉球王国の2島・6間切のうち黒島に属し、1628年に3間切に再編された後は石垣間切に属した。水田がないため、島民は西表島の南風見村にで通って耕作を行った。

1893年明治26年)に八重山列島を訪れた笹森儀助は、西表島南風見村の東の海岸に新城島や黒島の農民の小屋が数軒あり、数十人がいると記録している[17]。なお、南風見村は1920年(大正9年)に廃村となったが[18]1938年昭和13年)から西表島への入植が始まり、大原集落が形成された。第二次世界大戦沖縄戦では新城島民は大原集落への疎開を命じられたが、同地でマラリアにかかる者が多発し、1945年(昭和20年)には島の人口255名中、24名が死亡している[19]

下地島では1954年(昭和29年)に大原小中学校下地分校が廃校となり、1955年(昭和30年)頃から西表島や石垣島への転出が増加した。下地島は1963年(昭和38年)12月に廃村となった[20][注 1]

上地島では、1963年(昭和38年)に上地中学校が大原中学校に統合された頃から、子供の中学進学とともに島民が一家で島を離れるようになった[6]1975年(昭和50年)2月23日には、長年望まれていた西表島からの海底送水が実現した[20]が、同年、過疎化のため上地小学校は廃校となった[6]

前述の通り、2016年(平成28年)現在では、島の人口は15人にとどまっている。

産業編集

観光編集

新城島観光やパナリ島観光等が自社船舶や安栄観光の船舶による石垣島等からのツアーを催行している[23]。また、西表島からシーカヤックでのツアー等も行われている。なお、2005年(平成17年)3月に、西表島からのシーカヤックツアーの帰路でガイドを含め3人が死亡する事故が発生している[24][25]2009年(平成21年)にはシュノーケリング中の死亡事故も発生している[26]

新城島への年間入域観光者数は2008年(平成20年)までは概ね1千人台だったが、2009年(平成21年)以降は2千人を超え、2013年(平成25年)以降は3千人前後となっている。

入域観光客数[27]
  • 1990年(平成2年) - 1,776人
  • 1995年(平成7年) - 1,678人
  • 2000年(平成12年) - 1,780人
  • 2005年(平成17年) - 1,240人
  • 2006年(平成18年) - 1,224人
  • 2007年(平成19年) - 1,874人
  • 2008年(平成20年) - 1,931人
  • 2009年(平成21年) - 2,623人
  • 2010年(平成22年) - 3,195人
  • 2011年(平成23年) - 2,596人
  • 2012年(平成24年) - 2,248人
  • 2013年(平成25年) - 3,190人
  • 2014年(平成26年) - 3,529人
  • 2015年(平成27年) - 3,175人
  • 2016年(平成28年) - 2,978人

かつて1970年代に日本楽器(現ヤマハ)が小浜島、西表島、新城島で大規模なリゾート開発を計画したことがある。この計画は中途で頓挫し、小浜島にははいむるぶしが開業したが、新城島には同社の保養所施設が建設されたのみであった[28]

公共施設編集

金融機関郵便局[注 2]商店・公衆電話・公衆便所・警察署・駐在所・消防署・診療所・信号はない。

ヘリポート[注 3]防波堤も整備されており、防波堤には6億5千万円の費用がかけられた。2010年3月現在、南風対策として上地港防波堤(西)工事(1工区)延長70m、上地港防波堤(西)工事(2工区)延長100mが施工中であった。

1975年(昭和50年)に廃校になった上地島の竹富町立上地島小学校跡には、2014年公民館施設を兼ねた防災施設が完成している。鉄筋コンクリート構造2階建て、建築面積225m2で、1階には集会所、舞台、研修室が設けられ、2階はライフジャケットや食糧を備蓄する防災備蓄庫とされている。海抜4m集落で津波の際の避難場所を確保するため、外階段でつながる屋上は海抜13mを確保している[30][31]

インフラ編集

上水道(西表島より海底送水)[32]、電気(海底送電)[20]、固定電話回線、ブロードバンドインターネット接続(ADSL、2008年(平成20年)4月1日開始)[20][33]が整備されている。

携帯電話は、au、ソフトバンクのサービスエリア内である[34]が、各社携帯電話の基地局はないので一部海岸沿い以外では携帯電話は通じない。

名所・旧跡・自然その他・祭事・催事編集

 
タカニク
 
中森(波照間ムリ)

文化財編集

史跡
  • 先島諸島火番盛(国の史跡
    • タカニク(上地島) - かつてニシヌブシヌヤー(北の武士の居館)があったとされる。八重山式土器や輸入陶磁器が発掘されている。
    • 中森(波照間ムリ)(下地島)
  • クイヌバナ(上地島 竹富町史跡 1972年(昭和47年)8月30日指定)
無形民俗文化財
  • 越の頂節、サーサー節、パナリヤーマーぬ前の海、越後節 - 竹富町指定無形民俗文化財(民謡の部)
  • 越の頂節、サーサー節、パナリヤーマーぬ前の海、クイヌウベ狂言、節祭の巻踊 - 竹富町指定無形民俗文化財(舞踊・狂言の部)

旧跡編集

新城島には古琉球から近世にかけての遺跡が多数ある。

  • その他の上地島の遺跡
    • ブシヌヤー遺跡 - 「武士の居館」という意味の遺跡。
    • ポーンヤマ遺跡 - パイヌブシヌヤー(南の武士の居館)と呼ばれ、砂浜に突き出た岩の上に石垣が築かれている。一辺3mほどの方形の石積墓が6基あり、やはり土器や陶磁器が見つかっている。
    • ウブドゥムル遺跡 - ウブドゥ村の跡といわれ、屋敷囲いがある。
  • その他の下地島の遺跡
    • ナーシキ貝塚 - 八重山式土器やパナリ焼などが発掘された。
    • 伝・ウィスク村跡遺跡:大量の土器と輸入陶磁器が発掘されている。
    • 伝・ナーメ村跡遺跡
    • 伝・フザトゥ村跡
    • 伝・マヒヤン村跡遺跡
    • 伝・アラスク村跡遺跡
    • 伝・フカバレー村跡遺跡

御嶽編集

  • 東(あーりい)御嶽(上地島) - 人魚神社とも呼ばれ、ジュゴンを祀る。かつてはジュゴンの肉を食用としていた。鳥居の横に「島の住民以外立ち入り禁止および写真撮影禁止」と書かれている。
  • 西(いーりい)御嶽(上地島) - 鳥居のところに、「これより先は立ち入らないで下さい 新城公民館長」と書かれた立て札がある。
  • 上地美御嶽(上地島) - 集落から離れたところにある。
  • 七問(ななぞう)御嶽(下地島) - 100頭余のジュゴンの頭骨が奉納されている[35]

上地島港には「来島者へお願い 1.無断でお宮に入ったり、勝手に願い事をしてはならない 新城島公民館長」と書かれた看板が掲示されている(2004年7月)。御嶽は聖域であり、祭司以外は住人でも立ち入らせず、とくに男子禁制である。願懸けの対象とさせないことも伝統とされる。[要出典]

海岸・海編集

 
下地島南の海岸
 
下地島南西端の海岸
 
新城島沖のサンゴ
  • 浜崎海岸 - 上地島の南部にある海岸[36]
  • 恋路ヶ浜 - 上地島の桟橋近くの小さな海岸[37]
  • 上地島・下地島の間の海 - 多くのクマノミを見ることができる。シュノーケルポイントになっている。
  • 新城島マイビシ海中公園 - 西表石垣国立公園の海中公園のひとつ。面積48.2ha。昭和52年7月1日指定。
    • 竜宮の根(下地島西方) - 新城島マイビシ海中公園にあるダイビングポイント。イソバナとそれに群がる小魚が美しい。

その他編集

  • 展望所(下地島桟橋横) - 木製のテラスがある。上地島南端の浜崎海岸が望める。
  • ヤマハリゾートの廃墟(上地島)
  • パナリ牧場(下地島) - 総面積96.3ha、牧草地面積58.4ha、採草地面積37.9ha。総飼育頭数424頭、放牧頭数203頭、成雌頭数220頭、生産頭数213頭(平成19年12月末)[38]。生産された子牛は石垣島へ運ばれ八重山家畜市場で競りにかけられる。

祭事編集

  • 豊年祭(上地島) - 旧暦6月。アカマタ・クロマタ・獅子舞。
  • 結願暦(上地島) - 旧暦8月。ミルク練行列、舞踊。
  • 節暦(上地島) - 旧暦7月~8月。巻踊り。

上地港には「祭事における注意事項 カメラ等の撮影禁止 祭詞・歌の録音禁止 スケッチ等の禁止夜間部落外への行動及び単独行動禁止 以上4項目を固く禁ずる」と書かれた看板が掲げられている(2004年7月)。[要出典]

 
新城島両島の空中写真。この写真は上方が北西方角である。1977年撮影の7枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

交通編集

  • 空路 - 空港はない。
  • 海路 - 上地島の集落近くには上地港、下地島北端には下地港があるが、定期航路はない。上地港は日本最南端の地方港湾である[39][40]。竹富町では上地港への浮桟橋設置を要望している[41]安栄観光では、5名以上での希望があれば[要出典]石垣島から西表島行きの船を新城島(上地島)に臨時寄港させている[注 4]

新城島が登場する作品編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 1962年(昭和37年)8月に廃村となったとする資料もある[21][22]
  2. ^ 上地島に郵便ポストが1箇所設置されている。
  3. ^ ヘリポートによる急患移送:2006年 - 1人、2007年 - 0人、2008年 - 0人[29]
  4. ^ 2002年頃の資料では、新城島出身者が予約したときのみ運航するとされている[42]

出典編集

  1. ^ a b c 平成28年全国都道府県市区町村別面積調 島面積 (PDF)”. 国土地理院. p. 108 (2014年10月1日). 2015年3月16日閲覧。
  2. ^ 石垣港離島ターミナル 八重山諸島データ
  3. ^ a b c 新城島 竹富町
  4. ^ a b c 竹富町 知・旅・住 離島総合情報サイト 沖縄のしまじま
  5. ^ 崎原恒新『八重山ジャンルごと小事典』ボーダーインク、1999年8月1日、p.208
  6. ^ a b c d 贅沢な時間の流れる宝の島 ~バランスを考えた島の方向性~ やいまねっと(情報やいま2001年12月号より)
  7. ^ a b 山崎真治「伝説の土器・パナリ焼きを探る (PDF)鳩間島・新城島・黒島総合調査報告書 (PDF) 、沖縄県立博物館・美術館、2016年
  8. ^ a b c 仲里健「鳩間島・黒島・新城島(上地・下地)の地質 (PDF) 」 鳩間島・新城島・黒島総合調査報告書、沖縄県立博物館・美術館、2016年
  9. ^ 仲里健「鳩間島・新城島(上地・下地)・黒島の植物相(FLORA) (PDF) 」 鳩間島・新城島・黒島総合調査報告書、沖縄県立博物館・美術館、2016年
  10. ^ ジュゴンが首里城に献上されたという記録はあるか。 レファレンス協同データベース
  11. ^ 荒井修亮「ジュゴン Dugong dugong -沖縄におけるジュゴンの生態に関する文献等調査- (PDF) 」 京都大学大学院情報学研究科、2011年、2013年12月20日閲覧
  12. ^ 新城のインドクジャク 計116羽を駆除 八重山毎日新聞、2009年7月17日
  13. ^ 外来生物次々と侵入 広がる生態系への影響 八重山毎日新聞、2010年1月2日
  14. ^ パナリへ郵便配達 やいまねっと(月刊やいま2014年10月号より)
  15. ^ 35年ぶりに故郷で運動会 石垣在新城郷友会 八重山毎日新聞、2015年5月4日
  16. ^ 李朝実録
  17. ^ 『南嶋探験』
  18. ^ 『八重山歴史』
  19. ^ 『新八重山』
  20. ^ a b c d 竹富町のあゆみ 竹富町
  21. ^ 新城・下地島、廃村から半世紀 郷友ら古里しのぶ、68年ぶりに訪れた出身者も 八重山毎日新聞、2012年5月21日
  22. ^ 竹富町史だより 第35号 (PDF) 竹富町、2014年3月31日
  23. ^ ぱいぬ島ストーリー 新城島 - 竹富町観光協会
  24. ^ 新城島付近シーカヤックの3人不明 観光客親子とガイド 八重山毎日新聞、2005年3月24日
  25. ^ 母娘ら3人の捜索打ち切る 石垣海上保安部 八重山毎日新聞、2005年4月3日
  26. ^ 観光の67歳男性水死 シュノーケリング中 八重山毎日新聞、2009年6月18日
  27. ^ 竹富町観光入域者数 竹富町
  28. ^ 松村正治「八重山諸島におけるツーリズム研究のための基礎調査--竹富島・西表島・小浜島の人々と自然とのかかわりの変遷 アジア・太平洋の環境・開発・文化 (2), pp.140-202、2001年3月30日、未来開拓大塚プロジェクト事務局
  29. ^ 沖縄県八重山支庁総務・観光振興課
  30. ^ 新城に防災施設 竹富町 八重山毎日新聞、2014年9月19日
  31. ^ 防災施設が落成 「住民の心のよりどころに」 新城島 八重山日報、2014年9月30日
  32. ^ 海底送水管を整備へ 16年度から2年間かけ更新 八重山毎日新聞、2016年1月13日
  33. ^ 永野寛他「沖縄県離島部の生活環境の充実に向けたブロードバンド整備の方向性」、『アジア太平洋研究』No.18、2012年3月
  34. ^ 離島におけるICT利活用促進に関する調査 (PDF) 都市科学政策研究所野村総合研究所共同企業体、2014年8月5日
  35. ^ ジュゴンの生息域調査 北海道大の大泰司研究員ら 八重山毎日新聞、2012年12月9日
  36. ^ 浜崎 やえやまなび
  37. ^ 恋路ヶ浜 やえやまなび
  38. ^ 八重山家畜保健衛生所[出典無効]
  39. ^ みなとマメ知識 (PDF) 国土交通省
  40. ^ 上地港 沖縄県
  41. ^ 波照間の航空路線再開を 衆院国土交通委と意見交換 八重山毎日新聞、2013年9月6日
  42. ^ 新城島への旅立ち (PDF)総合学習教材・素材集CD-ROM「結び合うしま島」、竹富町教育委員会

参考文献編集

  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)

関連項目編集

外部リンク編集